第五章 暗幕①
メールの差出人はいったいだれ?
まりえはイライラしながら添付ファイルのついたメールの文面を睨んだ。学校の友達とはラインでのやりとりが多い。メールをするのはオヤジばかりだ。
添付ファイルをもう一度開く。合成じゃない、これは確かに自分自身だ。
無理やり寄せて深くした胸の谷間と赤いレースのブラジャー。上目遣いで顔を赤らめて媚びた表情をする自分の姿が、パソコンの画面いっぱいに映しだされる。
「くそっ、ふざけんなっ!」
金切り声をあげて、まりえは勢いよくパソコンを閉じた。
愛と由貴子に紹介されて、本番なしの簡単な援助交際で小遣い稼ぎをしていた。自分の父親ぐらいの年齢の変態オヤジと食事したり、カラオケしたり、胸やお尻や太腿をちょっと触らせたり、写真を撮らせたりするだけの、簡単なバイトだ。
ぜったいに誰にも言わないし、写真も悪用しない。エロオヤジどもはそう約束してくれたし、今まで約束を破られたことはない。それなのに、どうしてバイトを辞めた今頃になってこんな写真が送られてくるのか。
『写真をネットに晒されたくなければ明日朝八時に、一人で学校の屋上に来い』
文面にはそう書いてあった。
学校に呼び出すということは、送り主はオヤジの誰かではなさそうだ。クラスメイトの誰かの可能性が高い。
でも、誰が?
ふと、脳裏をさとこサマという不吉な名前が過る。
じつはついこの前、さとこサマを見た。家庭科の調理実習でクラスメイトたちがバタバタと食中毒で倒れる前日の放課後のことだ。
制服を汚された仕返しをしてやろうと、まりえはいちど帰ったふりをして、三十分後に教室に戻った。
薄暗い教室で電気もつけず、こそこそと愛や由貴子のロッカーを探っていた。体育館シューズに画びょうでも刺しておいてやろう。そう思っていたのだ。
その時、教室のドアが開く音がした。
誰かに見つかった。慌てて振り返ったまりえの目に映ったのは、陰気な目に艶の無いパサパサのおかっぱ頭の少女。
そう、あれはさとこサマだった。
目があった瞬間、呪い殺される気がした。
まりえは反射的に目を瞑って頭を抱え込んだ。次に目を開けた時には、もうソレはいなかった。
さとこサマに狙われている、これ以上罪を犯せば裁かれる。
まりえはなにもせず、教室から逃げるようにして帰った。
その翌日の調理実習で、愛や由貴子や一之瀬の代表的ないじめっ子は軒並み罰を受けたが、自分は罰を受けなかった。だから、許されたのだと思っていた。
でも違った。
食中毒騒ぎの翌日から、時折、さとこサマの視線を感じるようになった。そしてこの脅迫文。次は自分の番なのだろうか。
違う、誰かの嫌がらせに決まっている。きっと愛や由貴子だ。アイツらが斡旋したオヤジとの援助交際をしていたから、二人がオヤジから写真をせしめていても可笑しくない。
華の三人組に嫌われないようずっと頑張っていたのに、いつのまに愛たちに敵認定されてしまったのだろう。
親切そうな穏やかな笑顔で仲間のふりをしたあの女。夏月が何か吹き込んだのかもしれない。あの女を信用した自分が愚かだった。
翌朝、まりえは早々に家を出て、朝八時より十五分早く屋上にやってきた。
冷ややかな風が身を震わせる。今か今かと犯人の登場を待っていた。
八時ジャスト、しびれを切らした頃にようやく屋上のドアが開いた。ドアの向こうの暗闇に立っていた人物に、まりえは絶望する。
そこに居たのは、落ち窪んだ目に厚ぼったい唇を赤黒く染めたあの幽霊だった。
「さ、さとこサマがどうして……」
愕然とするまりえに、さとこサマがゆっくり近づいてくる。市松人形みたいなごわごわしたおかっぱの髪が、冷たい風に揺れる。
「ひ、ひい。こ、こないで」
後退りをするまりえを追い詰めるよう、一歩、また一歩とさとこサマが近付く。
まりえは腰を抜かし、ぺたんと地面に座り込んだ。
殺される。そう思ったが、さとこサマはまりえを通り越してフェンスまで歩いていった。そしてまりえを振り返り、例の写真をちらつかせる。
淫乱な顔で下着を見せている自分の姿に吐き気がした。
どうしてさとこサマがあの写真を持っているのか。何かが可笑しい。まりえはキッと目の前の幽霊を睨み付ける。
さとこサマがくるりと背を向けた。数秒後、ゆっくり振り返る。その顔を見て、まりえは驚愕した。
「なんでアンタが―…」
一枚から三枚に増えた写真をチラつかされて、頭に血が昇る。
「さっさと返しなさいよ!」
怒鳴りながら飛びかかった瞬間、全身に激しい痛みがビリッと走り抜けて体が痺れた。
「あぅっ」
硬直した背中を強く押され、身体がフェンスの向こうに投げ出される。
澄んだ真っ青な空が見える。世界が反転している。
全身に逃れられない重力を感じ、死が近付いてくる。
「いやあぁぁぁっっ!」
まりえは恐怖に絶叫した。
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