第一章 さとこサマの噂②
学校中にチャイムが鳴り響く。厳かだけどどこか不吉さを孕んだこの学校のチャイムが、夏月は苦手だ。
それよりもっと苦手なのはお昼休みだ。
教室の前の方の席の月葉に目を遣る。彼女はまだ一緒にランチをする相手を見つけていない。次に廊下側の後ろの席を見ると、由貴子と奈々が愛の周りに集まっていた。
男女三十二人で構成されるこの特進クラスにはクラス替えがない。
けれど、一年生だった去年とは、昼を一緒に食べている子の組み合わせが少しずつ違ってきている。
去年は志穂と居たまりえは愛たちにべったりで、志穂はぽつんと一人だ。ぽっちゃりボディにそばかす顔の明美と仲良しだった地味眼鏡の小百合は、窓際で朔耶と食事をしている。明美は小百合のことなど知らん顔で、他の女子二人と楽しそうに弁当を広げている。
そんな中、変わらないのは愛、由貴子、奈々の華の三人組だ。彼女たちは入学当初から変わらず三人集まってお昼を食べている。そこにプラスされる女子の顔ぶれは時々変わっても、三人の輪は切れない。
男子にも同じようなクラスカースト上位の三人組がいる。見た目が一定の水準以上でそれぞれ光るものを持つ、一之瀬、松島、横尾の三人組だ。
この二つの三人組グループは何があっても均衡を崩さないだろう。
あと、このクラスの中で、ずっと変わらず一人でいる男子がいる。常に学年一位の成績の天才的な頭脳と芸能人顔負けの美貌を持つ、背の高い大人びた男子、
癖毛の艶やかな黒髪に長い睫毛、くっきり二重で涼やかな瞳、高い鼻とセクシーな唇の美麗なハニーフェイス。学校中の女子を虜にするミステリアスな美少年だ。
ぼんやりとクラスの人間模様を観察している場合じゃない。夏月は弁当箱を手に慌てて立ち上がる。
だが、行き場が見つからない。近頃ずっとこうだ。
中学からの親友、月葉とは今年の春から少し気まずい関係だ。夏休み明け、月葉が別人のようになっていたのをいいことにこれまで通り一緒に過ごすことも多いが、自分からは誘いにくい。
誘ってくれないかな。期待を込めて月葉を見詰める。だが、月葉は愛たちの方に行ってしまった。
このままじゃ一人ぼっちになってしまう。
焦っていると、月葉がこちらを見て手招きした。黒曜石みたいな黒い瞳が、柔らかく細められる。
「来なよ、夏月」
月葉の言葉に愛が顔をこちらに向ける。夏月はいつものように、注意深く愛の表情を見詰めた。緊張で口に唾が溜まる。
「夏月、おいでよぉ」
「うん」
ほっとして愛たちの方に移動する。
愛、由貴子、奈々、月葉、まりえ、そして自分。近頃、この顔ぶれで昼食をとることが多い。
愛たちの会話はコスメやファッション、恋バナが中心だ。夏月一人の力では触れられない華やかな世界。気苦労は絶えないし、ついていけないけど、話に耳を傾けているだけで充実した気分が味わえる。
愛が一つ一つ丁寧にラッピングされた可愛らしい丸い形のスイートポテトを広げた。
「ねぇねぇ、よかったらこれ食べて。あいが作ったの」
「マジ、女子力高いじゃん。サンキュー」
「へえ、綺麗にできているじゃないの」
由貴子と奈々がスイートポテトを手に取るのを待ってから、夏月も礼を言ってスイートポテトを一つもらった。
「すごくおいしいよ、愛ちゃん」
食べてすぐに感想を言ったのに、何故か白けた空気が流れた。
困惑する夏月の前で、月葉が手本を見せるように愛のスイートポテトを評する。
「すごいしっとりしてる。それに、お酒がきいてて大人の味でおいしい」
「隠し味にちょっぴりラム酒入れちゃった。月葉って味覚が鋭いんだね」
「へへ、ありがと。安っぽい顏だけど、あたし、舌は肥えてるんだよね」
「月葉はけっこう可愛いから安心して。ねえ、ユッキー」
「ホントホント。メガネしてないと、ワリとイケてんじゃん」
月葉が羨ましい。
夏月と同じで月葉も高校入学当時、地味系の平凡な女子で、平和だけど少し退屈なひたすら平凡な日々を送っていた。それが今では、月葉はすっかり華やか系な女子の一員として学園生活をおおいにエンジョイしている。
月葉と二人で好きなアニメや漫画の推しキャラについて語りあったり、漫画やイラストを描いたりする。中学の時から変わらないと思っていた時間。それが今では失われつつあることが寂しい。一緒に居ても疎外感があって辛い。
月葉もこんな惨めで寂しい気分だったのかな。
楽しそうに笑う月葉を見て、夏月は誰にも聞こえないように小さく溜息を吐く。
因果応報、自業自得。嫌な言葉が脳裏をよぎる。
急にスイートポテトが粘土のように感じられて、飲み込むのが苦痛になる。
「このスイートポテトほんとにおいしいっ。プロの味だよ。カワイイうえにお菓子作りもできるなんて、愛ちゃん最強じゃない!」
ぼんやりしている夏月の鼓膜を、まりえのはしゃいだ声が揺らした。
安っぽい言葉を並べ立てるまりえが寒々しい。でも、おだてられた愛は嬉しそうだ。その顔を見て、まりえが更に勢いづく。
「こんなに美味しいんだから、対馬クンにもあげたらどうかな。男は手料理に弱いし、難攻不落の王子様でもイチコロだって。ねえ、ミンナもそう思わない?」
まりえの尻馬に乗っかろうと口を開きかけた。しかし、愛の双眸が凍えていることに気付いて言葉を飲み込む。
愛だけじゃない、由貴子も奈々も冷たい目をしている。
鈍感なまりえもさすがに異変に気付いたようで、顔を青褪めさせた。
「まりえ、アナタ知らないの? 対馬クンは手作りのお菓子なんて受け取らないのよ」
「え?」
「去年さぁ、ウチらバレンタインにクラスの男子に手作りチョコ配ったんだけどぉ、対馬は『手作りのものって苦手なんだ、ごめんね』って受け取んなかったワケ。他の男子はありがたがって受け取ったのにさー」
「あいなんかじゃ、きっと薫くんに釣り合わないよね」
「そんなことないっしょ、愛よりカワイイコなんていないって!」
「そうよ、愛。自信を持ちなさいよ」
「ダメだよ。あいなんて、薫くんからしたらきっとふつうだもん」
落ち込む愛に由貴子と奈々が口々に慰めの言葉をかける。
夏月も愛を慰めつつ、馬鹿らしさを感じていた。こうなった愛は周囲の賛辞に満足するまで、しばらく悲劇のヒロインを演じ続ける。
夏月は退屈しのぎに教室の方々に視線を彷徨わせた。
小百合がトイレにでも行ったのか、朔耶が一人で黙々とお弁当を食べている。そこに薫が近付いていった。
何をする気なのだろうと見ていると、朔耶の背後から忍び寄った薫が弁当箱から卵焼きを摘んで、自分の口に放り入れた。
朔耶が憤慨して彼を振り返る。
「ふざけんな対馬、それ私のだぞ。返せ、馬鹿」
「もう食べちゃったよ。いいじゃないか、卵焼き一つくらい。出汁がきいてちょっと甘めで美味しかったよ。相変わらず自分でお弁当作ってるんだね。面倒じゃないの?」
「私の勝手だろ。料理なんて楽勝だからいいんだよ」
「ふうん。だったら僕のも作ってよ。君、料理だけは得意じゃないか。ああ、運動も得意だったね」
「勉強も得意だっつうの」
「へえ、万年学年二位で僕に勝てないくせに?」
「黙れ、次こそは私が勝つから見とけよ」
「無理だね、僕がチビゴリラに勉強で負けるわけないでしょ」
「誰がゴリラだ、ぶっとばすぞ」
朔耶が立ちあがり、自分より三十センチ以上背が高い薫に掴みかかった。
朔耶と薫は小学校時代からの知り合いらしいが、すこぶる仲が悪く、しょっちゅう喧嘩をしている。
女子に優しく男子にはまったくの無関心な大人びた薫が、どういうわけか朔耶には執拗につっかかる。それに対して朔耶が怒鳴り声をあげながら薫をどつく、男同士みたいな喧嘩だ。
美男美女の喧嘩を夏月はうっとりと見ていた。二人の喧嘩を見ながら、お互い好きなのに素直になれない甘酸っぱい恋の物語を妄想するのが密かな娯楽だ。
「なにを見てるの、夏月」
愛の刺すような声にはっとする。
「あ、えっと。校庭の銀杏が黄色くなってきたなあって」
「ふうん、銀杏を見てたんだぁ……」
愛が窓側に視線を向ける。アイドルみたいに大きな目がすっと細くなった。
「高杉って、薫くんにつっかかり過ぎだよねぇ」
「わかるぅ。痴話げんかのつもりじゃね? アイツ、自分は対馬に気に入られるとか思っちゃってて、イタイっつーの。奈々もそう思うっしょ?」
「本当よね。自分だけは対馬クンと対等とか思っていそうで滑稽だわ」
「嫌われているだけなのにねぇ」
愛たちが朔耶を悪しざまに言う。
ここは愛たち追従すべき場面だ。だけど、まりえが余計なひと言を漏らす。
「でもさ、対馬クンって手作りのお菓子は受け取らないのに、高杉が作ったお弁当は盗み食いするんだね」
愛が俄かに固い顔になる。
由貴子と奈々がその様子を見て、密かに唇の端を持ち上げていた。
「まりえはさぁ、薫くんが高杉なんかに気があるとでも言いたいの?」
「えっ、あっ。違うよ、愛ちゃん。対馬クンが高杉に気があるとか、ありえない」
「だったら、なに? まりえは何が言いたかったの?」
「あ……、う、それは、その……」
まりえが目を白黒させ、狼狽える。
かわいそうにと思う反面、密かに安堵する。
「まりえ、アンタってマジでアホだよね。なに、愛のこと苛めてんの?」
「ち、ちがうよ、由貴子ちゃん」
「ドコが違うんだよ。愛のこと傷付けたら、ウチが許さねーし」
「ご、ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」
「謝って許されるとか思ってんの? あ、そうだ。慰謝料にジュース買ってこいよ。ウチはコーラね」
由貴子の言葉に奈々がすぐさま便乗する。
「あら、じゃあワタシはミルクティね。愛は何にする?」
「あいはカフェオレがいいな。ありがと、まりえ」
愛は怖い笑顔を浮かべていた。
まりえは引き攣った顔で「喜んで!」と笑った。
ハートの女王を恐れる従者みたいで哀れだ。だけど、助けようとは思わない。ここで愛達を批判したりしたら、今度は自分の番だから。
夏月は同調も助太刀もせずに息を潜める。
「月葉も買ってもらいなよぉ。ね、なにが飲みたいの?」
愛に水を向けられ、月葉がまりえに視線を向けた。
昔の月葉なら嫌悪を滲ませていただろう。月葉にはいじめを止めるほどの行動力も気概はないものの、加担するまいとする頑固さがあった。
だけど、月葉はにこりと笑顔を浮かべた。
「あたし、ココアがいい。ありがとう、まりえ」
どうしちゃったの、月葉。疑問をぶつけそうになるのを、夏月は必死に堪えた。
「夏月は何がいい?」
不意に月葉に尋ねられて、反射的に「蜂蜜レモンがいいかな」と答えた。
愛側の人間にカウントされていることにほっとしたことに嫌気が差す。でも、それを行動に変える強さはない。
まりえが財布を手に走って教室を出ていく。
愛たちは何事もなかったかのように会話を再開した。夏月は相槌を打ちながら、密かに月葉を見ていた。
月葉の視線がさりげなく窓の方に逸れる。その視線の先にはまだ言い争いをしている薫と朔耶の姿。
たぶん、薫を見ているのだろう。月葉は究極のイケメン好きだ。月葉が薫にずっと片思いしていたのを、夏月は知っている。
喧嘩に飽きたのか、薫が朔耶の傍から離れていった。月葉の視線はきっと薫を追いかけるのだろうと思っていた。だけど、違った。
月葉はまだ窓の方を見ていた。
何かを見極めるような目にも、ここではない遠くを見ているようにも見えた。
「そういやさぁ、月葉。アンタが朝話してたさとこサマの話って、ぜんぶ作りバナシだったわけ?」
「さとこサマの石像の唇が赤く濡れてたって噂を聞いたのは本当」
「ウソ、マジ。それ、ホントかどうか検証しに行かね?」
「なにを子供みたいなことを言っているの、由貴子。くだらないわよ」
「ふーん。奈々、怖いんだー」
「怖くなんてないわよ」
「そんじゃ行こ行こ。秋にホラーってのもオツじゃん」
「ユッキーは好きだねぇ、怪談。あいはちょっと怖いな」
「ヘーキだって、愛。愛はウチが守るって」
まりえのことなんてすっかり忘れたように、愛たちが教室を出る。四人の背中を追って外に出ようとした時、背中に強烈な視線を感じた。
振り返ると、一番後ろの席にポツンと座る志穂がこちらを見ていた。
前下がりのさらりとした黒髪ボブヘアの隙間からじっとこちらを見つめる切れ長の瞳は陰気で、刃物のように鋭い。背筋がひやりとした。
夏月は気付かなかったふりをして、逃げるように教室を出た。
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