さとこサマ
都貴
第一章 さとこサマの噂①
まるで別人みたいだ――
英単語帳を見ているふりをしながら、
センターわけにした前髪。コンタクトレンズ。にこやかな口元。すっかり垢抜けた月葉は、弾けるような笑みを浮かべている。
少し前まで、無造作に前髪を伸ばし、分厚いレンズのダサイ眼鏡をかけて、唇をむっつりと引き結んでいた彼女とはまるで別人だ。
本当に別人なのではないだろうか。
疑ってみるものの、鈴を転がすような澄んだ声も鼻や口の形も、小柄で痩せた体つきも、どこを切り取っても夏月の知っている月葉だ。知らないのは、レンズの奥に隠されていたぱっちりと大きな目くらい。
月葉とは中学一年生の春に出会い、一緒に頑張って、有名大学への合格者を多数輩出する星園高等学校の特進クラスに合格した。
年季の入った友情だというのに、夏月は今まで月葉が可愛い顔をしていることに気付かなかった。
クラスカーストどん底にいた彼女の変貌に、カースト上位の女子たちははじめのうちは戸惑っていた。だけど、九月から一ヵ月以上が過ぎた今は、すっかり上位グループの一員扱いだ。
そのことにざわつきを覚えていた。
「ねえ、夏月も単語帳なんて見てないでこっちにきなよ」
月葉が振り返って夏月を呼ぶ。
夏月は英単語帳で隠していた顔を上げて、恐る恐る彼女たちの方を見た。
「おいでよぉ、夏月」
月葉と喋っていた四人の女子の一人、
緩く巻いた亜麻色の髪を揺らした愛の表情を見極めようと、夏月は目を見開く。
大丈夫だ、目がちゃんと笑っている。
ほっとしながら、同時に自分の中で何かがすり減っていくのを感じた。
平凡な顔、セミロングのストレートヘア、中肉中背の身体。いかにも日本人の平均という自分の容姿に対するコンプレックスを振り払い、夏月は明るい笑顔でクラスの上位グループに入っていく。
「昨日ねぇ、三組の飯田くんがうちのクラスの誰かに告白したらしいの」
「愛、それマジィ? ウチ、初耳なんですけどぉ! だれだれっ?」
つけ睫毛をバシバシと上下させ、ミルクティ色の長い巻き髪をかき揚げながら、
「相手が誰かまでは知らなぁい。ねぇ、夏月は知ってる?」
「わたしも知らないかな」
そもそも三組の飯田って誰だろう。
人間関係が狭い夏月にはついていけない話題だった。
だけど、楽しいふりをして会話に参加する。
「夏月も知らないんだぁ」
がっかりした顔の愛にぎくりとする。
『使えないやつ』という心の声が聞こえてくる気がするのは被害妄想だろうか。
気の利いた言葉や新たな話題を探すけれど見つからない。いっそ、笑える自虐ネタでも披露しようか。
目まぐるしくご機嫌取りの方法を考える。
そうしているあいだに、愛が「じゃあ奈々は?」と矛先を変えた。
「ワタシも知らないわ」
きっちり揃った前髪が特徴的な姫カットの高飛車なお嬢様、南奈々が肩を竦める。
「アタシ、知ってる!」
満を持してというように、松田まりえが威勢よく手を挙げた。
「えぇ、まりえ知ってるの? ねぇ、誰なの?」
期待に満ちた愛に迫られて、まりえが鼻の穴を膨らませた。
「なんと、あの高杉よっ」
「えーっ、うっそぉ」
愛、由貴子、奈々の三人が同時に驚きの声を上げる。
その様子にまりえは得意顔になった。
気に入られようと必死なまりえにうすら寒いものを感じ、夏月は密かに小さく眉根を寄せた。
まりえは自分と同じでクラスの中間に位置する生徒だ。
きつく吊った細いキツネ目をアイプチで必死に大きく見せ、ギリギリ地毛っぽく見える焦げ茶に染めた髪をお洒落なポニーテールに結い、必死に容姿が優れた愛、由貴子、奈々の華の三人組に並ぼうとしている。
だけど彼女はお情けでグループに入れてもらったおまけだ。
「高杉なんかじゃ、イケメンサッカー少年の飯田とは釣り合わないわよ」
「ホントホント! 奈々に同意だわ」
「あいも信じられなぁい。高杉って顔は綺麗だけど、女としてはアレだもん」
噂をすれば影とはよく言ったもので、タイミング悪く高杉朔耶が教室に入ってきた。
白いカッターシャツにキャラメル色のブレザーまでは他の女子と同じ。だけど、胸元はボルドーのリボンじゃなくてネクタイを結び、ココア色のフレアスカートのかわりにズボンを穿いている。
この学校は性別関係なく好きな制服を選ぶことができる。だけど、大半は規定通り男子はズボンにネクタイ、女子はリボンにスカートを選ぶ。
そんな中、朔耶は女子なのにズボンにネクタイを選んだ変わり者だ。
彼女は性格や言葉遣いも男みたいで、変わり者だと謗られ、一部の女子からすごく嫌われている。
「おはよう」
ややハスキーで艶のあるかっこいい声で朔耶が挨拶をするが、挨拶を返す女子はいない。
愛、由貴子、奈々の女子トップスリーが彼女を目の敵にしているからだ。
見ているだけで胃がひやりとする光景だけど、朔耶は少しも気にした様子なく堂々とした足取りで自分の席に行く。
「おっす、朔耶」
陸上部の男子、青木が朔耶に近付いていった。朔耶が笑顔で返事をする。
朔耶の明るく屈託のない笑顔が、夏月は嫌いじゃない。だけど、愛たちが嫌煙する気持ちもわかる。
男子の制服、負けん気が強そうな鋭い眼差し、正義感の強いまっすぐな性格。彼女はあまりにも異質だ。正直、異質なものは怖い。
でも、愛たちが朔耶をシカトするのは彼女が異質だからというわけだけじゃない。
きっと、悔しいのだ。
染めてもないのに薄茶色のやや癖毛な柔らかな髪、くっきりした二重、眼力の鋭いぱっちりと吊った青い猫目、綺麗な形の細い吊り眉、卵型の小さな顔、小柄で華奢でスタイル抜群と、芸能人顔負けの美貌だ。加えてずば抜けた運動神経で勉学も優秀という完璧さ。
朔耶は神様から何もかもを与えられている。この世の不公平を体現したような人だ。
夏月はすべてにおいて平凡なので、朔耶をすごいと思っても悔しいとは思わない。もはや雲の上の人だ。でも、愛、由貴子、奈々の華の三人組にとっては目の上のたんこぶなのだろう。
朔耶から男子たちが離れていくと、一人の女子がおずおずと近付いていった。
地味な顔に眼鏡に痩せた貧相な体。現在クラス最底辺の憐れな子羊、小百合だ。
朔耶と小百合が楽しそうにお喋りをはじめる。
「嫌われ者の集まりとか、マジでイタイんですけど~」
由貴子がセクシーな垂れ目を意地悪く細めて言った。奈々が大きく頷く。
「傷の舐めあいね、みっともないわ」
「ほんと、ウザいよねぇ。消えちゃえばいいのに」
憎しみの籠った愛の声に夏月はゾッとした。
密かに顔を向けると、愛は氷のような目をしていた。
彼女の中には悪魔が棲んでいる、ひとたび嫌われたら終わりだ。
「高杉さん、目障りだよね」
慌てて気に入られようと同調すると、愛が嬉しそうな顔になった。
「いい子の夏月でもそう思うんだね。高杉ってさぁ、みんなに嫌われているよねぇ」
「そうだよね」
愛にあわせながら、夏月は冷や汗を掻いていた。
嫌いじゃない人を嫌いにならなくてはいけないのは心身ともに疲れる。だけど、そうすることでしか自分の立場は守れない。
「アタシも高杉だっきらい! アイツ、自分はミンナとは違いますってオーラ出しててウザいんだよね」
まりえが声高に叫ぶ。彼女は自分とまったく同じ表情をしていた。
まりえが朔耶の悪口をペラペラ話すと、愛はもっと嬉しそうになる。
まりえに立ち位置を奪われてしまう。夏月もノリよく朔耶の悪口を捲し立てる。
そうしていると、朔耶が本物の悪に思えてきて、ちょっとだけ気が楽になった。
朔耶の悪口で盛り上がるなか、月葉は何故か黙っていた。
以前の彼女に戻ったみたいにむっつりした顔をしている。そのことに夏月はほんの少しだけ違和感を覚えた。
周囲に同調したり、お愛想笑いをしたりしないのは昔の月葉っぽい。でも、偽善者だと朔耶を嫌っていた月葉が朔耶の悪口の一つも言わないのは不思議だった。
朔耶の悪口のネタがなくなると、愛がつまらなそうな顔で天井を仰ぎ見る。
「なにか面白いことないかなぁ」
愛の呟きにまりえが焦った顔をする。
きっと、愛が喜びそうな特ダネを必死に探しているのだろう。自分がまりえとまったく同じ顔をして同じことを考えていると思うと、うんざりした。
「あるよ、面白いこと」
さっきまで黙っていた月葉が鈴を転がすような声で言った。
「え~なになにぃ、聞きたぁい」
愛がぱっと大きな目を輝かせて月葉を見る。
「さとこサマって知ってる?」
「あい、知ってるぅ。この学校の不思議な言い伝えでしょ」
「何よそれ、ワタシは知らないわよ」
「奈々はそういうの、子供っぽいって興味持たないもんねぇ。さとこサマ、けっこう有名だよ。ねえ、月葉」
「うん、有名。説明すると、さとこサマは裏庭のすみっこ、百葉箱に紛れるように設置された観音開きの木箱に祀られた少女の石像だよ」
「へえ。二宮金次郎みたいなものかしら?」
「ちょっと違う。石像が祀られたのは五十年以上も前のこと。さとこっていう少女が学校で不慮の死を遂げて、その幽霊を鎮めるために彼女の石像が造られたの。
木箱に祀られたさとこサマは神様になってこの学園を見守っている。悪を裁いて学校を清浄化するんだって」
「学園の悪ってなにってカンジだし。センパイにハナシ聞いたとき、爆笑したわ」
「由貴子に同感ね。そのさとこサマがどうしたのよ、月葉」
「さとこサマにお供えがあったんだって」
月葉の言葉に夏月は思わず顔を強張らせた。
月葉がこちらを見てニコッと笑う。
「夏月はさとこサマの裏話、知ってるでしょ」
「さとこサマに血を捧げよ、さすれば恨みを晴らさん。だよね?」
「そう、それ。さとこサマはね、過酷ないじめにあっていたんだ。表向きは不慮の事故死だけど本当は自殺。
飛び降りて全身バラバラに砕けて死んだ。苦痛を味わいながら、ゆっくりゆっくり苦しんで死んだ。だから、恨んでる。いじめっ子を許さない」
「どう許さないっていうのかしら」
鼻を鳴らして笑う奈々に、月葉が視線を向ける。
「さとこサマの石像に血を捧げると、さとこサマが現れていじめっ子を成敗する。バラバラになった自分の身体を治すためにいじめっ子から奪うって話もある。ついこの前、さとこサマの石像の唇が赤く濡れてたんだって」
月葉がポケットからカラーリップを取り出して唇に塗った。
妖艶で恐ろしげな真っ赤な唇に夏月は釘付けになる。
月葉の唇がにやりと不気味に弧を描いた。
「罪を悔いろ、悔いねば罰を与えん。悔いても罪は消えん。ほら、愛の後ろ。血塗れのさとこサマが……」
青褪めた顔に不釣り合いな赤い唇が紡ぐ、奈落から響くような暗く冷たい声。焦点を結ばない虚ろな瞳。
月葉の迫真の演技に恐怖を煽られ、愛が悲鳴を上げて身を縮める。
その場にいる全員が怯えた顔で縮こまった愛の背後に視線を遣った。
だけど、当然さとこサマなんていない。
「もうやだぁ、月葉ったら怖い冗談やめてよぉ」
怒った顔をしながらも、どこか楽しそうに愛が月葉を責める。由貴子も「めっちゃ怖かったしぃ。怪談サイコーッ」と笑顔を浮かべている。
「へへ、ごめんごめん」
月葉が赤いリップを拭い、舌を出して軽やかに笑う。愛たちも一緒になって笑った。
だけど、夏月は笑えなかった。
さとこサマの話を信じたわけじゃない。月葉の変貌ぶりが怖かった。
愛たちの前で馬鹿話をしてお道化て、明るい笑いを提供する。それは夏休みの前までは夏月の役目だった。
もしかして月葉、わたしのポジションを奪おうとしてる?
ちらりと月葉に目を遣る。
弾ける笑顔を浮かべる月葉は、もうシカトされていた頑固で根暗な月葉ではない。月葉の姿をした赤の他人のようだった。
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