この劣等感を捨て、俺の思いを空高く打ち放つ!!

名取フォルテ

飛ばして見せよう、青い空へ

 体のコンディションは問題は無し。精神状態は不安定だが、気にしている暇はない。


 小さな机に広がる深緑の海、その先には白い地平線が引かれていた。

 空には、屈強な眼鏡男子の顔が存在しており、自分には敵わない相手だと一瞬で理解が出来る雰囲気を感じる。


 だが、諦めるわけには行かない。だってこれは、中学校最後の中体連だから。

 弱小校の我が卓球部だったが、今日のこの日まで部員皆と仲良くしながら、全力を尽くしてきたのだ。私は、それに応えてみせるぞ。


 卓球ラケットを握り、腰を深く下げて、目を凝らしながら相手の動きを観察する。試合の状況としては、相手が10点を保有、俺が4点の状況だ。

 この状況を分かりやすく一言で表すなら、「チョーピンチ、マジピンチ」である。


 卓球と呼ばれているゲームは、11点を取れば勝者となるゲームである。

 つまり、後1点を相手に取られたら、次の試合の切符をぶんどられ、ダブルピースされて煽られるのだ。災厄や。


「名取〜頑張れ!!」

「名取君、頑張って!!」


 後ろから声が聞こえる。男性と女性の応援が心に直接届いたのか、体中にエネルギーが生まれたような活力が流れる。体に染み付いた疲れが少々軽減した気がした。


 てか、男性の声は聞いたことがない声だ。一体誰だ?


 体を回転して、背後を見てみる。


「……ん? ん?」


 思わずそんな声が漏れてしまった。案の定、女性の声は、私の想像通り、顧問の先生であった。一児の母であり、憤怒の状態になると誰も使わない教室に対象者を呼び、落雷を降らすと呼ばれている有名な先生である。しかし、中身は温厚な部分があり、応援姿を見た瞬間、目から慈雨が降ってしまいそうになった。


 問題なのが男性の声の正体だ。

 てっきり私は、同級生の誰かだろうと想像していたが、答えは違った。

 応援している男性の正体は、普段あんまり喋ったことが無い校長先生やないかい!!


 アイツらは、何してるんだ。

 観客席を見てれば、塾のワークを両手に広げながら、問題を解き続ける素晴らしい受験生達が立っているでは無いか。これは、お母さんもニッコリ……しないよ!!

 

 よくよく見てみれば、我が部活で一番強い友達と二番目に強い友人が座っていた。どうやら、結果は直ぐに敗退したらしい。おかしいな、メンバーが私以外全員揃っているような気がする。


 はい、部員全員揃っていました。災厄や。


 負けたのは良いけど、応援して欲しいな。

 そんな甘い希望を抱くが、当の本人らは、全く気にしない様子だった。


 だが、問題は無いだろう。こんな頭の悪い俺に期待をしてくれるが二人もいるのだから、敗北と呼ばれている二文字は、今の私の脳内には存在しないぜ。


 ラケットを強く握りしめ、相手の放つサーブを打ち返した。試合開始だ。



 その後はあっけなく敗北した。

 現実はそんなものだと改めて理解する。


 クラスで一番可愛い女子が放課後の教室で告白してくるような妄想。

 授業中に不審者が乗り込んで来て、私がカッコよく退治するような妄想。


 全て私が思っているだけであって、相手にはそんな事は思っていない。

 脳内で破った敗北の紙、相手にしっかりと渡されてしまった。


 中体連終了後の記憶は無い。

 世界が闇に包まれたしまったかのような霧だけが視界に映り、三年間の記憶は全て忘却の彼方へ連れて行かれてしまったようだ。


 何かある物といえば、「私は何も出来なかった」という劣等感だけだろう。


***


 時を忘れて、私は高校三年生になったらしい。

 中学生の時よりも友達が増えたり文化部の部活動で心が躍っていたが、劣等感と呼ばれている感情は、私の腕をよりいっそう強く握りしめていた。


 頭の悪さが目立ち、絶対受かるような資格を二回も落ち、精神が割れかけてしまっていた。おまけに運動神経も悪く、これは数年前に花園へ行ってしまったおじいちゃんもびっくりしているだろう。


 私には大好きだったおじいちゃんがいた。

 高校時代は、〇〇高校の番長と言われる程の卓越した運動神経と頭の良さを持っていた人だと、おばあちゃんから話を聞いている。

 自慢気に話しながら、卒業アルバムを開いたあの姿は、目のレンズに残り続けていた。


 その後のおじいちゃんは脳関係の病気となり、身体の半分が麻痺してしまう事態になってしまい、通社していた有名会社の幹部達がお見舞いに来ていたらしい。


 私が生まれた時から体が麻痺をしていたおじいちゃんだったが、幼稚園の頃にバス亭までの道のりを持ち前の運動神経を使い、頑張って歩いていた。そして、笑っていた。


 今の私とは真反対だ。

 私は運動神経も悪いし、頭も悪く、直ぐに飽きて諦めてしまう。

 おじいちゃんは凄かった。私の憧れだったんだ。


 でも、そんな憧れた道に私は立つことすら出来ない。

 高校生の私に何をやろうとしても活力が出ず、私はもうただの闇に改造された人造人間になってしまっていたのだろう。


 そうか。私の腕を握りしめていたのは過去からの感情ではなく、今の私だったのだ。

 脳が痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 私は頭を抱えた。私はこの世界に存在して良いのだろうか。

 そんな思いをまた抱いてしまったのだった。



「これからの体育はクラスを更に分けて行うぞ」


 70人ほど集まった体育館、ステージに腕組みした筋肉質の男がそう話す。

 体育で選択種目と言われているものが始まったらしい。


 私の学校はニつのクラスを合体させ、合同で体育を行う。

 一つの種目を皆でやっていたが、三年生になって変わったと。

 二つのクラスを分割し、それぞれの希望を下に先生の提案した種目を行うらしい。


 そんな話もあったっけか。正直、どうでも良いけど。


「名取は何選ぶ?」


 男性の声と共に私の肩をポンと触る。

 振り返ってみれば、引き締まった体を持った爽やかな男性が立っていた。

 運動神経抜群の山川タヌキ君である。


「う~ん、野球かな」


 先生が提案した種目の中に野球と言われているスポーツがあったのを思い出して適当に言った。

 笑みを浮かべたタヌキの口が開く。


「俺も野球を選ぼうと思ったんだよね」

「へぇ~そうなんだ、一緒にやるか」

「おう!!」


 先生の指示によって種目別に列を並べることになった。

 野球の列に立ってみれば、周りにタヌキ君以外のクラスメイトがいない事に気づいた。


 右を見てみれば、他クラスの野球部達が座っていた姿を見て、何となく状況を察する。


 普通に考えるなら、種目の基礎練習が終わった後に試合が行われるのは、先生方の発言から確定している。


 勝負のチーム決めの際に私達のクラスともう一つのクラスで分けて行う確率が高く、野球部員が0人の私達には勝ち目がほぼ無いのは当然。


 加減してくれるかどうかだが、高校三年生で最後の大会が近い野球児達だ。

 始めだけ加減して、その後に熱暴走してボコボコにやられる未来が安易に想像出来る。


 おまけに私達は極度のめんどくさがりだ。泥と土で汚れるのは強い嫌悪感を抱く者も多いのだろう。


「野球の方でもう少し人が欲しいな。名取のクラスの誰か、こっちに来てくれないか?」


 流石の体育教師も困惑した表情をしながら、他の種目へ顔を向ける。

 しばらくの沈黙が続く。


 嗚呼、めんどくさいな。さっさと移動してくれないか。

 頭にきた私はある男子にジェスチャーをすると、立ち上がりこっちの列に座った。


「すまんな、セイカク」 

「……別にいいよ」


 図面セイカク、私の一番の友人であり、頭脳明晰な人である。

 体は細いが体力はあるのでありがたい。


 「行くかぁ」


 キラキラとした顔立ちの良い男が立ち上がる。

 私はあまり喋ったことが無いが、運動部のエースである羽音リクトと呼ばれている男性もチームに入ってくれた。


 リクト君が波を創ったのだろうか、数人が列に加わり先生が一息付く。


「ま、これぐらいで充分だろう。試合のチーム編成については、改めて考えることにしよう」


 無事に種目決めが終わり、本格的に野球の授業が始まることになった。



「キャッチボール面白いな」

「ね、まだキャッチが難しいけどね」


 セイカクとキャッチボールをしながら会話をした。

 キャッチボールなんて、小学校と中学校でしたことがなかったからグローブで掴むだけで快感を得られる。


 ボールを真っ直ぐ投げるが、セイカクの体を軽く越えてしまった。 

 全力で走って取りに行く姿に申し訳なさが溢れてくる。


 やっぱり、グローブに向かって正確に投げれなかった。

 タヌキの方を見ると、プロ選手のように高速で投げ、それを笑顔で捕るリクトの姿が目に映る。


 タヌキってそう言えば、中学生の時に野球部に所属していたって前に言ってたような。

 ふむ、これが経験値の差か。

 タヌキを見ながら、納得の表情を浮かべる私であった。


「名取、もう少しお前はボールの握り方を考えろ。腕で投げるんじゃなくて、体で投げることを意識しろ」

「は、はい!! ありがとうございます」


 ビクリと体が跳ね上がった。咄嗟に敬語を言ってお辞儀をする。

 声の方向に視線を向けると野球の授業を担当している体育教師の姿があった。


 アドバイス、こんな駄目な私に?

 ありがたい、これは絶対に力にするぞ。 


 再びセイカクの方へ体を向けて、全力でボールを投げた。

 何球も何球も体育の時間が終わるまでずっと投げ続けていた。

 この灼熱の光が照らす大地の上で、時間なんて忘れてしまう程に。


 

 家に帰ってフカフカなベッドに体をダイブする。

 エアコンを起動させて、冷気を部屋中に循環させた。


 ふと、窓ガラスを見つめて目に映る月を見た。

 走馬灯のように今日の体育の授業が脳内に現れる。


 数多くのシーンがあるが、一番はっきりと覚えているのは青い空に飛ばした白い球だった。

 実はキャッチボールの練習後に少しだけバッティング練習を行い、その際に青空を見たのである。


 あの気持ちは生まれて初めての感覚だった。

 金属バッドの打撃音と青空に飛んでいくボール。 


 その瞬間だけ、私の中の闇が飛んでいったような高揚感を得た。

 あれは、この先何があっても忘れることは決して無いと誓える程の美しい青だった。




 いつの間にか、時計の針が動いていて基礎練習をする時間が終わり、野球の授業は今回で最後になった。野球の授業は愛おしいが仕方がない。

 最後の試合だ、悔いなくやろう。


 バッドを握り、相手の動きを観察する。

 相手は野球部のピッチャー。には敵わない相手だとはもう思わない。

 脳内に数多くの記憶と思いが循環する。


 俺には仲間がいる。投げ方を教えてくれた仲間がいる。バッドの打ち方を教えてくれた仲間がいる。守備を教えてくれた仲間がいる。


 俺の立ったこの長い道のりの先にはあの人が立っている。


 俺は思う。あの時、俺が選択をせず何もしなければ、無限に悩まないで何も思わず平和に過ごしていたのでは無いかと。


 俺は思う。あの時、何もしないという安泰を選んでいれば、こんなに苦しい思いをしなくても良かったのでは無いかと。


 逃げては行けなかった。何があっても真っ直ぐ進むことで目標に近づくことが出来る。

 その先は美しい青が広がっているのだって、教えてくれるのは自分だ。

 

 いくぞ。

 初球は様子見、次で打つ。

 相手の放つボールを見逃して、次に繋げるシュミレーションを想像した。


 『ボールをしっかり見たほうが良い』

 『ちゃんとスイングすることを忘れないように』

 『大丈夫だって、そういうミスもあるよ』


 多くの記憶と高い金属音と共に相手の投げたボールを空高く飛ばした。

 ホームランではなかったが、相手の守備を超えた先に球は着地する。

 バットを地面に捨てて、全力で一塁まで走った。


 劣等感? そんな感情もう捨てちゃったぜ。

 二塁まで走り抜き、味方の攻撃を持つ俺であった。


 以降、仲間達の攻撃と守備によって試合が11対0で終了。

 俺より前のバッターが三振をしてアウトとなった。

 正直、最後にもう一度だけ打ちたかったが仕方がない。


 野球の試合は終わったが、俺の試合はこれからまだまだ続く。

 まずは最初に俺の思い、この白色の背景に書かれた文章を青い空へ飛ばして、おじいちゃんに届ける。 


 見てるかな、おじいちゃん。

 俺は抜け出したんだよ、この長い闇からさ。


 俺もいつか、何があっても諦めない優しいおじいちゃんのような人になるよ。

 見ていて欲しい。


 届け、この思い。

 

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この劣等感を捨て、俺の思いを空高く打ち放つ!! 名取フォルテ @natorikageboshi

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