切れ端

青空一星

通過

 浅沢あさざわとは通学のバスで会う仲だ。

 同じ部活だとか、特別仲が良いだとか、そういうのはない。同じバスに乗って、同じ学校に行って、少し話をする。それだけの仲。

 友達ではある気がするが一緒に遊びに行くほどでもない。ただの話し相手。


「水曜一限体育ってダルくねー」


「マジダルい。雨降っても体育館とか嫌になる」


 バスが揺れる音の外側で激しくもない雨がざーざーと降っている。大雨にでもなれば学校ごと休めるものを、めんどーだ。

 外の雨を見ていて浅沢の方を向いた時、バスの棒を掴む右手小指の端が切れているのが見えた。


「おい浅沢、それ大丈夫か」


 小指を指すと浅沢はやっとそれに気付いたようでイヤな顔をする。


「マジじゃん、さいっっっあく」


 いつか部活でケガした時用に入れてた絆創膏を思い出す。カバンの底のほうを探るとあったから「いる?」って聞いたら、「バッちぃそうだからいい」と言われた。恩知らずめ。


「まぁ血ぃ出てなさそうだから気にしなくてもいい」


「まぁ当人がそう言うんならいいか」


 と絆創膏をカバンの底へ放り投げた。



 次の日。またいつのものようにどうしようもない話を浅沢としていると昨日の傷に絆創膏が巻かれているのが見えた。


「まだ痛いかソレ」


「あーコレ? ぜーんぜん。てか別に昨日だって痛くなかったし」


 浅沢は相変わらずへらへらしてたからまぁ大丈夫かと今日の不満をお互いダベって、いつものように学校に着いた。



 次の日。浅沢の右手薬指の第二間接先が無くなっているのを見た。

 初め気付いた時は頭の処理が追い付かなかった。その断面さえ見えているのに出血は無くて、まるでなんともないかのように浅沢はその右手で手すりを掴んでいる。


「おい、浅沢」


「なに変な顔して」


「お前それ、右手。どうしたんだよ」


「は? なに言ってんの、右手?」


 浅沢はしばらく自分の右手を見て訝しげに何度も、何度も見返していた。その目線が薬指に釘付けになって


「はああ!??」


 バスの中だろうとお構いなく叫んだ。

 周りの人は何事かとこちらを見ていたが出血がなかったせいか騒ぎ立てることもなかった。


「えっ? 柿田かきた、柿田! これ、これ!」


「どっかで事故ったりした? い、痛くないか」


「痛くないけど、なんか、なんか変。だって、だって無いよ!」


「おちつけって! とりあえず病院行こ! そしたら多分治るから」


 嘘だ、薬指の先も無いのに治るわけがない。それでもとりあえず落ち着かせた方が良いと思った。


「でも、でもさ!」


「とりあえず落ち着け。病院次のバス停止まったらすぐだからとりあえず深呼吸しろ」


 ボタンを押して浅沢に深呼吸させているとしばらくしてバスが停まった。バスを急いで降り、パニックになっていた浅沢の背中をさすりながらなんとか病院に連れていくことに成功した。


 お医者さんによると、何か強い圧力に巻き込まれたのか傷口は塞がっているが切断面は平らではなく凹凸で、何があってこうなったのか想像もできないと言われたようだ。何か大きな事故にでも逢ったのか聞かれたそうだがやはり心当たりはないらしい。

 縫合手術をしてもらい傷口が開いた時のために安静にしておくよう言われたようだ。浅沢は終始落ち込んでいたが帰りしなラーメンを奢ってやると少しだけ元気になったように見えた。



 次の日。浅沢はバスに乗って来なかった。

 たぶん親から休んでおくよう言われたのだろう。あの様子なら支障も無さそうだったから大丈夫だろうとも思った。だがそれは外面だけのはず。浅沢や親からすれば酷く落ち込むことにも納得がいく。


 きっと明日からは変わらずバスに乗って来るはずだ。

 そう思って少し寂しい登校をすることになった。



 次の日。



 次の日。



 次の日。



 浅沢は来なかった。


 バスでなく親の車で送ってもらっているのかもしれないと思って浅沢のクラスに行ってみたりもした。


 でも浅沢はいなかった。


 浅沢の席は空席で、友達に聞いたところあの薬指を失くした日から来ていないそうだった。

 先生に聞いても家庭内の事情とだけ。


 俺はその日の部活を休んで浅沢が乗ってくるバス停から降り、浅沢を探すことにした。

 ただ学校行きのバス停に乗り合わせるだけの仲だ。住所を聞くだとかそんなことはなかった。だからガムシャラに歩いた。それでも浅沢を見つけることはやっぱりできなかった。



 浅沢のクラスで仲の良かった子を見つけて、浅沢の住所を聞いて一緒に訪ねに行ったりもした。でも家の人は出てきてくれなくて浅沢が無事なのかどうかも分からなかった。お隣さんに聞いたら浅沢が行方不明になったのだと言っていたそうだった。

 浅沢の友達も知らなかったようでその後立ち寄った公園で泣き出してしまった。俺はその背をさすりながらどうすればいいのかわからなくなっていた。



 一人、バスの中で揺られて。一人、盲目に学校の授業を受けて。一人、ただの話し相手のことを想った。



 俺は部活を辞めた。競争率の高い部活だったから仕方ない。部活は楽しかったけど、それ以上に俺にはやらなきゃいけないことがあったから。


 浅沢の家の呼び出しボタンを押す。返事はない。

 浅沢の家からあのバス亭に行って浅沢の痕跡が無いか探す。見つからない。



 浅沢の家の呼び出しボタンを押す。返事はない。

 浅沢の家からバス停に行って浅沢の痕跡を探す。見つからない。



 浅沢の家の呼び出しボタンを押す。返事がない。訪ねて来るなと張り紙があったが浅沢の居場所が分かることじゃない。

 浅沢の家からバス停に行って浅沢の痕跡を探す。まだ見つからない。


 帰り。公園に立ち寄った。ベンチに座って夕焼け空を見上げる。


「くそっ」


 ベンチを殴った。何の意味もない。浅沢がいなくなって半月経った。なのに手掛かりは全然得られていない。このままじゃ浅沢が……。公園の入り口に誰かいる。浅沢の友達だった。


「柿田さん、最近学校に来てないみたいですけど大丈夫ですか?」


「あぁ、大丈夫。心配いらない」


「そうですか。……アサちゃんのお母さんから毎日家を訪ねてくる人がいるって聞いたんですけど、もしかして柿田さんですか?」


「……うん。浅沢いないかなと思って」


「そうなんですね……」


「……」


「……」


「これまで、家を訪ねてみたことなんてなかったんだ。込み入った事情を聞くことだってなかったし、気になってるやつのことだって聞いたことはなかった」


「……」


「でもさ。いなくなってつらいんだ」


「私もです」


「……だよな」


「……」


「柿田さん、いったん病院に行きませんか?」


「……どこもおかしくなんてないよ」


「いえ、その、けがをしているようなので」


「けが?」


 曽根田そねたちゃんの指す所を見ると右手首の甲が少し切れているようだった。ぜんぜん気が付かなかった。けっこうさっくりいってるのに。

 傷口には赤い溝が走っていて、少し浅沢の小指に出来た傷に似ているなと思った……。まさか――


「ごめん曽根田ちゃん。ちょっと一緒に走ってくれる?」


「え、はい?」


 曽根田ちゃんの腕を掴んで走り出した。これまで通った浅沢の家からバス停までの全ての道のりを通って止まった。

 息が切れ切れでしんどい。曽根田ちゃんも息を切らしてて辛そうだった。


「はぁ……、はぁ……。満足、しましたか?」


 曽根田ちゃんをじっくりと見る。


「な、なんですか?」


 左腕に一線、引かれているのが見えた。


「その傷、どうしたの」


「傷? あっ、どこかに引っ掛けちゃったみたいですね。うぅ……」


「痛い?」


「痛、くはないです」


「なるほどね。俺、どっか傷付いてる?」


「いえ、見るかぎりはどこも大丈夫そうです」


「わかった」


上着を脱ぎ始める


「えっ!? ちょっと、何してるんですか!?」


「どうかな、どこか傷付いてる?」


「いえ、あの、その。うぅ……」


 曽根田さんがチラチラとこっちを見てくる。その目がどこかで留まって。


「その、お腹の辺り。傷があります」


 そう言われて見ると何かに浅く抉られたような傷が横腹にあった。

 その断面には赤い血の色が浮かんでいるが出血はしていないようだった。


「一つだけ、か?」


下着も脱ぎ出すと


「あ、あの! さすがに下は、その……。やめてください」


「……分かった。こっち来て」


「わっ」


 男子トイレまで引きずり、ズボンを脱ぐと曽根田ちゃんは顔を覆って何も言えなくなった。


「曽根田ちゃん、どうかな」


「な、なにがですか」


「傷、あるかな」


「わ、わかりません」


「そりゃ見てくれなきゃ分からないよ」


「……パンツまでは下ろしてませんか」


「……下ろしたほうがいい?」


「けっこうです!!」


 曽根田ちゃんが指の隙間から俺の下半身を見ると。


「だ、大丈夫です。ちゃんとぶじですから」


「……ありがとう、なんとなく分かった気がする」


 そう言って曽根田ちゃんの右手を取って握手した。


「また明日も来てくれないかな」


「えっ、あ、はい。大丈夫ですけど」


「良かったありがとう。じゃあまた明日ね!」


 そう言って男子トイレに曽根田ちゃんを残して帰った。

 恐らくこの傷に秘密がある。自分では発見できないこの傷。その犯人を見つけることができれば浅沢への手がかりが分かるかもしれない。でも、もし分かるとしたらそれは、


 人外の仕業かもしれない。



 次の日。公園を待ち合わせに曽根田ちゃんと合流した。曽根田ちゃんは少しもじもじしていたが、自分の仮説を言うと少しだけおとなしくなった。


「本当に、そんなものが?」


「あくまで可能性だけど、浅沢は最近通学の時けがをしてた。それがある場所を通ったせいで、妖怪のせいだとしたら。なるべく早く見つけないといけない」


「でも、それじゃあ……」


「希望を捨てることなんてできない。協力してくれる?」


「……分かりました。アサちゃんのためにも、わたし頑張ります」


「ありがとう」


 昨日回った道順を一回通るごとにお互いの身体を見て傷がないか確かめた。曽根田ちゃんは恥ずかしそうにしていて、俺も正直恥ずかしかったがそうこう言っている場合じゃない。


 一つ一つ丁寧に通る。昨日あれだけ走ってお互いできた傷は二つ。つまり、傷が一つでも増えればその道が――


「あっ! 太もも大丈夫ですか!?」


見つけた。


 八丁目の裏路地。他の道から行くより体感少し早く感じる通り道。実際はそう早くもならないけど。浅沢のことだ、この道を新しく見つけて通り始めた可能性は高い。



 俺たちは路地の前に立った。この道を通り過ぎた後、傷ができたことは分かった。でも実際には何も見なかったし痛みも感じなかった。

 まだその正体を感じてすらいない。この痛みのない傷口だけでは。


「曽根田ちゃんちょっと待っててね、行ってくるから」


 近くのスポーツ用具店で買った3000円くらいする金属バット。財布にはまあまあのダメージだが武器無しよりは心強い。


「柿田くんやっぱり危ないよ。もし見えないくらいの早さなんだったら勝てっこないし。け、警察とかに相談したほうが良いんじゃないかな」


「そんなの相手にしてくれるわけないって。相手にしてくれるまで待ってたら浅沢がどうなるかも分からない。なるべく早く行動しなくちゃいけないんだ」


「でも!」


 曽根田ちゃんを置いて一歩一歩路地を征く。

 日の光は路地とはいえ昼間だから普通に差してるし、人影も、猫の影さえない。何もない無機質の双璧に包まれているだけ。

 15m程度の細路。何か現れるにも目で捉えられる場所のはず。


カラン


 バットが落ちた。左腕の力だけでは支えるのに不十分だったからだ。そう気付いたのは数十秒後。無意識世界に落ちた右腕。残った左手で空を探り、なんとか探り当てて掴み振るうと右腕に神経が通った気がした。


「うおおおおおおおおおお!!!!!!!!」


 走った。両腕を振るって。恥も無く。生きるために。自分の身体全てがまともにあると思いながら、脳を止めず、足を止めず、他のことなんて全て忘れて無我夢中で走った。人のいる方へ!


 裏路地から身体を投げ出す。地面に擦れる肌の感覚が痛くて嬉しくて生きていることを実感する。しがみ付いた他人の足にはちゃんと両腕が付いている。俺は生き残った。生き残ったんだ!


「ハハハ、ハハハ!」


 顔を上げると彼女の顔があった。その目が一瞬、俺を蔑んでいるように見えた。

 引きつったその顔に心配の色が付いて、大丈夫ですかと問われても。俺は、何も言うことができなくて。置いてきたバットを再び握りに征くこともなく、彼女の腕の中で泣くことしかできなかった。





ガタン……ガタン……


 バスが揺れる。静かな車内を和ませるようにガタンガタンと鳴っている。

 遠くで雨の音が聞こえる。このバスの外、窓の奥では無数の線が流れている。


 ……俺は、愚痴を漏らすこともできないまま、それらをじっと眺めている。


 ふと、床に視線を落とすと誰かの忘れ物が落ちていた。

 忘れていたとも言えないような小さな紙くず。学生がカバンを開けた拍子にでも落ちてしまったんだろうか、それとも変に千切れてしまったから捨てたのか……。


 俺はそこに何か書かれているのかと気になった。退勤の暇つぶし、家で待つ千恵美ちえみへの土産話、虚無の手慰み。


 手を伸ばして、……指先を畳む。


 バスが停まる。俺の降りる場所だ。

 明日も頑張らなければならない、これからの人生のために。


 カバンを手に取り、バス停を後にした。

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