第3話 コンプレックス

 亮二さんと出会ったのは、僕がこの事務所に来たからだ。

 そして、僕の足がここに向いたのは、あのバーでの出来事にあった。


「待っているよ」


 渡された名刺を見つめ、戸惑っていた僕に一杯の酒が出された。

 オーダーに迷っていた僕は、まだ一つも頼めず、予想もしていなかった状況に少し混乱していた。


「え……僕はまだ何も……」

 今まで何も話さなかったバーテンダーが口を開く。

「ロングアイランドアイスティー」

「アイスティー?」

 クラッシュドアイスの入ったコリンズグラスに注がれているものは。

 確かに……アイスティーみたいな色の飲み物だ。

 だけど……。

 僕は、グラスを手に取り、一口飲んだ。


「強っ……」

 ケホッと軽く咳き込む僕にバーテンダーは穏やかに笑う。

 意外に親しみ易い人なんだな……。


 バーテンダーは、優しげに微笑みながら言葉を続けた。

「紅茶を使わず、紅茶の風味を味わえるカクテルだよ」

「うん……確かに紅茶の味がするけど、見た目より強い酒ですね……」

「まあ、四種類のホワイトスピリッツを使っているからね」

「どうして僕にこれを……?」

「様々なものが混ざり合って、一つのものが出来る……様々なものを混ぜ合わせるから出来るんだ。君が何を求めているか、ショウには分かるんだよ。まあ、僕にも分かったけどね?」

「ショウ……?」

 僕の目線が名刺に向く。

 北川 ショウ。


「ああ、さっきの男、ショウとは昔からの友人なんだ」

「友人……ああ、だから……」

 オーダー無しで酒が提供されるのも納得、だ。

「僕は三崎 圭介。ショウと同じでね、君みたいに悩んでいる人を見ると放って置けない性分なんだ」

「僕が……悩んでいる……?」

「ああ。行き止まりに当たって、引き返す事もどうやって先に進むかも放棄している。その場に留まる事もいいとも思っている。納得なんかしていないのにね。違う?」

「そう見えたとしたって……どうして僕に……」

「お節介だと不快に思うなら残していいし、代金もいらないよ」

「いえ……」

 僕は、受け入れるようにもまた一口飲んだ。

 アルコールが体に沁み渡る。胸に響く。

 これが転機だというなら、それもいい。

 先なんて見えてはいないが。

 探偵なんて、今までの生活の中で関わり合う事なんてなかったし、関わろうとも思わなかった。

 況してや僕に探偵が出来るとも思えない。

 だけど……。

 もう一口をゆっくりと飲み込む。

 冷たい飲み物が反対に胸を熱くさせていく。


 じんわりと温かいものが胸を中心に体中に広がっていく頃には、答えが見つかっていた。


 僕は、代金をカウンターに置くと席を立った。

 ドアを抜けると同時に言葉を置いていく。


「また……来ます。ありがとうございました」



 感情の勢いに押された感はあるが、僕は渡された名刺の住所に向かい、探偵事務所のドアの前にいた。

 ここまで来て、インターホンを押すのを躊躇っている。

 なんの知識も経験もない僕が……本当にここに足を踏み入れていいのか……?

 いっその事、依頼しに来たフリをして、どんな雰囲気なのか把握してから……。


 色々と頭を悩ませてはいたが、決心してインターホンを押そうとした時に、向こう側からドアが開いた。

「あ……」

「待っていたよ、中川 ユウくん」

 え……。

 僕を……僕が来る事を知っていた……?

「どうぞ、中に入って」

「あ……はい」

 驚きは隠せなかったが、言われるままに中へと足を踏み入れる。

 勧められたソファーに座ると、彼は僕の向かい側に座った。

「あの……オーナーは……」

「ああ、外出中。キミの事は聞いているよ。いい人材が見つかったってね」

「いや……僕はまだ決めた訳では」

「ここに来たって事は、決めたって事だろ?」

「探偵なんて……僕に向いているとは思えない。況してや、他人に調べられるなんてプライバシーの侵害じゃ……」

 僕の言葉を遮って彼は言った。

「依頼を受ける際には、内容を把握した上でやっている。なんでもかんでも引き受けている訳じゃないよ」

「そうは言っても、みんな誰だって知られたくない事だってあるんじゃないですか? 知らなくていい事だってあるんじゃないですか? それが悲劇を招く事になる事だって……!」


 つい感情的になり、畳み掛けるように言った僕を、彼は穏やかな表情で……いや。


 明らかに僕の感情を逆撫でしたんだ。



「悲劇を喜劇に置き換えて、コンプレックスの解消か?」



「なにを……どういう意味で言っているんですか……?」

「キミを見ていると思うよ。目的のない日常に退屈を感じている。次第にそれが不満を募らせて、充実して生きている人に羨望の目を向けながら、自分には何もないからだと妙に納得して、悲劇の主人公にでもなったつもりで同情を求める」

「な……」

「それでいいとか、だから当然だとか、自分自身が納得出来る理由を演じているんだよ」

「僕が僕を演じている? あなたに僕の何がっ……僕はっ」

「本当はこんなはずじゃないって思っているのに?」

「っ……!」

「俺が言っている事は、キミがさっき言った事だよ」

「そんな事、言っていない」

「言ってるだろ。『探偵なんて、僕に向いているとは思えない』その言葉がコンプレックスだって言ってるんだよ。そう口にする事で枠に収まり可能を閉ざす。悲劇の主人公を演じながらも、キミは自分を遠目に見ているって訳だ。遠目に見る事で、不満を解消しているんだよ」

「僕は……」

 口を開いたはいいが返す言葉が見つからず、口を噤んだ。

 その通りだと思ったからだ。


「俺は向いていると思うけど?」

「そんな訳ないじゃないか。ここまで言われて……揶揄っているとしか」

「揶揄っているって? だったら笑い話になるだろ?」

「笑い話?」

「笑えよ、ユウ」

「笑えって……言われたって……」

 突然、名前で呼ばれた事に僕は戸惑った。

 言葉に詰まる僕に、彼は言葉を重ねる。


「笑えよ、ユウ」

 この人は……。


 僕を真っ直ぐに見るその表情は、偽りのない本心を僕にぶつけてくる。

 僕という存在をここまで真っ直ぐに見た人は今までにいただろうか。


 ……いなかった。


 僕だって、人に対してそこまで深い感情でぶつかる事などなかった。



「可能性などないって自分を騙せる事が出来るんなら、向いてないなんて言葉、蹴散らして笑え。自分をそう騙せるくらいに嘘でも笑え」


 にっこりと向けられる笑みに、僕は決心した。

 この人について行ってみようと。

 ここに居場所があるような気がして。

 例え出来なくても出来るようになろう。

 この向上心が。


 生きているという実感を与えていた。

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