アイオーン館の終夜奇譚

麦ノ蜜柑

プロローグ


『わたしたち人間は不完全な生き物で、中途半端な存在なのです』――メアリー・シェリー




満月。

月明かりが静かに街を照らす中、郊外にある古ぼけた屋敷だけは、周りに生い茂る背の高い木々に囲まれていて、月明かりすらも届かない。


まるで月からも見放されたような暗い影の屋敷のバルコニーで、一人の男が本を読んでいた。孤独な怪物が、自己の存在について自問自答していく悲劇的物語。悠久の時の中、何百回と読み返した作品だが、良い作品は何十年、何百年と生きても色あせることはない。


男は安楽椅子に座り、開いた本をぼうっと眺めていた。ページをめくる手は長いこと動いていない。真っ暗なバルコニーでは、文字の判別すら難しい。何年生きても、人間は暗闇で文字が読めるようにはならないようだ。


文字を追うのも難しい闇の中では、これ以上の読書は難しい。男はふう、と息をつきぱたんと本を閉じた。読書を切り上げて自身の邸宅の中に入ろうと半身を起こしたとき。



オオーン……オオーン……



遥か東からわずかに聞こえてきた音に、男は動きを止めた。

爛々と赤い左目を光らせ、さっと音のした方を向くが、遠吠えのような、遠くに響いた音はもう聞こえなくなっていた。それでも男は、安楽椅子からすっと立ち上がると、虚構の中をじっと見つめた。

闇の奥の奥、遥か東の声の主を捕捉し、獲物を見つけた肉食獣のように、にたり、と歯を見せて男は笑う。


「ああ……ステキな仲間が増えそうデスね」


男は、そのまま身を翻し、屋敷の中へと消えていった。


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