SCENE#37 砂の記憶、永遠の赦し
魚住 陸
砂の記憶、永遠の赦し
第一章:燃える砂漠と渇いた心
灼熱のアジアの砂漠は、まるで巨大な鉄板のように照りつけ、容赦なく旅人、老いたカーンの皺だらけの肌を焼いていた。何日も、何週間も、彼はただひたすらに、途方もない距離を歩き続けていた。足元で乾いた音を立てて砕ける砂は、長年雨が降らぬこの地の厳しさを物語り、それは彼の乾ききった心を映す鏡のようだった。広大な静寂の中、時折吹き荒れる風が、乾いた砂を巻き上げ、「ヒュー、ヒュー」と嘆くような音を立てるたび、カーンの心臓は鉛のように重くなった。彼の胸には、鋭利な刃物で抉られたような深い傷跡があった。
数年前、最愛の一人息子のアミールを、悪質な熱病が突然奪い去ったのだ。まだ二十歳にも満たないアミールは、無限の可能性を秘め、未来への希望に瞳を輝かせていた。カーンは、常に威厳を保ち、感情を表に出さない厳格な父であった自分を、今となっては激しく悔やんでいた。もっと優しく言葉をかけていれば、もっと彼の内なる声に耳を傾けていればと、後悔の念は、絶え間なく吹き付ける砂漠の熱風のように、彼の全身を苛んでいた。
アミールは絵を描くことに夢中で、いつか故郷の風景や人々の暮らしをキャンバスに収めたいと語っていた。カーンがいつも持ち歩いている、色あせた革の袋の底には、アミールがまだ幼い頃、初めてカーンの顔を描いたという、折り目のついた絵の切れ端が大切にしまわれていた。
しかしカーンは、「絵など何の役に立つ」と一蹴し、息子には堅実な商人になることを望んでいた。あの時、アミールの瞳から光が消え、夢が打ち砕かれた瞬間を、カーンは決して忘れることができない。それが、彼らの間にできた深い溝の始まりだった。
ある日のこと、どこまでも続く単調な地平線が、陽炎によって奇妙に歪み始めたその先に、ゆらめく何かが見えた。最初はいつものように、熱気によって生み出されたただの蜃気楼だと思った。しかし、それは次第にはっきりとした形をなし始め、見慣れたシルエットの若い男の姿へと、ゆっくりと、しかし確かに変わっていった。すらりとした背丈、少し内股気味の歩き方、そして何よりも、遠くからでもわかるあの優しい佇まい。それは、まさしくカーンが夢にまで見た、亡き息子アミールの姿だった。
カーンの心臓は、乾いた砂漠に落ちた一滴の雫のように、激しく脈打ち始めた。幻だと頭では理解していても、彼の老いた足は、まるで磁石に吸い寄せられるように、その幻影へと向かっていた。喉の渇きも、足の痛みも、その瞬間、彼の意識から消え去っていた。
第二章:幻影との再会
蜃気楼のアミールに近づくにつれて、彼の姿はまるでそこに本当に存在するかのように、より鮮明になっていった。彼は数年前と寸分変わらぬ姿で、砂漠の中に静かに立っていた。少し憂いを帯びた、しかしどこまでも優しいあの眼差しが、遠くからでもカーンを捉えているようだった。カーンは乾ききった喉を無理やり開け、震える声で、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと呼びかけた。
「ア…アミール…なのか?」
蜃気楼のアミールは、ゆっくりと、しかし確かにカーンの方を向き、生きていた頃と全く同じ、穏やかで安心させるような微笑みを浮かべた。
「父さん、長い旅でしたね…」
その声は、カーンの記憶の中で何度も何度も再生された、若々しく、そして温かいアミールそのものの声だった。その瞬間、カーンの目から、まるで干上がった大地に落ちる恵みの雨のように、一筋、そしてまた一筋と、熱い雫となってこぼれ落ちた。広大な砂漠で、生涯で初めて流す、心の底からの涙だった。
カーンは、まるで目の前の光景が消えてなくなるのを恐れるかのように、ゆっくりと、しかし確かな足取りでアミールの幻影の前に辿り着き、膝から崩れ落ちるようにして砂の上に座り込んだ。喉はまるで焼け火箸で焼かれたように渇ききっていたが、今の彼には、砂漠の熱気で霞む水よりも何よりも、アミールの優しい言葉が、その真実を知りたいという切実な願いが、彼の心を支配していた。
「なぜ…ここに…お前はもう…」
アミールは、まるで生きていた頃のように自然な仕草で、父の隣に腰を下ろすような動きをした。もちろん、その体は砂をわずかに揺らすだけで、実体を持つことはなかった。
「父さんが私を呼んだからです。父さんの心の奥底にある、癒えることのない後悔の叫びが、ずっと私をこの場所に呼び続けていました…」
カーンはアミールの言葉に、深く俯いた。まさか自分の拭いきれない後悔の念が、死んだ息子をこのような形で縛り付けているとは、想像もしていなかったからだ。蜃気楼のアミールは、悲しみに打ちひしがれる父の肩に、そっと手を伸ばすような仕草をした。
もちろん、その冷たい風のような手は、カーンの体を何の抵抗もなく通り抜けていったが、なぜかカーンの心には、微かな温かさが確かに感じられた。それは、かつてアミールがまだ幼かった頃、眠るカーンの額にそっと触れた、あの優しい手の感触によく似ていた。
第三章:交錯する想い
「私は…お前が本当に望んでいた、絵描きになるという夢を…許してやれなかった…」カーンは、まるで喉に砂が詰まったかのように、掠れた声で絞り出すように言った。
「頑固で、厳しすぎた。お前が心の奥底でどんなに苦しみ、葛藤していたか、全くわかってやれなかった…」
アミールは、静かに首を横に振った。「父さんの厳しさは、確かに私を苦しめましたが、同時に、この厳しい世界で生き抜くための強さを与えてくれたのも事実です。ただ…ほんの少しだけでも、私の言葉に、私の気持ちに、耳を傾けてほしかったのです…」
カーンはアミールの言葉に、まるで雷に打たれたかのようにハッとした。彼は常に自分の経験や価値観を絶対のものとし、息子の言葉を真剣に受け止めようとしてこなかった。アミールの内なる声に、彼は耳を塞いでいたのだ。
アミールは、遠い日の思い出を語るように、静かに続けた。
「私は、父さんの期待に応えたかった。父さんの自慢の息子になりたかった。でも、私には私自身の、誰にも奪うことのできない大切な夢があった。それを父さんに、ただ一度だけでもいいから、理解してほしかったのです…」
カーンは、生前のアミールが、自分の描いた粗末なスケッチブックを恐る恐る差し出した時の、あの少し不安げでありながらも、希望に満ちた輝く瞳を鮮明に思い出した。あの時、アミールは一体何を語ろうとしていたのだろうか。カーンは、その時、忙しさを理由に、ろくに話も聞かずに追い返してしまったのだ。今、目の前にいる蜃気楼となったアミールは、その時と同じ、まっすぐな眼差しで父の目を見て、静かに、しかし深く語りかけている。
生前には、お互いの心の壁が厚すぎて、決して実現することのなかった、本当の意味での親子の対話が、今、この乾ききった砂漠の中で、奇跡のように繰り広げられていた。砂漠の太陽は依然として容赦なく照りつけ、カーンの乾いた肌を焦がすが、彼の心には、これまで生きてきた中で一度も感じたことのなかった、静かで穏やかな安堵の光が、微かに差し込んでいるのを感じていた。
第四章:砂に溶ける後悔
彼らは、まるで長い年月を埋め合わせるかのように、夜が更けるまで語り続けた。アミールは、生前抱いていた誰にも打ち明けられなかった夢や希望を、一つ一つ丁寧に語った。カーンは、父親としての苦悩や葛藤、そして息子に対する拭いきれない後悔の念を、言葉を選びながら、時には言葉に詰まりながら、正直に打ち明けた。
時間がゆっくりと、しかし確実に過ぎていくにつれて、カーンの心に長年降り積もってきた重い後悔の砂が、まるで砂時計からこぼれ落ちる砂のように、少しずつ、しかし確かに流れ落ちていくようだった。アミールは、静かに、しかし力強く言った。
「父さん、私はもう、あの時の苦しみからは解放されています。今はただ、安らかです。私がこの場所に現れたのは、父さんの心が、長年の後悔の呪縛から解き放たれることを、心から願っていたからです。父さんは、もっと自分自身を許すべきです。私には父さんがいてくれて、本当に幸せでした…」
カーンは、アミールの優しい言葉に、初めて息子に対して、心の底からの感謝の念を抱いた。自分が犯した過ちを許してくれたこと、そして何よりも、自分の複雑な感情を理解しようと、こうして向き合ってくれていることに、深い感動を覚えていた。
砂漠の夕焼けが、西の空を燃えるような深紅の色に染め上げる頃、蜃気楼のアミールの姿は、まるで陽炎のように、徐々に、そして確かに薄くなっていった。その輪郭は曖昧になり、その声も遠く、微かなものへと変わりつつあった。アミールは、名残惜しむようにカーンを見つめ、最後に、あのカーンが何よりも愛した、優しく、そしてどこか寂しげな微笑みを浮かべた。
「もう、大丈夫です、父さん。私のことは、もう心配しないでください。さようなら…」
アミールの最後の言葉は、砂漠の乾いた風に乗って、カーンの耳に届いたか届かないかのうちに、その姿は、揺らめく陽炎の中に完全に溶け込み、跡形もなく消え去ってしまった。カーンは、燃えるような夕焼けを背に、広大な砂漠の中に一人残された。
しかし、彼の心には、これまで彼を苦しめ続けてきた重く冷たい痛みも、後悔の念も、不思議なほど消え去っていた。代わりに残っていたのは、息子との短い再会を通して得た、静かで深い理解と、言葉では表現できないほどの、温かい愛情の光だった。
第五章:砂に還る魂
夜の帳が静かに降り、無数の星々が、まるで砂漠に散りばめられたダイヤモンドのように、漆黒の空を明るく照らし始めた頃、カーンは、疲労困憊の体を砂の上に横たえた。彼の肉体は、長きにわたる過酷な旅と、感情の激しい揺さぶりに耐え、限界を迎えていたが、彼の心は驚くほど静かで、穏やかな湖面のようだった。生前の息子とは、結局のところ、言葉を交わすことはほとんどできなかった。
しかし、この奇跡的な死者との対話を通して、彼は初めて、息子の魂の最も深い部分に触れることができたのだ。カーンは、満天の星空を見上げながら、ゆっくりと目を閉じた。瞼の裏には、アミールの優しい笑顔が鮮やかに蘇り、彼の顔には、この上なく安らかな、穏やかな微笑みが浮かんでいた。
夜風が、疲れた彼の体を優しく撫でる。それはまるで、アミールの優しい手が、再び彼の頬をそっと撫でているかのようだった。砂は、静かに、そしてゆっくりと、まるで慈しむようにカーンの体を優しく覆い始め、彼の存在を大地へと還していくかのようだ。カーンは、息子との再会という奇跡を温かい胸に抱きしめながら、深い眠りにつくように、静かに息を引き取った。彼の魂は、砂漠の広大な一部となり、永遠に息子と共に安らぎを得たかのように…
翌朝、東の空がゆっくりと明るくなり始め、朝日が砂漠を黄金色に染め上げる頃には、昨日までそこに横たわっていた老いた旅人の姿は、どこにも見当たらなかった。ただ、彼が最後に身を横たえた場所に、ごくわずかな、周囲の砂よりも少しだけ高く盛り上がった小さな砂丘があるだけだった。その砂の盛り上がりの端には、カーンが生前肌身離さず持っていた、古びた革の水筒が、ひっそりと半分ほど砂に埋もれかけていた。
そして、夜の間に吹き荒れた風が、カーンが最後に残した足跡を、まるで記憶を消し去るかのように、ゆっくりと、しかし確実に砂の中に消し去っていた…
SCENE#37 砂の記憶、永遠の赦し 魚住 陸 @mako1122
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