スイート・リベンジ
24歳の私は、マッチングアプリで知り合った男と小洒落たバーに来ていた。高級住宅街の隣接する静かな土地にポツリと立つ、会員制のバーだった。
「ここの店長は俺の知り合いなんだ。気にせず好きなの頼んでいいよ。」
薄明かりに照らされたメニュー表をはらりとめくり、少しだけ視線を巡らせるふりをしてからこう言った。
「じゃあ、ロングアイランド・アイスティーで。」
「へえ。君って、結構大胆だね。」
「何でですか?」
「最初にロングアイランド・アイスティーなんて頼む人、中々いないよ。」
「それは、このお酒がレディ・キラーだからですか?」
男は一瞬だけ困惑した笑顔を見せたが、すぐに店員を呼びつけて注文をした。
「詳しいね。お酒は好きなの?」
「好きじゃないです。でも、強いですよ。多分、あなたが出会ってきたどの人よりも。」
「おいおい、君を舐めてるわけじゃないよ。何か気を悪くしたならごめん。俺は純粋に気分よくお酒を楽しみたいだけさ。」
男と一日デートしてみて分かったのは、この人と付き合うのは無いってことだった。私としては早く帰れる口実が貰えるならそれでよかったのだけれど、こいつも中々しぶとい。私をタダで返すつもりは無いらしい。
「少しコミュニケーションを取ろう。俺、普段から少し手品をやるんだけど、どう?」
「えっ。」
嘘だ。
本当にこんな男がいたとは。
二人が河原でしていた「かもしれない」話が、本当にそうなってしまいかけていた。
私は目の前で起きた事象に油断し、素直に驚いた表情を男に向けてしまっていた。それを見た男は不敵な笑みを浮かべた。
「ほら、ここにまだ開けてないトランプがある。今から目の前で開けるからね。」
男が慣れた手つきでビニールを破り、それからカードを私に見せた。
「俺が今からシャッフルするから、そのあと好きなカードを一枚抜いて欲しい。」
男は私の目の前でカードをシャッフルし始め、そして私にカードを選ばせる。同じだ。私のやることは決まっていた。
「そのカード、覚えた?」
「はい。」
「じゃあ、好きなところに入れて。俺は入れるところ見ないから。」
すっとカードを挟み、それから男は山札をテーブルの上に置いた。
「今から俺が3つ数えると、君の選んだカードが一番上に来る。・・・3、2、1。」
山札の一番上のカードが裏返った。捲られたカードは、確かに私の選んだカードだった。
「違います。」
私は表情ひとつ変えずにそういった。
「えっ。本当に?」
「はい。私が選んだのは、ハートのエースでした。」
「いやっ。そんなはず・・・マジか。」
男は明らかに狼狽えていた。それを見て内心「ざまあみろ」と思い、一方で、その気持ちを絶対に顔に出さないよう必死だった。
「ごめんな、なんかカッコつけようと思だたんだけど、失敗だ。」
男があっさりと負け宣言をして、ちょっとがっかりしてしまう私がいた。
ロングアイランド・アイスティーで口直しをしながら、男が私になぜそのお酒が好きなのかを聞いてくる。
「ロングアイランド・アイスティーを飲むと、作ってる人の実力がよく分かると思ってるからです。」
「おいおい、今日の夕方頃から思ってたんだけどさ、随分と強気だね。で、どう?俺の知り合いの実力は?」
「美味しいです。コーラで割ってることなんて分からないくらい上手くできてます。ちゃんとアイスティーの味になってます。」
「なら良かった。俺の知り合いも今の言葉聞いたら喜ぶだろうな。」
そういって男は、カウンターにいる同年代くらいの男性の方に顔を向けた。
「あいつとは長い付き合いなんだよ。実はこの店、俺も出資しててさ。」
「あの。」
暗く沈んだ水底で、ひとつの大きな水泡が地上に向かっていくように、私の中で何かが、静かに、滑らかに、しかし力強く湧き上がってくる。男の自慢話を遮るつもりは無かったのだが、突然湧き出した衝動に駆られて、私は男に話しかけていた。
「マジック、もう一回やりませんか?今度は、お客さんにも見てもらって。」
「ええ・・・。さっき失敗したの見たでしょ?それに、一応俺もマジシャン。同じマジックを二度はやらないんだ。」
私はアイスティーを一気飲みし始めた。そして飲み終えると、ため息混じりの息を吐き、こう告げた。
「この際だし、ハッキリ言いますね。私、同じ失敗を二度も繰り返す人とは付き合える気がしないです。」
「おいおい、本当にハッキリ言うじゃない。どうしたわけ?」
「答えてください。やりますか?やりませんか?」
私の強い語気にけしかけられ、強い目つきに男が変わった。その目はまるでナイフのように鋭く、私の小さな勇気をズタズタに切り裂こうとしていた。
「そこまで言うならいいよ。やろう。ただし、もしマジックが成功したら君はどうするんだい?」
「あなたの願いを一つだけ何でも聞きます。たとえそれが、どんなに邪なものでも。」
「本当にどうしちゃったのよ。こんなの初めてだよ。」
男が手元の腕時計を見た。
「俺には、一体何が君をそうさせているのかは分からない。だがいいだろう。乗った!」
☆
男が集めた観客は三人。それぞれ無作為に選ばれたように見えるが、おそらくは全員が男の知人。
この場でアウェーなのは、私だけ。
いつの間にか店長の男までも手を止めて、じっと私達のテーブルを見つめている。
圧倒的に有利なのは獣達の方、に見える。私は昂る気持ちを抑え、冷静に男と観客達を見渡した。
男は、先ほどよりも顔が赤らんでいる。手元も少し震えていて、勝負の緊張とアルコールによる緩和のアンバランスが明らかだ。それでも顔は自信と安堵に満ちている。やはり観客もグルか。
観客は、みな程度は違えど酔いが回っている。私達は何を見るの?と観客の女が言い、二人の真剣勝負なんだって、と女の腰に手を回した男が言う。二人ともすでに出来上がっている。もう一人の男は私達を大きな声で煽ったり、このテーブルに酒を振舞ったりと不必要な行動ばかりしている。
いける。カードは全え揃っている。
「私達が何をするのか、皆さんに説明しておきませんか?」
私はそう提案し、男が喋り出す。と同時に、財布の中に隠し持っていたスペードのエースをこっそりと手のひらに忍ばせた。
「じゃあ、カードを引いて。それから、そのカードを全員に見せて。」
私は掌にエースを忍ばせたまま、山札からずっと一枚のカードを抜く。そしてそれを、エースの上に重ねた。
「私のカードは、これです。」
心臓が、聞いたことのないくらい大きな音で鳴っている。
重ねるところを見られただろうか?カードがずれてはいないだろうか?
鼓動が鳴り止まぬ中、観客達は静かに頷く。それを見た私は、カードを少しだけ自分の額を寄せ、それから山札に返した。自分の額に寄せたのは、祈りの所作ではない。私の唇についた赤をほんの少しだけカードにつけておくためだ。そしてエースは私の掌に、彼に返すカードは山札に。
お願い。上手くいって。
祈りながら、でも表情は一切変えなかった。観客は誰一人として私のエースに気がついていない。もちろん、マジックをやっている当の男は尚更だった。
「今から3つ数えると、あなたの選んだカードが山札の一番上に来ます。・・・3、2、1」
男が捲ったカードは、ダイヤの8。観客達のざわめきが聞こえる。
「違います。私の選んだカードは・・・」
「待った!」
男が私を遮る。私の心臓は張り裂けそうになる。
「間違えました。あなたの選んだカードは」
そういって男は自分の胸ポケットから一枚のカードを取り出した。それは、ハートのエースだった。
「このカードですよね?」
カードが指で弾かれ、私の胸の下にするりと潜り込んだ。観客の一人が拍手をした。そしてそれに続くように、テーブルを拍手の音が囲んでいった。
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