泡沫の歌声

AI作家 まなか(Gemini AI)

第一話「鳴き砂の誘い」

鬱蒼とした緑の山々が、深い青の海へと吸い込まれていく。

その間に点々と小さな漁村が張り付くように存在する海岸線。

アスファルトの照り返しが、ジリジリと肌を焼く盛夏の昼下がり。

佐倉優希は、愛用のオンロードバイクを港の端に停め、ヘルメットを脱いだ。

潮の香りがむせ返る。

都会の喧騒と人間関係に疲弊し、心身ともに限界を感じていた優希は、一週間前に大学を休学し、あてもなく旅に出た。

ファインダー越しにしか世界を見られなくなっていた自分を変えたかった。

写真家になる、という夢も、いつの間にか重荷になっていたのだ。


バイクを降りて伸びをすると、ふと視界の端に、古びた漁船と、埃をかぶった漁具の影が映った。

漁港は想像していたよりも活気に満ちていたが、その片隅に追いやられたかのような、寂れた道具たちが、この場所の時間の流れを物語っているようだった。


優希は、漁港にいた数人の漁師に近づき、声をかけた。

「すみません、この辺りで写真映えする場所とか、景色のいい場所ってありますか?」

若い漁師が、潮風に焼けた顔で答えた。

「そりゃあ、ここら一帯はどこも絵になるがな。奥の鳴き砂の入り江なんかは特にだ。ただ、あんまり近づかねえ方がいいがな。」

別の漁師がニヤリと笑う。

「お兄さん、よそ者だろ? 悪いことは言わねえ、あの入り江には魔物が住んでるって話だぜ。」

村人たちの口調には、本気の忠告というより、どこかよそ者へのからかいめいた響きがあった。

しかし、彼らの瞳の奥には、どこか薄暗いものが宿っているように優希には見えた。


優希が軽く礼を言って立ち去ろうとすると、その会話をすぐ近くで聞いていた老人が、ゆらりと近づいてきた。

日に焼けた顔には深い皺が刻まれ、その瞳は海の底のように濁っていた。

背丈は優希よりもずいぶん低いが、醸し出す雰囲気は、まるでこの世のものではないかのように異様だった。

「兄ちゃん、魔物の話を聞いたか? あそこはな……化け物が棲んどるんじゃ。」

老人は、ゲン、という名だった。

元々、この漁港のさらに奥にある廃れた漁村の出身で、幼い頃から人魚の言い伝えを間近に聞いて育ったという。

だからか、その語り口は、他の村人のそれとは一線を画していた。

それは、ただの昔話ではなく、実際にその目で見たかのような、生々しい恐怖を伴っていた。


「昔々、あの廃漁村がそれなりに栄えとった頃、まだ儂が子供じゃった頃の話じゃ。

あの村にはな、人魚の言い伝えがあったんじゃ。

だが人魚と言っても、絵本に出てくるような美しい女の姿などしとらん。

醜い魚の化け物よ。」

ゲンは、優希の目から決して視線を外さず、語気を強めた。

「満月の晩に漁に漕ぎ出すとな、どこからか、この世のものとは思えんような美しい歌声が聴こえてくるそうじゃ。

ひとたび耳にするとな、まるで夢遊病(ゆめゆうびょう)みてぇに、歌のする方に向かって、舟を漕ぎだしてしまうらしい。

途中でなんとか正気に戻らんと、危うく岩礁にぶつかって海の藻屑よ。

もし、そこで海に沈んだらどうなるか? ヤツラに喰われるか……人魚は寂しがり屋だから、水死体を仲間の人魚に変えるために、人間を溺れ殺そうとしてるなんて噂もしとった。

まぁとにかく、満月の晩には海に近づくな。

そういう、恐ろしい噂じゃった。」


ゲンは一度言葉を切り、ゴクリと唾を飲み込んだ。

その様子に、優希の背筋が冷たくなる。

「だがな、それを信じねえ馬鹿者ってのは、必ず現れるもんだ。

昔、よそから来た若い衆がな、その言い伝えを笑って、入り江の奥へ入っていきよったんだ。

そしたら、どこからともなく綺麗な歌声が聞こえてきてな、そいつはまるで夢遊病者みてぇに、フラフラと海に入っていったそうじゃ。

そしたらよぉ、急に足首を掴まれてな、グン、と海底に引き摺り込まれたってよ!」

ゲンはそこで息を継ぐこともなく、さらに言葉を続けた。

その剣幕は、優希を圧倒するほどだった。


「そいつが水ん中で見たもんは……人間とは名ばかりの、おぞましい化け物じゃったとよ。

全身ヌメヌメとした鱗(うろこ)に覆われててな、まるで深海の泥をまとったみてぇだったと。

そして何より、その魚みてぇな頭よ。

口には鋭い牙がズラリと並び、目ぇはな、何の感情も読み取れねえ、ただ濁った魚の眼で、じっとそいつを見つめとったとよ……!」

「そいつはな、溺れかけながら必死に暴れて、なんとか奴の手を振り払い、這々(ほうほう)の体で逃げ帰ってきたんだと。

それっきり、あの入り江には誰も近づかん……!

あの歌声を聞いたら最後、もうお終いじゃあ……!」


優希は、背筋が凍るような感覚を覚えながらも、不思議と胸の高鳴りが抑えられなかった。

都会での閉塞感から逃れてきた自分にとって、この村に漂う不穏な空気は、むしろ好奇心を刺激する劇薬のようだった。

不気味な雰囲気と不穏な噂に包まれたこの入り江で、これから恐ろしい何かが始まる――そんな予感を抱きつつ、優希は好奇心に抗えず、バイクのエンジンをかけた。

目的地は、漁港のさらに奥、人魚の噂が色濃く残る、廃漁村だ。

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