普通の人への応援コメント
これはこの作品を読んで感じたテーマに関する感想をそのまま書いたものなので、少し支離滅裂な文章が残ってしまっていた場合申し訳ありません。
人は人の頭で理解するにはあまりに膨大な世界のことわりを理解せずとも円滑に生活できる様に、何か真実に変わる代数(偏見)の様なものを使って擬似的にそれを理解したと納得して前に進んでいる様に感じます。
その結果、個々の生活はそれなりに成り立っているものの、ネット社会や公人により公になれば少なからず穴があることが指摘されたり、それを正しいとした上での政策や行動には何かしらの失敗がついてまわることもあると思います。
ですから、そう言った失敗が少なくなる様に一般的な生活や何か政治的な決断を決めるものの手助けとして、学者と呼ばれる物事の細部まで突き詰めて先人や後世の人類と連携しつつ物事の理を追い続ける人々がいると思います。
しかし、そう言った知識の伝達の為には互いの考えを別の代数(固有名詞)にして共有する必要があります。
ですがその共有の為に使われた、いわば暗号である代数が知識の共有の外側にいる人間にまで渡ってしまえば、間違った形で利用されてしまうことも多々起こってしまう事と思います。
例えば、今回であれば2:6:2のデータを使った政策は想定とは違う結果に終わってしまい、普通という認識に対する偏見は移り変わる社会に対応しないまま過去の中央値から更新されることもなく自称普通の人たちの中にあり続けたわけです。
それに近い現実の現象であれば医学的用語は理解されないまま段々と広がりを見せて、今では単なる現代社会における生活への適応に関する障害とされる病状も人としての性能面や築き上げた人格面に関する障害であると勘違いされてしまっている部分があると感じられます。
その上、それはなにか建設的な事柄に使われているわけではなく、自身の意見を正当化させる為などに使われたりもしているので、まさにどんな意見であっても自分の意見が正常(普通)であると主張している様な状況に思えます。
しかしその意見の詳細を聞けば、それには根拠が存在しなかったり、誰かの話が曲解されているものであったりと存外流通されている意見というやつも、人が何かを理解する為に生み出した代数の様なもので少し探せばどんどんと穴が見つかるのだから、どんな意見であってもあまり簡単に受け入れたり、受け売りで主張したりはできないものです。
でも、自分が普通(正常)であると信じるもの達からしたら、その意見が正しいと信じてやまないものであるわけですから、強い言葉も使ってしまうし、それ以上の追求をしようという試みもすでに失ってしまっていることが大半なので一度ついてしまった偏見という奴はとても厄介に思えます。
普通。これはとても抽象的で人と知識を共有する際に使う言葉としてはとても扱いにくいものでありますが、最近はこの言葉による他人への認知に関する綻びが大きく出つつある様に思えます。
代数と前提、こんな義務教育の数学で初めに習う様な事ですら認識が難しかったりするわけですし、前述したスペシャリストであるはずの学者ですらその扱いを誤ることが日常茶飯事なわけですから、人は人を知的生物などと奢る事なくもう少し謙虚に自らの知性と向き合うべきなのではないかなぁ、なんて自分自身に言い聞かせたくなりながらこの作品を読んでいました。
な〜んて、自分も近いテーマの話を書いたばかりだったのもあってか長く書いてしまいました。お邪魔しちゃってすみません。
思考が新鮮なうちにこの作品に出会えて良かったと思います。
ありがとうございました。
作者からの返信
柴山様。コメントありがとうございます。
作品も拝読しました。
もし、失礼があったら申し訳ないのですが、考えるスピードと表出するスピード乖離があるように感じられました。
あふれる考察に筆致が追い付いていないような。
とてもたくさんのことを、深く考えていらっしゃるのでしょうね。
そして、IQが20違うと会話が成り立たないという風説も思い出しました。そう感じるときもありますよね。
普通の人への応援コメント
namakesaruさん
お世話になっております、わきのです。
この作品は良かったです。いつもどおり(?)たいへん寓話的な話になっていますが、意外に珍しい方向性だったのではないでしょうか。
星新一的な毒なのですが、内容が極端で面白いですね。良かったです。
わきの
作者からの返信
わきの様。
こんにちは。
お世話になっているのはこちらの方ですよ(笑)
面白いとコメントくださり、嬉しいです!
ありがとうございます。