ファーストコンタクト

夜色

ファーストコンタクト

 やはりそうだったのだ。

 あの子は普通じゃない。私の見立ては間違っていなかったのだ。

 だいたい初めからおかしいと思っていた。夏休みもとっくに明けた十月の中頃に、突如として私立永理安高校に転校してきた女の子はそんじゃそこらの美人じゃなかった。顔の彫りは適度に深く、目も鼻も口も耳も眉毛の一本一本ですらも惜しむことなく最上の素材で作られたように綺麗で、スタイルだってアパレル店舗に置かれているマネキンかと見紛うほどのプロポーションだった。

 名前だっておかしかった。その名も「アース・ヤマト」さん。

 新作の殺虫剤かと思った。

 どうやら日本人じゃないらしく、どっか欧州の国からはるばるやってきた帰国子女とのことだけど、それにしたってキテレツな名である。とはいえ、美人が冠する名前なら不思議と洒落た響きに聞こえてくるもので、クラスメイトたちはさして不自然に思う様子もなく、アースさんアースさんと積極的に彼女に話しかけていた。

 しかし、私はただひとり思う。

 なぜ〝こんな状況〟に置かれている日本にわざわざやってきたのか。そしてなぜ〝こんな状況〟の最前線にもある我が校に入学してきたのか。腐っても進学校にカテゴライズされる永理安高校の転入試験は決して簡単なものではないはずだ。何かしら目的があってというのは間違いないだろう。

 疑問は日に日に疑念に、疑念は日に日に確信へと変わっていく。きっとあの子はなにか重大な秘密を隠しているに違いない。国家の陰謀を知る重要人物か、CIAやSVRのエージェントか。あるいは地球征服を目論む〝あちら側〟のスパイか──。妄想はいくらだって膨らんだ。

 そうしてアース・ヤマトが転校してから一ヶ月が経った頃だ。ある日、私は思わぬ形で真実を知ることとなった。

 昼休みの理科室だった。四限目の授業で筆箱を置いてきてしまったことに気づいた私は理科室まで取りに戻り、そこで偶然にもひとりで食事中のアース・ヤマトと出くわした。彼女はおにぎりを食べていた。人間の頭ほどのサイズもあるシャケおにぎりを。パックリとくす玉のように割れた頭の中から幾本もの赤黒い触手を伸ばした姿で。

 アースさんはあわてた様子でノイズ混じりの声で叫ぶ、

「油断したっ。ああクソっ、まずい、このままじゃまずいっ。とにかくお前っ。動くなよ、静かになってもらうっ」

 ああ──。

 やはり私は間違っていなかったのだと思う。

 彼女は普通じゃなかった。

 ただの帰国子女ではなく、ただの国家の陰謀を知る重要人物でもなく、ただのCIAやSVRのエージェントでもなかった。

 アース・ヤマトはエイリアンだ。

 人類を滅ぼすためにやってきた、美少女型女子高生系エイリアン。

 米粒のついた触手が勢いよくびゅるびゅる伸びて、悲鳴を上げかけていた私の口を塞ぎにかかる。



 初めて地球にUFOがやってきたのは十六年前の六月二十四日のことで、奇しくもちょうど私──新田トオルが産まれた年と日付けに合致する。

 イヤな偶然である。

 こうして地球は未確認生命体たちの超高度文明に為す術もなく蹂躙され、都市や文明は壊滅。あわれ人類たちはヒューマノイド型グレイ系宇宙人どもにペットとして飼われて芸をしこまれたり、タコ型鬼畜系宇宙人どもの家畜となってストール飼いの豚みたいに檻の中から首だけ出してメシを無理やり食わされ、挙げ句の果てに肥えた個体からバクバクと貪り喰われて、


 という悲劇はいまのところまだ起こっていない。


 UFOは十六年前から変わらず二十三区の上空約二万メートル付近を微動だにせずただよい、出来の悪いコラージュみたいに東京の狭い空にべったりと張り付いたままでいる。

 UFO襲来から最初の五年間は恐怖の時期だった。ついに世界の終わりがきたと人々は逃げ惑い、東京から人が消えるという事態にまで陥ったのだという。

 次の五年間は接触の時期だった。いつまでも侵略を始めず、ぶっきらぼうにただ二十三区の日照権を侵害するだけの巨大な鉄の円盤に意地を焼いた日本政府は、在日米軍にも協力を仰ぎ宇宙人とのコンタクトをはかった。具体的には、改良を施したLRADを東京中のあらゆる場所に配置し一斉に大音量の音楽をUFOめがけて発射したとのことだ。音楽に国境はないのだから宇宙人にも伝わるはず、という言い分らしい。ちなみに使われた音源はV6版の『WAになっておどろう』。作戦はもちろん失敗だった。

 それからの六年間は諦めの時期に入っていた。政府はUFOよりも経済と生活の立て直しのほうが大切だよねと思考を切り替えたようで、鉄道を始めとするインフラや役所なども再開された。東京に人々も戻り始めて、年がら年中UFO真下の薄闇の大都会の中をみな懸命に生きている。

「──人類は愚かだ。宇宙単位で見ればほんの一瞬の時しか経っていないというのにもう警戒心を解いて日常を再開している。我々がその気になればいつでもこの星をコロニーにできるというのに。まったく理解に苦しむ」

 そしていま現在。

 となりで柵から身を乗り出し、下界の人たちを見下ろしながらアースさんは恐ろしいことをつぶやいている。身震いする。十一月の学校の屋上は寒いからイヤだと私は言ったんだけど、「大事な話」をするならここがいいとアースさんに押し切られた。宇宙人は高いところが好きなのだろうか。

「でもじゃあ、なんでそうしないの?」

 私が問うと、アースさんは体の向きを変えて柵に背中を預けながら「我々が理性的だからだ」と答えた。

「理性的?」

「このような劣った文明でも淘汰することなく、我々はお前たちを宇宙社会の一員として迎え入れようとしている。異星文化との共存の道をお前たちに示しているのだ。何より、私はお前に正体がバレてもこうして生かしてやっているだろう。これが理性的でなければなんだというのだ」

「アースさんってさ、傲慢とか自己中ってよく言われない?」

「言われない。そもそもそんなひどい言葉、我々の文明にはない」

 でもまあ、私が想像するエイリアン像と比べればアースさんの考えは確かに平和主義的なのかもしれない。今まで色んなSFの本を読んできたけど、どの本を読んでも宇宙人というのは常に残忍で冷酷な奴らだった。地球人を見下しているのはフィクションも現実も変わらないけど。

「これまで九十九の異文明と我々は交渉してきた。そしてその全てと同盟を結んできたのだ。同胞になった種族には我々の持つ宇宙技術を提供し、さらなる文明の発展に貢献して、」

「分かったから早く偉い人と交渉してきてよ。十六年も東京上空でUFO停められてたらさすがに迷惑だよ。飛行機だってずっと飛べてないんだよ?」

「迷惑なんて言葉も我々にはない」

 アースさんはふてぶてしい鼻息を一発吐き出してから、次に重々しいため息をゆっくり吐いて、

「それに、我々も努力はしている。一方的な同盟締結にならないよう、お前たちの文化をできる限り吸収してから交渉に移ろうと思っているのだ。だが、お前たちの文化は多様すぎて学ぶのに時間がかかっている」

「ふうん。大変なんだね」

「大変どころじゃない。何なのだお前たちは。なぜ同じ人類なのに話す言語も歴史も考え方もこんなにバラバラなのだ。こんなこと他の惑星では一切見られなかった」

「私に訊かれても……」

「おかげで調査は難航している。人手が足りず、管轄外の私まで駆り出されている始末だ。まったくもって面倒極まりない。人間の体は手足が足りず色々と不便だし」

「もともとアースさんの管轄はなんなの?」

 ちょっとだけ言うのに躊躇した様子で、

「お掃除係」

「あんなに大きいUFOだと大変そうだね」

「そんな話はどうでもいい。それよりお前」

 不意にアースさんが右腕をのばしてきた。私の頭を鷲掴みにすると、眼光を鋭く光らせて私の顔をえぐるようにのぞき込み、

「私が異星人──お前たちの言葉でいうところのエイリアンだということは誰にも話してないよな?」

「は、話してない、よ」

「ウソじゃないだろうな」

「ウソじゃないって!」

 本当に話していない。

 この件に関しては、理科室でアースさんの正体を見てしまった日からずっと口止めされている。言ったら殺す、と。さすがに私も自分の命は惜しいので密告するような真似はしていない。沈黙は金である。

 ふんっ、とアースさんは私の頭から手をどかした。

「まあいい。一人二人にバレたところで人知れずなぶり殺しにしてやるだけだ。無論、バラしたお前もな」

「誰にも言ってないよ、本当に。これからもぜったい」

「信用できない。人類はよくウソをつくし約束も破ると聞く」

「そんな、ご無体な」

「だから、お前には今から二つの選択肢をやる。どちらか選べ」

 言って、アースさんは私の顔の前にピースを繰り出してきた。おそらく、これが話の本題なのだろう。

「な、なに?」

「まず一つ。──お前にはここで死んでもらう」

「もう一つはっ?」

「もう一つ。──私の伴侶になれ」

「それっ、それにしますっ」

あまり深く考えないで首肯し、数秒経ってからアースさんの顔を見た。

「はんりょって?」

「聞けば、人類はツガイを見つけるとお互い離れることなく一生そばにいる生き物というじゃないか。例外はあるらしいが」

「はあ」

「伴侶になればお前をそばでずっと監視していても誰にも不審に思われまい。ちがうか?」

 ちょっとちがう──。

 でもこの選択肢が消えてしまえば問答無用で私はお陀仏だ。ツッコミどころはこの際無視でいく。

「わ、わかった。いい……けど」

「けど、なんだ?」

「私もアースさんも女の子同士だし……伴侶はちょっと難しいんじゃないかな? せめて友達とかでも」

 アースさんは呆れたように肩をすくめ、

「なんだ。お前は人類のくせに同性愛や百合も知らないのか。勉強不足め」

「いや知ってるよ。知ってるけど」

「不満なのか。ならばお前が死ぬだけだ。私はべつにどちらでもいい」

「う、うう」

「ほら、さっさと決めろ。我々は待たされるのが嫌いな生き物なのだ。あまりにも遅いようなら殺す」

 どこが理性的なんだよと思う。

 ともかく私はうなずいた。時間もないなら、もう考えるだけ無駄だと悟った。

「よし」

 話が完結したようで、アースさんは笑顔を作った。この顔に騙された無垢な男子たちが何人いるんだろうか。

「ならばそういうことで。これからは私の伴侶として片時も離れるなよ。──トオルちゃん」

 冷たい風に背中を撫でられ、ゾクリと総毛立った。

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ファーストコンタクト 夜色 @mu10hiro

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