となりの天使

京野 薫

天使の矢

「……おい、今度こそ頼むぞ」


 小声でボソボソと話す俺の言葉に、隣でふよふよ浮いているこのポンコツは不満げに唇をへの字に曲げて言った。


「大丈夫ですって。この私を誰だと思ってるんですか! かの大天使直属の部署で結構な評価を受けた、未来の大天使ですよ。本来はあなたごとき愚民がそんな無礼な言葉など……」


「ベラベラしゃべんな! 角曲がっちゃったじゃねえか!」


「……あ」


 ああ……

 少し離れた場所を歩いていた小百合さゆりさんは、角を曲がって見えなくなってしまった。


「やばい! 追いかけるぞ」


「あの……」


「なんだよ!」


「すぐそこのカフェ……美味しいケーキ出してるみたいですね。コーヒーも美味しいらしいですよ」


 だから何だよ。

 こいつが何を言いたいのか完全に理解できたが、知らんふりして角を見る。

 何が「恋のキューピット」だ。

 俺は忌ま忌ましさを抑えながら、一ヶ月前からの事を思いだしていた。


(未来の大天使の後継者、ララと言います。我が部署の業務の一環であなたの子孫を増やす事となりました。なので、あなたと交尾する相手をあてがってあげます)


 夜中、枕元に現れてあまりに身も蓋もない提案をしてきたコイツ。

 頭の上の輪っかと、背中の羽。

 そして、ここまであった色々な出来事によってコイツが天使であることは信じた。


 だが……


「まずはそいつ……その矢で小百合さんを撃つのが先。もう一度確認するが、それで俺のこと好きになるんだよな! あの人」


「はい。良く愚民共の伝承に現れる『恋のキューピットの矢』これはまさしくこの弓矢による奇跡を語り継いだ物なので、バッチグーです」


「だったらそれを先にしろ。終わったら食わせてやる」


「……あ……段々と空に浮かぶ気力が……ひゃああ……これだといざ狙おうとしても……きっと狙い外れちゃうな。どうしよ、隣のオジさんとかに当たったら……」


 いやいやいや! 

 それ、考え得る限り最悪だから!


「おい! ちゃんと仕事しろよ! そんな事したら殺すからな」


「ふむ、人が天使を殺すとはこれいかに。ま、ケーキ一緒に食べてくれたら、さっきの暴言も忘れちゃうかもな……忘れなかったら、感情が乱れて手元狂って近くのカラスに矢、当てちゃうかも……」


「……分かったって。じゃあ食うぞ、ケーキ」


「きゃあ! だから好きです!」


 恋のキューピットが都合良く「好き」とか使ってんじゃねえよ。

 こいつ、マジで仕事する気あるのか。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 こうして羽と輪っかを消したララと一緒にケーキを食うという不毛な時間を過ごし、再度仕切り直し。


 それからララの力によってアッサリ小百合さんを見つけ、また離れたところでチャンスを伺う。

 今度こそ……あの、憧れの人と……

 ヤバい、想像しただけでニヤけ……って、おい。

 なぜか隣のララは俺の隣で寝転がった格好で浮かびながら、眠そうな顔をしている。


「おい……なにやってんだ。チャンスだろ。とっとと撃てよ」


「えっとですね……私、ふと考えたんです。愛ってこんな風に手に入れる物なのかな……って」


「はあ?」


「そうじゃないですか。愛する人と結ばれようとするなら、何らかの対価が必要。それは自分磨きだったり、手間を惜しまず動く労力だったり、自らの手を汚すリスクだったり……」


「……お前、急にもっともらしい事言ってるな」


「でしょ! 私、天使ですから。天使は愚民をあるべき場所に導くのが役目! なので今日は早く帰って、横になりましょう。で、残りのケーキを……痛い! なに叩いてんですか! 地獄に落としますよ」


「どう見ても落ちるのはお前だろうが。秒で分かる口実使ってサボろうとしてんじゃねえよ。……ってか前に言ってたもんな。恋の矢……だっけ? それ使うのは、上司の許可居るんだろ?」


「そうですよ。で、その許可を得るためには、使用するメリットを理解してもらわないと行けないんです。……ま、もちろん私みたいにバリキャリな天使にはそんな事余裕ですが」


 そう言ってどや顔をするララを俺は冷ややかに見た。


「たぶん上手くいってないんだろ、それ。書類書くの面倒! とか言って書いてねえんだろうが。どうせ」


「……そんな事ないですよ。バッチリです」


「ホント、天使のくせに嘘、下手だな」


 俺がジトッとした目で見ると、やがてララは両手を「やれやれ」と言わんばかりに上げると言った。


「ふっ、さすが私の見込んだ選ばれし者。白状しましょう。そうですとも、許可がまだなんです……もうちょっとだけお待ちを。あと数日」


「やっぱサボってたんじゃねえか。じゃあ後数日したらマジでちゃんとやるんだろうな」


「もちろん。私が今まで嘘ついたことあります?」


「嘘ばっかだろうが。……分かった。じゃあ帰るぞ」


 俺はため息をつきながら一緒に家に帰った。

 詳細は分からないが、どうも俺に子孫が出来るとコイツらにとって大きなメリットがあるらしい。

 詳細は不明なのが気になるが。


 なので、最終的には絶対に小百合さんと俺を繋げてくれるだろう。

 無理だったら……上司とやらに言って担当変えてもらうか。

 全く、この堕天使。

 担当変えになったら今までの食費や菓子代全部請求してやる。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 そして三日後。


 仕事帰りの俺はララと共に、コンビニを出た小百合さんの後を歩いている。


「おい、今日はいい加減やってくれるんだろうな」


「もちろんです。……ほら、この豪華絢爛な雰囲気の弓矢をごらんなさい。こんなの愚民共の世界で作るのは不可能」


「そんな講釈どうでもいいからとっとと撃てよ」


「まあまあ。場所を選ばせて下さい。ここは人目があるので」


「はあ? 惚れさせるだけなのに、なんでそんなの……」


 そう言いかけた俺の唇にララは人差し指を当てて、ニンマリと微笑んだ。


「色々と……あるんですよ。恋の成就には」


 はあ? 意味分かんねえ。


 だが、ララは俺に構わず小百合さんの後を歩き、やがて小百合さんは家に帰る近道である公園に入った。


「ふむ、ここなら防犯カメラも無いので、バッチリですね。……さて、では行きましょう。最終確認です。本当にいいんですね。あなたを愛する女性と……結ばれること」


「そのためにお前が来たんだろうが。当たり前だ」


 ララはうんうんと満足そうに頷くと、音も立てずに駈けだした。

 そして、少し離れた所で弓矢を構えると「ねえ」と小百合さんに向かって声をかけた直後……撃った。


 声に気付き振り返った直後、ララの放つ矢を頭に受けた小百合さんは、まるで人形のようにグニャリと倒れて動かなくなった。

 おお! ついに……やった!

 俺は倒れた小百合さんに向かって駆け出すと、ララを笑顔で見た。


「お前、やれば出来るじゃん! 小百合さんごめんなさい! こんな事して。でも、目覚めたらあなたは……って……」


 俺は小百合さんとララを交互に見た。

 倒れている小百合さん。

 その頭部には確かに矢が刺さっていた。


 だが……そこからは大量の血液が流れ、小百合さんの表情は見たことの無いほど不気味に歪んでいた……

 顔色も……真っ白。


「おい、恋の矢ってこんなリアルなのか? だったら最初に言えよ! マジで怖えだろうが」


「はい、リアルですよ。本物の矢なので」


 ……は?

 俺は足元に倒れている小百合さんの白目を向き、舌をダラリと出した顔から伝わる異様な空気を早く否定したくて苦笑いを浮かべた。

 だが、引きつってしまい上手く笑えない。


「もういいって、ボケは。ケーキおごってやる。よくやった。小百合さんは好きになるんだよな、俺を! 目覚めたら!」


「はて? 死んだ人間はもう肉の塊。好意も何も……魂だって地獄に落とすのに。薄汚い泥棒猫の魂……」


 微笑みながら話すララの姿が今まで見た事の無い別の「何か」に感じ、俺は震えた。

 コイツは……天然ボ……食い物……が、好きで……あれ?


「なんで……恋の成……就……」


 必死に言葉を搾り出す俺の前にしゃがみこんだララは、母親のような笑顔で俺の頬を触る。


「恋の成就ですよ。。気付きませんでした? 今日の私、羽も輪っかもありませんでしたよ。空にも浮かんでない。あなたと同じ人間になる許可を頂けたのです。……あなたと結ばれて子をなすために」


 俺はただ首を横に小さく振った。

 脳内がまるでショートしたように火花が散っている……

 小百合さん……いつ、目覚めるんだ?


 ぼんやりとしている俺にゆっくりと顔を近づけて、唇に長い時間キスをしたララは満足そうに頷いた。


「うん、いい感じ。ずっと言ってたじゃありませんか? 『恋の矢を使う許可を得るためには、使用するメリットを理解してもらわないと行けない』って。そのメリットを説明しやっと上司の許可を頂いたのですよ」


「でも……小百合……さん」


 ララはクスクス笑うとまた俺の唇に今度は軽くキスをした。


「私とあなたが結ばれて生まれた子。その子こそが、真の選ばれし者だったのですよ。最初は知りませんでした。最初は小百合とか言うゴミとあなたの子がそうだと私も上司も思ってた。だから、腹立たしいけど我慢してキューピッドをしてたんです。私の方がふさわしいのに……やる気にならなくて困りました。当然でしょ? 好きな男性とゴミをなぜ結び付けないと……ダメなの? あなたが好んで言う『マジでありえない』って奴です」


 僕は自分の視線があちこちに移っている。

 ララ……そっか、お前……今日カフェでまだケーキ……食べてないからか?

 ゴメン、今日は……いくらでも……


「大丈夫? もうちょっとだけしゃべらせてね。こういうのって相手への説明義務もあるんだ。……で、私があの子に負けてるのが不思議でしょうがないから調べてみたの。そしたら、私があなたと同じ身体になった上で産んだ子の場合、アイツよりも適正が上だったの! 早速上司に報告しけど、最初は許可してもらえなかった。過去に類例がない、って。だから……ちょっと脅しちゃった。そしたら、あの女が過去に数回信号無視してたのを使える、って教えてくれたので『選ばれし者の母に相応しくない穢れた魂』って認定してもらえたんだよ! だから、ついでにゴミ掃除もしたの」


 そう言うと、ララは妖しく微笑み俺を優しく抱きしめた。


「ゴミ掃除したら帰ろうね。。ずっと住んでたけど、これからは妻として帰る……ふふっ、なんか嬉しい」


 俺はララを突き飛ばすと、後ろに這いずった。

 逃げなきゃ……狂ってる……


 するとララは首をかしげて、さっきの弓矢を手に取った。


「そっか。まだ『恋の矢』撃ってなかったっけ? ゴミ掃除に気が向きすぎて忘れてた。……よし、準備オッケー。さ、行くよ。大丈夫。この矢はちゃんと恋の矢だから死んだりしない。当たった直後気を失うけど、目覚めたら……新しい世界が待ってるよ」


 必死に首をふる俺に向かって向いたハート型の矢の先。

 そしてララの見開かれた目。


「じゃあ行くよ……よろしくね、

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となりの天使 京野 薫 @kkyono

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