二、姜の一族
星雪はぷうっと頬を膨らまして、怒ったようにお茶をぐっと飲み干した。
「まったく、どうして私が華国に嫁がなくちゃならないのよ!」
星雪は祓いの儀を終え、一族が住み着いている華夷山に戻っていた。ここは、山奥に建てられた屋敷の一角、星雪の部屋だ。星雪の縁談話は帰ってすぐに族長である、巫女長の母から告げられた。大抵の人ならば喜事として喜ぶだろう。しかし星雪にとっては夢を壊されたも同じことだった。星雪は、一人前の巫女になり、独り立ちして、人々を救いながら生きてゆくのが夢だったのだ。それが、全て修行を終え、もうすぐ一人前と認めてもらえると思っていた矢先にそんなことを言われては叫び出したくなるのも、おかしくなかった。
姜家とは、古代から神に仕えてどの国にも属さず生きてきた流浪の巫女の一族である。姜家には女巫女も、男巫女もおり、その中から最も強い神、将軍の神が降りた巫女が、巫女長いわゆる、族長に選ばれる。今の巫女長は、星雪の母、星月だ。星雪には、天界の中でも浄化の力が強い、天女が降りていた。そして今日、その星雪に華国からの縁談話が舞い込んだのだ。
華夷山を背に都を構える大国である、華国には、いま、第一皇子から第五皇子まで誕生している。世子の座には第一皇子がつくのが通例だが、宮廷内では第三皇子をおす声が大きい。と、知識としては知っているが、その争いの渦の中に、これから飛び込むことになるのかと思うとぞっとせずにはいられなかった。
「星雪様は儀式をしていらっしゃる時は格好良いのに、屋敷の戻るとまるで幼子のようですね」
星雪の侍女、芙蓉が星雪の髪を溶かしながら困ったように言った。
「なによ。頭が悪そうとでも言いたいの?」
芙蓉は星雪が映る鏡を覗き込むとふふっと微笑んだ。
「違いますよ。かわいいんです。私が仕える巫女様は」
芙蓉の言葉に、星雪はふと顔を赤らめ、視線を逸らした。その温かい眼差しに、少しだけ胸のつかえが取れた気がした。
「でもね、芙蓉。私、こんなことのために修行してきたんじゃない。宮中で綺麗な着物を着て、お飾りのように過ごすなんて、まっぴらごめんだわ」
「そうですね。星雪様には到底暮らせそうにないですね。あんな縛られた場所なんて」
芙蓉の言葉に、そうね、とあいまいに答えた星雪は考え込むように黙り込んだ。遠い華国の皇帝が巫女を探していたという話。そして、唐突に持ち上がった縁談。全てが一本の線で繋がっている。だが、納得がいかなかった。なぜ私なのか、と。もっと見目の良い年頃の娘は、姜家にほかにもいるだろう。それになぜ母は私を薦めたのか。この前、そろそろ一人前の巫女と認めてあげようと話していたばかりなのに。
「なんで……」
「星雪様、巫女長様に聞いてみては?」
星雪は芙蓉の言葉に大きく頷いた。
「そうよ、そうするわ。お母様に直接聞いてみるのが一番ね!」
星雪は勢いよく立ち上がると、そのまま部屋を飛び出し、星雪は心の中で何度も問いかけた。
――なぜ、私なの?なぜ、一人前の巫女になる夢を奪うの?
母の部屋の前に立つと、星雪は一度深呼吸をして意を決して扉を叩いた。
「母上、星雪です。お話ししたいことがございます」
しばらくの沈黙の後、奥から穏やかな声が聞こえた。
「入りなさい、星雪」
扉を開けると、そこには座卓の前に座り、古文書に目を落としている母、星月の姿があった。静かで落ち着いた佇まいは、星雪の焦燥とは対照的だった。星雪は母の向かいに座り、芙蓉はそっと入り口近くに控えた。
「何の用かしら、星雪。そんなに慌ただしくして。どんな急用であったとしても人々を慰めるべき私たち巫女が、焦る姿を見せてはいけません。分かったら、おはなしなさい」
星月は顔をあげて鋭く星雪を見据えた。
「はい、わかりました」
星雪は少し声を震わせながら、本題を切り出した。
「華国との婚姻の話は本当ですか。なぜ、私なのですか。私は一人前の巫女として、人々のために生きていくのが夢でした。なのに、なぜ……」
「仕方がないのです。華国からですから。あれほどの大国の婚姻を断れば私たち姜家がどうなることか。母だってあなたの夢をかなえてあげたかった。だけど、華国の皇帝はあなたを望んでいらっしゃる。姜家の一族巫女長としての命です。華国へ嫁ぎなさい。星雪」
「……わかりました。婚礼の儀はいつですか」
「明後日よ。荷物の用意をしておきなさい。連れていく侍女は二人までよ。分かったら、お下がり」
「はい。失礼しました」
夜になり、星雪はなかなか寝付けずにいた。窓の外は、静かな山の闇に包まれている。明後日には、この唯一の安らぎの場所を離れ、見知らぬ地へと向かうことになる。
翌日、荷造りの準備をする間も、星雪の頭の中は華国のことでいっぱいだった。芙蓉が、手際よく着物や身の回りの品を詰めていく。
「星雪様、本当にこれでよろしいのでございますか?」
芙蓉が心配そうに尋ねた。星雪は、無理に笑顔を作った。
「仕方がないわ。母上が、姜家のためだと言うのなら」
その言葉は、自分自身に言い聞かせているようだった。
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