ストロベリーニャイト ワンダーナイト

遠藤孝祐

ストロベリーニャイト ワンダーナイト

 オレはネコである。


 名前は言いたくない。


 今日もオレの仕事である部屋の見回りを行っているが、どうにも勝手がおかしい。


 いつもはジャンプしなければいけないソファーの上も、体を伸ばしただけ届いてしまう。


「あれ? 今日のいちごくん。なんだかでっかいねぇ~」


 仰向けで体を伸ばしている、ラグドールの兄貴。おもちは間延びした声で言った。


「そんなはずないだろ」


「おはよー。ってデカいわ!」


 しゃなりと優雅に歩く、シャムの姉御。プラリネは驚愕のあまり威嚇のポーズを取っていた。


「プラリネまでそんなことを言って」


「どうしちゃったのよ。昨日まではアタシよりも小さかったのに。今はニンゲンくらいあるじゃない」


「そーだね~。ニンゲンくらいだね~」


「ネコちゃんたちーごっはんだよー」


 二人から指摘されていると、能天気そうな声色が聞こえてきて、オレはしっぽがピンと。


 あれ? しっぽの感覚がないぞ?


 不思議に思っていると、部屋の扉が開く。


 三人分の食事を抱えた、同居人である真白ましろが現れた。


 両手に餌の袋を抱えて、跳ねた髪もうねっていた。どうやら寝起きで今日は仕事とやらはないようだった。


「さあいつも通り媚び甘えるがいい……って誰!?」


 真白は俺を見るなり、後ずさっていた。


「真白まで変なことを。オレだよ」


 オレはそう言って立ち上がった。


 ってまて、なんでオレは立ち上がることができるんだ?


 疑問は尽きず、自分の体を見下ろす。


 視界が随分と高く、真っ白な体毛はつるつるとした肌に変わっている。手のひらの肉球はなく、指は細長く伸びている。


 なんだ、これじゃまるで。


「いや――変質者だ――――!」


 真白の視線は下腹部辺りにくぎ付けだった。ぷらぷらとしたモチモチなアレは、オレの状態を告げていた。


 理由はわからないが、オレはどうやらニンゲンではなく、ヘンシツシャというものになったらしい。





「絹のような真っ白髪。丸くてきれいな紅玉おめめ。うーん」


 真白はニンゲンが身に着けている服とやらをもってきて、乱暴な手つきで着せてきた


 ごわごわとした感触と、アイツを思い出す嫌なニオイは、少し心が逆なでされた。


「だからオレだって。いちごだよ」


「いやでも、やっぱりヘンシツシャかもしれないし。おもちはどう思う?」


 真白がそうきくと、おもちは体を目一杯のばし、大の字で寝始めた。


「うにゃ~」


 そして鳴いた。


「おもちもこの人がいちごだって言うの?」


「いや、『食べたからねむーい』って言ってる」


「だらしない。でもそんなところがカワイイ!」


 真白は頬に手を当てながら身をくねらせていた。


 オレはおもちのだらしなく揺れるお腹を見ていた。なんて全身で幸せそうなんだ。


 もう絶対野生では暮らせないおもちのことを、ある意味うらやましく思った。


「プラリネはどう思う?」


 声をかけられたプラリネは、右手を伸ばして固まっていた。


 気まずそうな表情の先には、今にも落ちそうなガラスのコップ。


「イタズラしちゃめっ!」


「にゃあ~ん」


 イタズラをとがめられたプラリネは、すぐさま全力で媚び始めた。


 甘い声で鳴きながら、真白の足元で顔をすりすりしていた。


「プラリネ……許す!」


「にゃおーん」


 許しを得たことで、嬉しそうにプラリネは鳴いた。


 けどオレは、その意味を知っていた。


 プラリネはこう言った。


 チョロいわ。


「ふむ。二人ともやっぱり、この子がいちごだって言うんだね」


「言ってないが」


「じゃあ質問。君と私が初めて出会った場所はどこ?」


 真白にきかれて、オレはその日のことを思い出していた。


 暗雲が立ち込める中、ゴロゴロと雷がなっていた。


 なんとか見つけたベンチとやらの下は、雨はしのげたけど怖さは消えなかった。


 まだ小さくて無力なオレは、家族とはぐれて心細かった。


 どれだけ鳴いても、雨や雷に消されていて、オレの声は弱く響くだけ。


 そんな時だった、ベンチ下を覗き込んだデッカいニンゲンに会ったのは。


「うわぁ。真っ赤でキレイなおめめだ」


 その姿はデカくて怖かったけれど、声をきいた瞬間に、なんだか安心を覚えた。


「公園のベンチ下だったな」


 オレが答えると、真白は抱き着いて首に手を回してきた。


「ほんとうに、いちごなんだね」


「だからそう言ってるじゃん」


「君ってけっこうイケメンだったんだね」


「それってほめてるんだよな」


 真白はオレに抱き着いたまま、頬をすりすりしてきた。


 くすぐったくてたまらないけれど、なんだかオレの胸は温かかった。





「それにしてもなんでニンゲンになったんだろうね?」


「そういえば仲間とはぐれた時、声がきこえた気がする」


「声? どんな?」


 あまり昔のことは覚えていない。ネコだし。


 けれどその声は、不思議と記憶に残っている。


 温かでふわふわとしたやさしい声。


「『あなたはちょっとだけ大変な運命を背負いました。なので、一度だけ願いを叶えましょう』だったかな」


「不思議な話もあるもんだね」


「でもオレはニンゲンになりたいとか願ってないぞ」


「じゃあどうしてなんだろうね?」


 二人して考えても、答えはでない。


「まあいいや。よくわかんないけど、せっかくだから出かけようよ」


「どこにだ?」


「外! 愛猫とデートできるなんて、これから先なさそうだもんね」


 デートという言葉は、真白の見ているテレビできいていた。男女が手を繋いだりして、どこかに出かけることを言うんだと思う。


 真白に引っ張られて、玄関をくぐる。


 真夏の日差しがもはや痛くて、オレは逃げるように家の中に戻った。


「そっか。いちご、日差しはダメだもんね」


 残念そうに言われて、オレは少し悲しくなった。


 なんのためにニンゲンになったかはわからないが、それは真白を悲しませるためではないはずだ。


 オレは真白が出かける時に、よく開いているひらひらした棒を手に取った。


「これを使えば、いけるんじゃないか?」


「日傘かぁ。完全には防げないかもだけど、大丈夫?」


「わからん。けど、真白はオレと出かけたいんだろ?」


 見よう見まねで棒のところをもち、ボタンとやらを押すと日傘は開く。


 頭上にかざして、とりあえず外に出てみる。


 少しチリチリするけど、日差しの強さには耐えられそうだった。


「ほらっいくぞ」


 オレは真白の手を掴み、こちらに引き寄せた。


 ニンゲン二人を収めるには、日傘はちょっと狭いかなと思った。まあでも、狭いところの方が落ちつく。ネコだし。


 オレは離れないように手を繋いだ。よく見えなかったけど、テレビでは確かこうしていたはずだった。


「い、いちご。君ってけっこう大胆なんだね」


「デートって、こうするんじゃないのか?」


「そうなんだけど」


 真白の声色は、どんどん小さくなっていった。


 微妙にうつむいて、顔もさっきより赤くなっていた。


「大丈夫か? 実は具合が悪いんじゃ」


「だ、大丈夫だよ」


「いや体には気をつけないと。やっぱデートはやめ」


「ません!」


 強がるように言って、真白はずんずんと進み始めた。


 なぜか真白はがんがん進むので、日傘で守るのは大変だった。


 ニンゲンになりはしたものの、ニンゲンのことはよくわからんと思った。





 真白と商店街を歩いていると、ソフトクリームとやらが売っていた。


「いちご、一緒に食べようか」


「オレが食べても大丈夫なのか?」


「ニンゲンなら大丈夫じゃない?」


 真白はソフトクリームを買って、オレの眼前に突き出した。


 その正体を確かめるため、ふんふんとニオイをかいだ。


「あっ。その仕草ネコっぽい」


「だからネコだよ」


 悪いものではなさそうなので、一口だけペロリと舐めた。


 真白はなんだか緊張したようにオレを見つめていた。


「どう?」


「あんまり味がしない」


 オレが言うと、真白は残念そうに目を細めていた。


「そういえば、ネコって甘味を感じないってきいたことある」


「甘味って、これの味か?」


「そう。ちょっとだけ残念かな」


 真白はそう言いながら、一人でソフトクリームを舐めていた。


 残念だとか言いながらも、食べ終わる頃には笑顔がすっかり戻っていた。


 手を繋ぎながら、オレたちは家へと戻った。


 チリチリとした日差しがたまに目にも入り、少し辛かったので助かった。


「ちょっと遅かったじゃない。今日は休日なんだからアタシのことをきちんと構いなさいよ」


 玄関をくぐると、プラリネがうにゃうにゃ言いながら歩いてきた。


「はいはいただいまー」


 真白が手を出すと、プラリネは手のひらに額をこすりつけて、幸せそうに目を細めていた。


 ゴロゴロゴロゴロ。


 じゃれている真白とプラリネを追い越し、オレはリビングへと戻る。


 おもちは相変わらず、部屋の真ん中で大の字になっていた。安心しきったその姿は、外に出たら一分後にはカラスとかにやられそうだった。


 その横では、長方形の機械が光を放っていた。


 ネコの姿ではよくわからなかったが、今のオレにはよく見えた。


 確か、スマホというやつだ。


 ニンゲンになったせいか、スマホに表示された名前を俺は読むことができた。


 羽黒やすし。


 その名前には聞き覚えがあった。ちょっと前まで、この家を出入りしていた男だった。


 今着ている服とやらも、多分コイツのものだった。今感じている嫌なニオイは、コイツと同じニオイだ。


 オレはあまり、コイツのことが好きじゃなかった。


 コイツが一緒にいた時、真白はたまに悲しい顔をするからだ。


 真白が戻ってきて、スマホの光に気付いた。


 ハッと息を飲んでいた。


「真白」


「大丈夫。大丈夫だよ?」


「でもお前、震えているじゃないか」


「大丈夫。もうお別れしたんだから」


 真白と羽黒の関係を、ニンゲンはどう表すのかについて、オレは認識することができた。


 二人は元恋人同士だった。


 昨日の晩に、真白から別れ話をした。


 そんなことを思い出していた。





 それからの時間、真白はずっと上の空だった。


 不安に揺れるようにそわそわしていて、オレもなんだか落ち着かない。


「あーそこそこ~。きもち~」


 おもちのお腹を撫でまわしながらも、刻々と時間は過ぎていく。


 浮かない顔をしながらも、真白はオレたちのご飯を用意した。


 プラリネはご飯を食べ終わると、真白の膝に移動して丸まっていた。


 オレは真白の隣に座る。


 この体は大きすぎて、流石に膝の上には座れない。


 悔しいことに、真白の膝の上は柔らかくて天国みたいなのだ。ふわりとした感触を味わえず、オレは少し不満だった。


 またスマホが鳴り、真白はビクッと震えた。


「だいじょうぶか?」


「……うん」


 スマホを手に取り、じっくりと眺めていた。


 真白はスマホを机において、スッと立ち上がった。


「おい。どうしたんだ?」


「いちご。ちょっとだけごめんね」


 真白はオレの胸に飛び込んで、服をぎゅっと握っていた。


 なんだか悲しくなるくらいに、食い込んだ爪は切実だった。


 わずかに水滴が胸に残る。


「行ってくるね」


 そう言って、真白は出ていった。


 リビングには、三匹のネコだけが取り残される。


「やっぱり、ちゃんと別れられなかったんじゃないの?」


 プラリネは体を舐めながら言った。


「かもね~。真白ちゃんって流されやすいもんね」


 おもちは相変わらずぐでっとしていた。その姿はネコというより、真っ白なたぬきみたいだった。


「でも、あんな男とは別れた方がいいだろ」


「乙女心は複雑なのよ。アタシにはわかるわ」


「昨日だって、真白は泣いてたじゃないか」


「やっぱり未練があるんだよ~」


 わからずやなことを言うおもちを、オレは思わず転がしてしまった。


「あ~~~~。目が回る~」


「男の嫉妬はみっともないわよ」


「嫉妬ってなんだよ」


「好きな人が他の人を見ている時の感情よ」


 名前の意味はよくわからないが、なんとなくそう言われるとわかる。


 そうか、オレは嫉妬しているのか。


 大好きな真白には、他の奴のことなんか見てもらいたくない。


 恋愛のドラマとやらは、なんだかよくわからない行動をとっていた。


 好きなのに言わなかったり。逆に嫌いって言ったり。


 ニンゲンとは、なんて意味が分からない生き物なんだろうと思った。


「真白のことを追いかけないの?」


「追いかけるって、どうやってだ?」


「今のいちごなら、スマホの字も読めるんじゃないの~?」


 そう言われて、スマホを触ってみると、光がともって文字が浮かび上がってきた。


 そこには、『夜七時にいつもの公園で待ってる』と書いてあった。


 ニンゲンになった影響で、文字がしっかりと読めていた。


 いつもの公園っていうのは、おそらくあそこだ。


 寒くて怖くて震えていた、オレを助けてくれた場所。


 真白のぬくもりと出会った場所だ。


「行ってきなよ~」


「アタシたちも応援してるからさ」


 二人は、激励するように鳴いた。


 ニンゲンになりたいなんて、願ったつもりはなかった。


 でも多分、このためだったんだと思い至る。


 真白を守るために、オレはニンゲンになったのだ。





 夜を駆けながら、オレは拾われた時のことを思い返した。


 家に連れ帰られて、お風呂とやらでこすられてげんなりしていると、真白はオレに名前を付けた。


「よーし君はいちごにしよう。真っ赤でキレイなおめめをしているし」


 そう言って真白は、オレを掲げたと思えば、お腹やら下やらを観察しだした。


 そして、ぷらぷらしたモチモチのアレを見て、固まっていた。


「ありゃ……ってっきり女の子だと思ってた」


 いちごという名前は、オスには合っていないらしい。


 オレは抗議の意味も込めて「にゃー」と鳴いた。


 真白の表情が突如明るくなる。名案を思い付いたとばかりに、その名前を紙に書きだした。


 おもちやプラリネを迎えた時も、真白は同じように紙に名前を書いて、自分の部屋に貼っているらしかった。


「よし。この字なら一応男の子っぽいよね」


 真白は満足そうにうなずき、その紙を自室に貼っていた。


 漢字というもので書かれているせいで、オレは今もその意味を知らない。


 公園に辿りつくと、やはり真白と羽黒がいた。


 羽黒は何かを一生懸命しゃべっているが、真白の後ろ姿は震えていた。


 オレはしなやかに走る。ニンゲンにはニンゲンのルールがあるように、ネコにはネコのルールがある。


 揉めている男女の間に入っていけないというルールは、ネコの世界では通用しないのだ。


 羽黒が真白の両肩を掴んだ時、オレは疾風の如く駆け抜けた。


「オレの真白に――手をだすんじゃねぇえええ!」


 羽黒をはねのけて、オレは真白の肩を抱いた。


 真白の顔がオレに向く。何が起きたのかわからない、困惑に満ちた表情。


 徐々に緊張がほぐれて言って、やがてくしゃくしゃに歪んでいった。


「いちご……どうしてここに?」


「決まってんだろ」


 興奮冷めやらぬまま、オレは叫んだ。


「真白のことを守るためだ」





 オレの剣幕に恐れをなしたのか、羽黒はあっさりと逃げていった。


 真白から話をきくと、羽黒とは会社で仲が良いと噂をされたことをきっかけに、断り切れずに付き合うことになったらしい。


 無遠慮に真白の家に来たり、自分の思い通りにならないとわめきたてることもあり、真白はずっと迷惑をこうむっていたらしい。


 だけど、きちんと終わらせようと思って、羽黒からの誘いに乗ったということだった。


 家に帰った真白は、ずいぶんと晴れやかな顔をしていた。悲しそうな顔はどこかにいってしまい、安心に満たされていた。


「いちご。やったね~」


「よくがんばったんじゃない」


 先輩猫二人に労われて悪い気はしなかった。


 慣れない体で動いたせいか、疲労がどっと押し寄せてきた。


 ソファーに座ってまどろんでいると、風呂を終えた真白がやってきた。


 真白は寝る前の儀式として、オレたち一人一人をぎゅっと抱っこしてから眠る。


「おやすみ」


「にゃ~」


「おやすみ」


「にゃー」


 おもちとプラリネを抱っこした後、真白は困ったように頬をかいていた。


「あはは。今日のいちごは大きいから抱っこできないや」


 そう言われて困っているようだったが、やってくれないとオレが困る。寝る前の儀式みたいになっていて、なんだかうまく眠れそうにないのだ。


 そんな中、オレは名案を思い付いた。


 真白が抱っこができないなら、こちらからすればいいだけの話しだ。


「わっ」


 オレは真白を抱き上げて、胸元にぎゅっと押し付ける。


 普段はやってもらう側だから、その心地よさはわかっていた。


「にゃーにゃー」


 ニンゲンのくせに、真白はなぜかネコみたいな声をあげはじめた。


「なんだ、嫌なのか?」


「嫌じゃないんだけど、別の意味で死にそう」


「それは困るな」


 オレはパッと真白を離した。死なれると困るからだ。


 真白はなぜか、真っ赤になりながら怒っていた。


「なんで離すの?」


「死ぬなんて言うから」


「死にそうだよ」


「じゃあだめじゃないか」


「死なないから!」


 どっちなんだよ、とオレは思う。ニンゲンの言うことはやっぱりよくわからない。


 オレはやっぱり、わかりやすいネコのままでいいのかもしれない。


 オレは自分のベッドでそろそろ寝ようと思ったが、異常事態に気が付いた。


 今のオレの大きさだと、ネコ用ケージに入らない。


「今日のオレは寝床がないな」


「だったらね」


 真白は一度言葉を区切った。


 なんとなくためらいがちで、言おうか迷っているようだった。


 真白は思ったよりも小さな声で言い放った。


「今夜は、一緒に私のベッドで寝るよ」





「じゃあ入るぞ」


「全然遠慮がないんだね」


「そりゃたまに入ってるだろ」


「そっか。そうだったね」


 真白が使っているベッドは、二人で使うには少々狭い。


 向かい合った状態だと、端っこに落ちてしまいそうだったから、オレは少しずつ近づいた。


「ち、近いよ」


「いつもは密着してるだろ」


「そりゃネコの時の話しでしょ」


「今もネコだよ」


 真白はどういうわけか、ずりずりと距離を取り始めた。


「落ちるぞ」


 オレは真白を抱き寄せて、離さないように胸元へ誘い込んだ。


「っ!」


 真白は始めじたばたとしていたが、やがておとなしくなった。


 こういった状態を、借りてきたネコって言うんだっけ。


「いちごって、こんなに大胆だったんだね」


「大胆ってか、やりたいことをしてるだけだよ」


「この女たらしめ」


「いや、こんなことをするのは真白にだけだ」


 オレが言うと、真白は胸元に顔をうずめてきた。


 今までオレが味わってきたぬくもりを、今は少しだけ返せているのかもしれない。


 心地よく温かな、安心するニンゲンの香り。


「ニンゲンって、面倒なんだな」


「え?」


「だって、ぐでーっとしてても許されるのって、おもちがネコだからだろ」


「そうだね」


「イタズラしてもあざとくカワイくすればいいプラリネも、ネコだから許されるんだろ」


「うん……」


 真白の声が弱々しく響く。


 仕事とやらから帰ってくる真白は、時々悲しそうにオレたちに言う。


 仕事が何かはよくわからないが、マイペースでゆっくりしていると、上司とやらに怒られるらしい。


 ただカワイイというだけで、誰かから嫌なことを言われたり、強い気持ちをぶつけられるらしい。


 ニンゲンというものはめんどくさい。


 ネコだったら、ただそれだけでいいはずなのに。


「真白」


「なあに」


「好きだぞ」


 顔が胸元に入っているため、真白の表情は見えない。


 けれど、背中に回された手がぎゅっと結ばれる。真白の体温や、リズムを刻む音の高鳴りが、真白の気持ちをなんとなく告げているようだった。


「そんなことを言うなんて、ずるい」


「いつも言ってるつもりだよ」


「わかんないもん」


「普段はしゃべれないからな」


 オレはいつだって、真白に感謝をしているし、好きだなんて伝えている。


 愛しく呼ぶ鳴き声で、急いで駆け寄る仕草で、ぴったりくっつく全身で、愛していると伝えている。


 言葉なんてしゃべれなくても、今を幸せに生きるため、ネコはいつだって全力なんだ。


 真白を見つけた時の、宝物のような嬉しさ。真白が泣いている時には、まるで自分も暗闇に落とされた感覚になる。


 真白とだから、そんな気持ちになるんだと思う。


「いちごって、まるでナイト様みたいだね」


 真白はぽつりと言った。


「なんだそれは?」


「私の側にいてくれて、何かあったら守ってくれる。そんな存在だよ」


「そうか。それをナイトって言うんだな」


「あっでも、ネコだからニャイト様かな?」


「なんだそれ」


「わかんなーい」


 額が押し付けられ、ぐりぐりと動く。まるで撫でて欲しい時のネコみたいだった。


 オレは真白の髪を撫でた。優しくほぐすように指を滑らせると、真白は気持ちよさそうにしていた。


「ずっと、私を守ってね――ニャイト様」


 わずかに潤む瞳が揺れていた。


 オレはなんだか嬉しくなった。


 ネコはどうやら、ニンゲンほど寿命が長くないらしい。


 だけどそれが、少しだけ嬉しく思う。


 おそらくオレは最期までずっと、真白と一緒にいられるからだ。


「もちろんだ。真白はずっと、オレのものだからな」


 安心したように、体を預けられて、真白はそのまま眠っていた。


 オレも眠くなってきたので、そのまま眠ってしまおうとした。


 その時、オレは壁に貼ってある紙にようやく気が付いた。


 ずっとわからなかった、オレの名前の意味に、今更ながら気づくことができた。


 ニンゲンになったおかげか、その漢字も読めて意味を理解した。


 思わず口元が緩んだ。


 そうか。オレはきっと、名前の通りに真白を守ってやれたんだな。


 心地のよいまどろみは、いつしか幸せに溶けていった。






「あっ。今日のいちごくんはいつも通りだ~」


「あらほんと。やっぱりいちごはアタシよりも小っちゃくないとね」


 先輩ネコ二人に言われて、オレも自分の姿がわかった。


 昨日のことはなにかの奇跡で、オレはまたネコとしての生活に戻ったようだった。


 オレはソファーにジャンプをして登る。


 ニンゲンというのも悪くはないけれど、やっぱりネコの方が身軽でいいな。


「ネコちゃんたちーごっはんだよー」


 真白の能天気な声が響く。


 それだけで、今日も楽しい一日になるだろう。


 そうそう。


 オレはネコである。


 名前は一護いちご


 真白を守るニャイト騎士様なのだ。

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