第3話 パラレル3

母の死に目に会えなかった運命と納得。これはフィクションです。


俺の名前は青澤影苦労。親が「影で苦労できる人間に」と名付けたらしいが、正直言って恨みしかない。普通の名前にしてくれよ、と今でも思う。


今年で58歳。漫画家志望だが、まともな作品は描けていない。ADHDの診断も受けているし、両親を亡くしたばかりのフリーター。ダメ人間の極みだ。亡くなった父と母、それにおばの年金で何とか生活している始末。秋口には再就職したいと思っているが、うまくいくかどうか。


最近、カクヨムに「ノッペラボウ」がテーマの女体化ありの小説を投稿したが、全く人気が出なかった。次の題材をどうするか悩んでいたところだ。家の前に落ちている犬のフンを題材にしようかとさえ考えていた。それほど行き詰まっていた。


そんな3月27日、母の訃報が届いた。


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母とは複雑な関係だった。小学6年生の時に両親が離婚し、母は再婚した。その相手も一昨年に亡くなり、母は都会から離れた田舎で一人暮らしをしていた。昨年の暮れに腰の骨を折って入院した際、末期のがんが見つかったと聞いていた。


「会いたくない」と母は言っていたらしい。だが、遺書や墓の問題など全て頼んでいた団体から、亡くなる少し前に連絡があった。病院から退院して施設に入ったが、医者からは「先は長くない」と言われ、本人も「死にたい」と漏らしていたという。


その母と、3月27日の昼に施設で会う予定だった。団体の人を通じて約束していた。しかし、その日の朝、俺の持病である蜂窩織炎が突然発症した。足にばい菌が入り、38度以上の高熱が出た。仕方なく「母との面会は中止させてください」と連絡した。


そして夕方、「母が亡くなった」との連絡を受けた。


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「なぜだ?」


火葬場で母の遺骨を前に、俺は自問自答していた。なぜ最後の最後で会えなかったのか。母は苦しんだのではないか。親孝行もできなかった。


母の遺言通り、相続のお金は受け取った。だが、何かがひっかかっていた。心の奥底で、モヤモヤとした感情が渦巻いていた。


それから数週間が過ぎた。


ある夜、奇妙な夢を見た。


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「影苦労、起きなさい」


懐かしい声に目を覚ますと、そこには若かりし頃の母が立っていた。


「母さん...?」


「ええ、久しぶりね」


母は微笑んだ。実際の母とは違い、どこか透き通るような存在だった。


「どうして...ここに?」


「あなたが悩んでいるから来たのよ。私の死に目に会えなかったことで、自分を責めているでしょう?」


的確に俺の心を言い当てる母に、言葉が詰まった。


「実は、あなたに会いたくなかったわけじゃないのよ」


「え?」


「私ね、最後にあなたに会ったら、死ぬのが怖くなると思ったの。だから『会いたくない』と言ったの。でも本当は...会いたかった」


母の目から涙がこぼれた。


「でもね、不思議なことがあったのよ。あなたが来られなくなったその日、私、急に楽になったの。痛みも消えて、穏やかな気持ちになれた」


「どういうこと...?」


「あなたが来ないと知った時、私、ホッとしたの。最後の最後で、親子の情に引きずられずに済むって。それに...」


母は少し間を置いて続けた。


「あなたが蜂窩織炎になったのは偶然じゃないと思うの。あなたの体が、私の本心を察して、そうさせたのかもしれない」


「そんな...」


「人間の体と心は不思議なものよ。特にあなたは敏感だから」


母は優しく微笑んだ。


「だから、自分を責めないで。あなたが来なかったおかげで、私は穏やかに旅立てたのよ」


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目が覚めると、枕が涙で濡れていた。


夢だったのか。いや、夢以上の何かだったような気がする。


その日から、俺の中の何かが変わり始めた。母の死に目に会えなかったことを後悔するのではなく、それが母にとって最善だったのかもしれないと考えるようになった。


ある日、ふと思いついて、パソコンの前に座った。


「母の死に目に会えなかった運命と納得」


タイトルを打ち込み、物語を書き始めた。母との複雑な関係、最後の別れ、そして夢の中での再会。全てを小説として紡いでいった。


書き終えると、不思議と心が軽くなっていた。カクヨムに投稿してみると、予想外の反響があった。


「自分も似たような経験がある」

「親子の絆って複雑だけど、大切なものだと思った」

「不思議な物語だけど、心に響いた」


コメントが次々と寄せられた。


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それから半年後。


俺は出版社からの連絡を受け、小説のシリーズ化の話が進んでいた。「現代の家族関係を描く新鋭作家」として、少しずつ名前が知られるようになっていた。


再就職の必要もなくなり、漫画ではなく小説家として歩み始めていた。


ある夜、仕事を終えて窓の外を見ると、満月が輝いていた。


「ありがとう、母さん」


心の中でつぶやいた。


母の死に目に会えなかったことは、もう後悔していない。それは偶然ではなく、母と俺の間に生まれた最後の絆だったのかもしれない。


運命とは、時に理解しがたい形で私たちを導くものだ。そして、その意味を知るのは、ずっと後になってからなのかもしれない。


今夜も、パソコンに向かい、次の物語を紡ぎ始める。


これが俺の、新しい人生の始まりだった。

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