第18話 眩しい青

 それから私はバイトに行く度に、こっそり樫木先生の顔を覗き見た。自殺未遂を起こさせるほど、惹かれる何かがあるのだろうか、と。

 確かに優しいし、顔も悪くない。横顔なんて見惚れるくらい鼻筋が通ってる。背も大きく、肩幅も広いし、指も長い。見た目以外にも、私大の准教授という立場で収入だって安定している。件の彼女は振られたのだろうか。プリントをとんとんと机の上で調える振りをしながら、樫木先生の顔をこっそり見る。

「佐々木さん」

 プリントを盾に盗み見をしていたから、私の肩は思わず跳ねた。

「はい」と気合の入った返事をしてしまう。

「最近、ずっと視線を感じますが、僕の自意識過剰でしょうか?」

 隠れて見ていたつもりなのに、すっかり気づかれていた。

「いえ。…すみません」

「何ですか?」

 樫木先生が椅子ごと振り返って、私を見る。言い淀んでいると

「誰かに何か言われましたか?」と聞かれた。

「えっと…先生はモテるという噂を聞いて、確認してました」

 嘘を言っても、どうせ先生には分かってしまうと思って、正直に話す。先生は思わず笑い出す。

「あまりいい噂じゃないと思いますけど、確認してもらえたのは喜ぶべきことでしょうね」

 怒られるかと思っていたから、笑い続けている先生が私は不思議だった。

「確認して、どうだったか率直な意見を頂けたら嬉しいです」とまだ笑い混じりに言う。

「えっと。確認したところ、噂は真実だと思います」

 急にすっと笑顔が消えた。

「僕は人殺しですからね」

 私は先生をじっと見る。心太が言っていた二年前の話のことだと思った。

「でも噂では死ぬほど、先生が好きだったってことです。それって素敵だと思いました」

 ほんの少し、どこか空気が緩んだ気がする。 そして樫木先生から話してくれた。

 その女子学生はゼミ生で、好意を持ってくれていたことは分かっていた。

 好意を持たれていても、そこに何も返せないから、ごく普通の学生として接していたところ、狂言騒ぎを起こした。樫木先生が自分を襲ったというのだ。大事おおごとにはなったが、彼女のいう事件の時間、樫木先生は学部会議に入っていたので、無実になった。

「それでも変な噂が流れたから…。人って信じたい方を信じるからね」

 この件で、樫木先生は女子学生を弄んだという噂が流れているという。

「でも不思議なんだよね」

 樫木先生が言うには彼女は嘘を重ね続けたのに、一度も樫木先生のフリーの時間ではなかった。会議のある日や、授業のある日、樫木先生のアリバイが成り立つ時間を言ったという。

「まぁ…だから仕事を続けられてるんだけど。僕を陥れようと思うなら、出来たんだよ」

 確かにそれはそうだった。

「だから彼女がわざとそうしたんじゃないかって思うんだけど」

「わざとアリバイのある時間に?」

「理由はわからないけど」

 その後、彼女は自宅で自殺未遂をし、大学を辞めた。彼女は自分勝手な行動をしたけれど、私はなぜかそこに愛を感じた。私には言わなかったけれど、樫木先生もそれは分っていたような気がする。

 先生のことが狂おしいほど好きだという彼女の狂言とそして彼を守るための時間設定――。

「恋をしたら…止められないんですかね」と私が聞くと、樫木先生は「したことないの?」と聞いた。

「小さい頃に。従兄のお兄さん、好きでした。でも私はわがままばっかりで」

 先生は柔らかく笑う。

「初恋かぁ」

「はい。ずっと…好きです」

 叶う事のない思いだけど、と私は小さく息を吐く。

「先生は人殺しなんかじゃないです」

 私は本当の殺人犯を知ってるから。

 きっぱり言う私を少し怪訝な顔をして見るから、笑ってごまかす。

「女子同士の牽制かもしれませんね。先生が素敵だから…そういう噂を流したんだと思います」

 机に置いたプリントが窓からの風で数枚吹き飛ぶ。慌てて、私は拾いあげる。

「佐々木さんは…初恋の人とは連絡取らないの?」

 空が青い。

 窓から見える景色はあの頃と同じような青さだ。

「…最後に…これ以上ない迷惑をかけてしまって、会えないんです」

 私を守るために命を差し出してくれた。

 どうしてか分からない。私は先生に話した。私の身に起きたこと。そして周りで起こったこと。

「先生が人殺しなら、私は死神です」

 物騒な話をしているのに、窓の外は綺麗な青で、眩しく感じて目を細めた。

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