第9話 告白

 散らかったテーブルは一旦、片づけられた。何もないテーブルを見て、心太は驚いたようにため息をついた。

「…何だったんだ。二人とも触ってもないのに」

 あの声を聞いたか、訊きたかった。私を包むようなあの温かい声を。

「なんか、注文しなおそうか」と心太がタブレットでメニューを検索する。

「心太…。私」

「カシオレ? 違うのにする?」

 私を見ずに聞く心太に私は告げた。

「…幼い頃に襲われた」

 心太は顔をゆっくりと上げて、私を見る。

「でも…何も覚えてない」

「何も?」

「真っ暗なのと、音が…カツカツと音が聞こえて」

『大丈夫だからね』

 その声はしたのか分からない。でもその声と固い地面を突く音がセットのような気がする。

「事件のこと…何も知らない?」

 それはまるで心太が知っているような口ぶりだった。

 それが怖くて、私は首を横に振る。心太はそんな私を見て、ため息を吐いた。

「そうだよな。あんな悲惨な事件…」

 やはり心太は知っていた。私も口を閉ざしていると、バイト仲間が注文していないドリンクを持ってきてくれた。

「ありがとう」と仲間に笑顔を見せる心太が遠くなる。

 私も小声でお礼を言ったものの、上手く言えなかった。

 バイト仲間が去って

「何か食べる?」と私に聞く。

「どうして…」

「知りたい?」

 心太は私が事件の被害者と知っていて、近づいたのだろうか。

「その訳を話したら、空の事件のことを話すことと同じだけど」

「心太は…私が事件の…って、知ってて…声をかけたの?」

 心太は頷いて、そして伝票を掴んだ。

「出よう」

 そのまま私は後に続いた。お会計はそんなに高くなかった。たくさん注文したわけでもなかったから。バイト仲間は私達の雰囲気を察したのか、必要以上に話しかけてこなかった。

 私の足はふらついていたし、現実感が無かった。酔っているんじゃない。指先がしびれる。お店を出て、駅に向かって歩く。私は友達が出来たとおめでたく喜んでいたのに、心太はそもそもそんな理由じゃなかった。

 被害者と知っていて声をかけて来た理由を知りたい。でもそれは私が事件を知ることになると心太は言った。

「空に同情する気持ちはある」

 心太が何を思っているのか分からなくて怖いが、伝えるつもりなのだろうと、私は身構えた。

「あの事件で死んだ人が二人いて…その内の一人が俺の親父だった」

 心太の父親がどうして、と思ったが、私は血がさぁと音を立てて、下がって行くのが分かった。事件で亡くなるのは私のはずだった。襲われている私を助けようとして、心太の父親は犯人に刺されて亡くなったと言う。

「…そんな。ごめん…ごめんなさい」

 吐き気がする。その場にしゃがみこんだ。

「空のせいじゃ…ない…でも」

 割り切れない思いがはっきりと伝わってくる。私が生きて、心太のお父さんが亡くなった。あの…心太の名前をつけてくれた…お父さんが。

「聞かされてなかったんだ」

 手を口に当てる。目の前がまた暗くなりそうだった。私が倒れる資格なんてないのに。

「大学で…名前を見た時は驚いた。君が生きていて…大学生活を楽しんでいると思って」

 幼い頃に父親を失って、その後の生活が大変だったというのは想像できる。

「でも…空も被害者だって分かってる。一緒にいて、いろいろ欠落してるのも」

 私が心太にしてあげれることは何かあるだろうか。アスファルトを拳で押し続ける。

「何でも…する。心太がして欲しいこと」

 私が何をしても変わらないのは分っているけれど、私ができることがあるのなら、と思った。

「…分からない」

 そう言って、心太もしゃがんだ。

「空が幸せになることも、不幸になることも…。そもそも何を望んでいたのか分からない」

 アスファルトの手の上に心太の手が乗せられる。

「今も…分からない」

 心太の震えが伝わる。

 私も心太も大きな傷があって、どうしていいのか分からない。

「私のこと…憎いなら」

 首を横に振って、心太は言った。

「ただ…知らないでいて欲しくなかった」

 私の命を救ってくれた人を私は知らなかった。

「ごめんなさい」

 恐怖から真実から目を背けていた。

「いや、俺の方こそ…ごめん。辛いのは空なのに…」

「心太。私…たち、友達になれないけど…でも…同士にならない?」

「同士?」

「私も…心太もこのままじゃ駄目だと思うから」

「うん。そうだな」

 心太の手の上にもう一つの手のひらを置いた。

「私、事件のこと、ちゃんと向き合うから」

「ごめん。俺が無理させて」

「ううん。私…心太のお父さんに助けられてたんだね。ありがとう」

 そう言いながら、私はもう一人の人がいたということを心に留める。あの時、死んでいたら良かったのに、と思ったことも正直何度かあった。それでも今、命をかけて私を助けてくれた人がいるのだから、と。そして私を救ってくれた心太のお父さんのためにも、心太がもっと救われるべきだと思った。

 心太と私がしゃがみこんでいるから、通り過ぎる人は視線を向けるが手を重ねている様子を見ては、無言で去って行く。

「行こう」と私は言う。

「うん。…なんか、お腹空いた」と心太が笑った。

 心太は少し気が楽になったのかもしれない。

「私、嘘ついてて…」

「え?」

「遠くにいる好きな人の話」

「あ…。あぁ。それって、嘘?」

「嘘だけど…。声が聞こえるの」

 そう言うと、心太の眉が少し寄せられた。特に笑うわけでもなく、

「ちょっと店で話そう」と心太が言って、二人で駅前のファーストフード店に入った。

 夜でも人が多くて賑わっている。がやがや騒々しいけれど、私はそれでなんだか気持ちが落ち着いた。

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