◯←押してみて!!
鳥栖かくすゑ
◯←押してみて!!
午前二時。
六畳のワンルームマンションのベッドで、僕はスマホを握りしめていた。
SNSを巡回する。
これは儀式だった。
ブラウザはプライベートモード。別に後ろめたいことをしているわけではない。ただ、履歴が蓄積されていく様子を見るのが嫌だった。
スクロールしていると、画面の隅に奇妙な広告が表示された。
「◯←押してみて!!」
赤い円に白い矢印。
フォントは安っぽく、見るからにレトロで、明らかにスパムだった。
それなのに、視線を外すことができない。
画面が一瞬明滅する。
リンクの輪郭が微妙に歪んでいるような気がした。
バグなのか。それとも僕の視覚がおかしいのか。
頭の中で警告音が鳴る。
押してはいけない。絶対に押してはいけない。
しかし、プライベートモードなら履歴は残らない。タブを閉じれば、すべてが終わる。
けれど、閉じてしまえば、このリンクには二度と辿り着けない気がした。
好奇心が膨らむ。指が震える。やめろ。
だが、僕は押してしまった。
画面が真っ暗になった。
スマホが死んだのかと思った。
心臓が激しく鼓動する。
すぐにページが表示された。
背景は漆黒。緑色のピクセル文字が浮かんでいる。九十年代のハッカー映画のような、安っぽくて不気味な雰囲気。URLバーは空白。アドレスがない。どうやってここに来たのか。僕はTorなど使っていない。普通のブラウザだ。
画面上部に赤い文字。「ようこそ、佐藤悠斗」
背筋が凍りつく。
僕の名前。どこで知ったのか。SNS?
ページ下部にチャットルームのようなウィンドウ。
「Guest_4872」「NoFace_XX」「Watcher_13」
不気味なユーザー名が並んでいる。
メッセージが流れる。
「新入りだ。遊ぼうぜ、悠斗」
心臓が跳ねる。冗談ではない。脱出したい。
戻るボタンを押す。
反応しない。ブラウザを閉じようとする。
閉じない。ホームボタンも機能しない。
電源ボタンを長押し。画面に赤い文字。
「逃げるな、悠斗」
ぞっとした。
ページが勝手にスクロールする。
オークションサイトのような画面。僕の情報が羅列されている。
住所、電話番号、IPアドレス、クレジットカード番号。
すべて僕の人生の断片だった。
入札額が表示される。
「佐藤悠斗のプライバシー:0.03BTC」
BTC。ビットコイン?
スマホの電源を強制的に切った。
充電器を挿すと、またあのページが開いた。
チャットルームに新しいメッセージが来た。
「カメラ、オンにしてくれ」
フロントカメラのランプが緑に光る。
冗談ではない。指で塞ごうとした。
遅かった。画面に僕の部屋が映っている。
ベッドのシミ、床のペットボトル。すべてが鮮明だった。誰かが僕を見ている。
外で物音。窓を覗く。誰もいない。
それなのに、チャットにメッセージが来た。
「窓、閉めとけ」
心臓が止まりそうになる。
カーテンを閉め、電気を消した。
暗闇でスマホの画面が光る。
「ゲームを楽しもう」
カウントダウンタイマーが現れる。十分。九分五十九秒。九分五十八秒。
何のゲームだ。
チャットにルールが表示される。
「指示に従え。さもないと、リアルでお前を破滅させる」
指示?
次のメッセージ。
「外に出て、コンビニでコンドームを買ってこい。五分以内。」
ふざけるな。
無視しようとした。
スマホが勝手に写真を撮る。僕の顔がチャットにアップロードされる。
「従え、悠斗。逃げたら次はお前の家族だ」
震えながらコンビニに走った。
女性店員の視線も気にならない。コンドームを購入して部屋に戻る。
タイマーは残り三十秒。写真をアップロードしろと指示が来る。
従った。吐き気がする。
次の指示。
「ここのリンクを友達に送れ。三人。五分以内。」
冗談ではない。こんなものを送れるか。
けれど、チャットに画像が表示される。
父の寝顔。姉の部屋。まさか、家のLANに入り込まれているのか?
タイマーが刻む。
四分。三分。震える手で、大学の友人三人にリンクを送った。
「ごめん、スパム踏んじゃった。無視して」
そうLINEで送った。
しかし、遅かった。亮太から即座に返信がくる。
「何これ、押してみたんだが」
チャットに亮太の名前が表示される。
「新入り:亮太。ようこそ」
吐き気が止まらない。僕のせいだ。
ページが切り替わる。亮太の部屋のライブ映像。
彼がパニックでスマホを振っている。
チャットにメッセージが新たに追加される。
「ルールを破ったら、終わりだ」
もう、やぶれかぶれでスマホを初期化しようとした。
電源を入れるたび、あのページが復活する。
指示は続く。
「だめだ悠斗。罰としてリンクを十人に送れ」
「コンドームを更に二つ買いに行け」
「店員とツーショット写真を撮れ」
従った。
従うたびに、僕の心がすり減っていくのを感じていた。
ある夜、チャットに最後のメッセージが来た。
「お前はもう、俺たちだ」
画面が暗転。スマホが熱を持ち、輝度が勝手に上がる。
捨てようとした。
けれど、奇妙だった。僕は捨てたくない。このページが、僕の一部のように感じる。
いつしか、指示に従うのが楽になっていた。
考えることなく、何かをする。支配される。
支配されることを望んだのは、僕だった。
リンクを送る。知らない場所に行く。知らない人間に金を渡す。
僕の情報はダークウェブで売買され続け、僕はそれを眺める。
まるで自分の好きな子をいじめるような快楽だ。
もう怖くなっていた。
チャットルームの「Watcher_13」が、僕に囁く。
「いい子だ、悠斗。次はお前が新入りを迎える番だ」
僕は笑った。スマホの画面で、誰かの部屋が映る。新しい「新入り」を迎える第一歩。
僕はメッセージを打ち込む。
「◯←押してみて!!」
◯←押してみて!! 鳥栖かくすゑ @kakusuye
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