第6話

翌朝の朝食の席で、ナディアは思わず右手に持っていたパンを床に落としてしまった。 




「旦那様、本当に、私がやるのですか?」




ナディアの背後に控えていたソフィーがさっとパンを拾って、エプロンのポケットに入れる。ナディアは小声でお礼を言ってから、恐る恐るレイヴノールを見つめた。




「できれば、夫人としてナディア嬢に結婚披露パーティーの準備を主導して頂けたらと思いまして」




「ですが、恥ずかしながら、貴族令嬢の教育もまともに受けていませんし、パーティーに参加したこともありません。それなのに先頭に立って準備をするなんてとても……」




あたふたと言い訳を並べるナディアに、レイヴノールはうんうんと頷き、眉を下げて後ろを振り返り、ディランに目配せをする。ディランは小さく溜め息をついてナディアに目を向けた。




「ナディア様、準備はセラフィナとソフィーがお手伝い致します。ナディア様のご意向を反映できるよう尽力致しますので、何卒宜しくお願い致します」




恭しく頭を下げるディランにつられて、ナディアも頭を下げた。




「あ、はい。宜しくお願いします」




(つい、承諾してしまったわ……)




やっぱりできないと駄々をこねる勇気もなく、ナディアは肩を落とした。




「ナディア嬢、あまり気負わないでください。私もお手伝いしますので、一緒に」




「主は仕事で手いっぱいだ」




言い切る前にディランに一蹴され、レイヴノールもナディアと同様がっくりと肩を落した。






ナディアは部屋に戻ると、フラフラとした足取りで部屋の隅に行ってうずくまった。一緒に入ってきたソフィーが優しく背中を撫でる。




「私なんかに務まるはずないわ。上手くできなくて旦那様に恥をかかせるかもしれないし、お客様にもバカにされるかもしれない……」




「そんな深刻に考えないでくだされ。私も精一杯パーティーの準備を努めますぞ」




「ありがとう。でも、不安なの。何から始めたらいいかも分からないし、そもそもパーティーって何をするのかも詳しく知らないのよ」




「詳しいことはセラフィナが教えてくれますぞ」




ソフィーがドアを開けると、セラフィナとウンディーネが立っていた。




「パーティーの打ち合わせしましょうねぇ、ナディア様」




「ボクも手伝うよ!」




ナディアは立ち上がり、2人にソファーをすすめた。




「どうぞ、ここに座って」




「入るわねぇ」




「見て、ナディア、これ凄い量でしょ」




セラフィナとウンディーネが大量の分厚いカタログが乗ったワゴンを押して入ってきた。




「えっと、それは?」




「ナディアのドレスとか、宝石とか、靴とかのカタログだよ」




「ナディア様の好みが分からないから、とりあえずカタログで好みを知れたらと思って持ってきたのぉ」




セラフィナとウンディーネは、2人掛けソファーに並んで座った。




「ナディア、ここ座って。一緒に見よう」




ウンディーネが指差している上座の一人掛ソファにナディアが座ると、ソフィーはお茶を用意するために部屋を出て行った。




「ナディアのドレスと、レイのスーツは、セラフィナがデザインするんだって」




「えっ? セラフィナさんが? デザイナーだったんですか?」




セラフィナはふふっと笑ってナディアの頬に手を添えた。




「セラフィナでいいわよぅ。敬語も使わないでいいからねぇ」




同性ながらときめいてしまう妖艶な美しさに、ナディアは思わず頬を染める。セラフィナはナディアの頬から手を下ろして、自分の深紅のドレスを指差す。




「私はデザイナーではないけどぉ、自分のドレスとか、ウンディーの服とか、レイ様のスーツとか、使用人服とか、この邸宅の人の衣装は私が全部デザインしたものなのぉ」




「すごい!」




ナディアは口元に両手を当てて目を丸くし、尊敬の眼差しをセラフィナに向ける。




「そんな目で見られたら照れるわぁ」




セラフィナは目を細めてナディアの頭を優しく撫でる。そこへ、お茶とクッキーを持ってきたソフィーがさっとセラフィナの手を払いのけた。




「気安く触れるでない」




「いいじゃない」




「そうだよー。ナディアってくっつきたくなるし、なでなでしてもらいたくなるんだよね」




ウンディーネがナディアに無邪気な笑顔を見せる。




「ふふっ、かわいいわね」




「えへへへっ」




ナディアに頭を撫でられ、ウンディーネは嬉しそうに笑った。




「ナディア様、こやつを調子に乗らせてはいけませぬ」




ソフィーがウンディーネを睨みつけた。




「ソフィーもかわいいわよ」




ナディアがソフィーのライトグリーンの髪を撫でる。ソフィーは目をパチパチさせて戸惑いながらも、耳まで真っ赤にして俯いた。




「あっ、ソフィーが照れてる!」




「さすがナディア様。レイ様より手懐け方が上手いわぁ」




「ボク、レイよりナディアの方が好き!」




「ありがとう、ウンディー。でも、旦那様はウンディーのこと好きだと思うわよ」




「そんなことないよ」




「レイ様、まだ謝ってくれてないのぉ?」




「謝ってはくれたけど、ボクはナディアの方が良い!」




ウンディーネはナディアの膝に登って抱き着き、ニカッと嬉しそうな笑顔を向けた。ナディアは心臓がキュンと掴まれたように感じ、思わずウンディーネをぎゅっと抱きしめた。




「かわいい~」




「へへっ、やったー!」




ナディアに頬ずりをするウンディーネを見て、ソフィーとセラフィナは顔を強張らせ、ウンディーネを引き剝がそうとする。




「離れるのじゃ、ウンディー!」




「さすがにそれはやりすぎよぉ。私だって我慢してるのにぃ」




ウンディーネはナディアにしがみつくが、2人の力に負けて引き剝がされ、ナディアに一番遠い向いの一人掛ソファに座らされた。




「2人ともひどいよっ!」




ウンディーネは頬を膨らませて不貞腐れ、ソフィーとセラフィナはふんと鼻を鳴らした。




「ふふふっ。皆、仲が良いのね」




「えー、ナディアにはそう見えるのー?」




ウンディーネは口を尖らせる。




「ええ。ここに来た時から不思議だったんだけど、ソフィーも昔からの知り合いみたいに皆に気を許している様子だし」




ソフィーがギクッと肩を持ち上げる。




「ウンディーも、セラフィナも、使用人っていうふうには見えないし。あ、あと、ディランさんも補佐官にしては旦那様への当たりが強くて」




ウンディーネとセラフィナがビクッと体を震わせ、顔を見合わせる。




「なんだか仲の良い家族みたいね」




ナディアが微笑むと、3人はほっと胸を撫で下ろした。




「家族、みたいなものかしらねぇ」




セラフィナが笑みを浮かべる。




「いいね、家族って響き。ナディアはレイと結婚したんだから、ナディアも家族だよね!」




「私も、家族でいいの?」




「もちろん!」




ウンディーネが大きく頷き、セラフィナも頷く。ソフィーはナディアの前に膝をついて手を取る。




「私はナディア様にお仕えする身ですが、家族と思って頂けるなら嬉しいですぞ」




「私も家族になれたら嬉しいけれど……」




表情が曇るナディアに気付かないウンディーネは、両手を上げて喜んだ。




「わーい、ナディアも家族!」




「じゃあ、家族で力を合わせてパーティーの準備をしましょうねぇ」




セラフィナが両手をパチンと合わせて言った時、部屋の扉が開いてレイヴノールが現れた。




「ナディア嬢、私も家族ですよね?!」




「は、はい?!」




レイヴノールは驚くナディアの方に向かってずんずん歩いていき、膝をついているソフィーをどかして自分も膝をついてナディアを見上げた。


真剣な眼差しをしたサファイアの瞳で見つめてくるレイヴノールに、ナディアは困惑の表情を向けた。




「では、私も一緒にパーティーの準備を」




言い切る前に、いつの間にか部屋に入ってきたディランがレイヴノールの背後に立ち、両肩に手を置いた。ディランの手の甲に血管が浮いて見えるほど、指に力を込めているのが分かる。レイヴノールの顔はさあっと青ざめていった。




「主、何故ここにいる。仕事はどうした」




レイヴノールは立ち上がってディランの方を振り向き、苦笑いを浮かべた。




「いやあ、皆が楽しそうに話しているのが聞こえて、居ても立っても居られなくなって、つい来ちゃった」  




ディランは目を吊り上げてさらに指に力を込めた。




「仕事しろ」




「いたたたっ! ディラン、痛いって!」




「ナディア様、大変失礼致しました」




レイヴノールの訴えを無視したディランは一礼し、項垂れるレイヴノールの背中を押して部屋から出て行った。




「さすが、ディランさんね」




「レイは、ディランに頭が上がらないんだよ」




「レイ様のお世話係みたいなものだから、苦労させられてのよねぇ」




「言葉はきついが、ディランが一番主君のことを気にかけているのじゃ。苦労を背負うのは仕方あるまい」




ナディアは3人の言うことに頷き、静かに閉められたドアを見つめた。






ディランに背中を押されたまま執務室に連れてこられたレイヴノールは、書類が積み上げられている机の前に座らされた。




「全然、仕事が減らない。目を通しても、通しても、どんどん増えていく」




「現実逃避で盗み聞きは良くないぞ」




「盗み聞きじゃない。ナディアに会いたくて部屋の前に行ったら、ナディアのかわいい声に引き寄せられて、聞き入っていたんだ」




「それを盗み聞きというんだ。そんなことより、ナディア様に気を取られないで仕事に専念しろと言ったと思うのだが」




腕を組んでレイヴノールを睨みつけるディラン。




「分かったからそう睨むな。そうだ、後で飲食店と宿屋の様子を見てくる。そのままシャノワールにいるから、帰りは遅くなる。ナディアと夕食を食べられないのが残念すぎる……」




「ナディア様は主といるとまだ緊張しておられるようだ。主がいない方が心置きなく食事ができる」




「それって、ナディアは俺と食事したくないってこと?!」




「そうかもな」




「そんなあ~。俺がいない方がいいのか……」




「そう落ち込むな。ナディア様のドレスのデザインが決まったら教えるから」




机に突っ伏して落ち込んでいたレイヴノールは、バッと顔を上げて笑顔でディランを見た。




「ナディアのドレス! セラフィナがデザインを描いたらすぐ見せるんだ、絶対だぞ!」




レイヴノールはやる気を出して、書類に目を通し始める。


ディランは執務室を後に出て呟いた。




「ちょろい」




ディランは懐から仮面を出し、足早に廊下を歩いて行った。

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