番外編:星流れの祭り
「ねぇ、アル。あなた本当に大丈夫なの?」
「何が?」
「仮にも王太子が、お忍びで王都の街にでてくることが、よ」
「大丈夫だって。今までだって散々出歩いていただろ?」
エリアノアの言葉に、アルゼルファは笑って答える。
二人は王都カイザランティアの街に、お忍びとして出かけてきていた。
「あの時はまだ立太子していなかったじゃない」
「安心して、エリー。何かあっても俺が守るから」
「もう、私が心配しているのはあなたのことなのに」
美しいエリアノアの銀の髪の毛は一つにまとめあげ、帽子の中に。服は町娘が着るようなコットンのドレスを着ていた。
一方のアルゼルファは、警備隊員の制服を身にまとっている。
「この恰好なら、警備隊員と町娘のデートにしか見えないだろう?」
目元にしわを寄せて笑い、エリアノアの手を取った。
(デート……!)
その言葉に、どこかくすぐったくも幸せな気持ちになる。以前ツァルセンで二人で街を歩いた時には、デートのようだと思ったこともあったが、今回は正真正銘のデートだ。
ちらりと横を歩くアルゼルファを見ては、心がふわふわと浮き上がっていくのを感じた。
街は祭りの最終日とあって、人の出も多く賑わっている。
「アルは星流れの祭りは初めてかしら」
「ああ。話は姉上から聞いたことがあったけどね」
王都カイザランティアには2つの大きな祭りがあった。
一つは国が主となって執り行う『女神祭』。王城開放などもあり、王都以外からも人がたくさん集まる。
そしてもう一つは、各領地がそれぞれの場所で同じ時に、三日間連続で民が主となって執り行う『星流れの祭り』だ。
「メイアルンでも勿論やるのだけど、ここ王都は人が多いだけに盛大なの」
「エリーは来たことがあるんだ」
「子どもの頃に家族でね。家族以外と来るのは、あなたが初めてよ」
エリアノアの言葉に、アルゼルファは嬉しそうな顔でその手を引き寄せた。
「きゃっ」
「もっとこっち。近くに来て」
腕が触れるか触れないかの距離まで近寄ると、今にも自分の鼓動が伝わってしまいそうで、エリアノアは落ち着かなくなる。目を動かしアルゼルファを見れば、涼しい顔で笑っていた。
(私ばっかりドキドキしているなんて)
少しはアルゼルファもドキドキしてくれれば良いのに。そんなことを思ってしまう。
「初日も一緒に見たかったな」
「仕方ないじゃない。お仕事だったんだもの」
「早く、俺以外の確認で仕事がまわる範囲を増やさないとなぁ」ゆっくりエリーとデートもできない。そう続けるアルゼルファの表情は、いたずらっ子のようだ。
空気が冷たく澄んだ夜。星流れの祭りは、寒いこの季節に行われる。
アルゼルファの言う初日とは、祭りの最初の夜のことだ。
水の女神カイアルファトゥールの元では、人は死ぬと女神の手により天上の星にあげられる。天上には川が流れており、年に一度その川の流れに乗って、星が地上に降りてくるのだ。
その星を迎えに行くと、亡くなった人に会えると言われており、祭りの初日は街中の灯りを全て消して、天を見上げることになっていた。
「美しいのだろうね」
「ええ。真っ暗な中、空一面の星が瞬くの。星は一つの流れを作って、まるで本当の川のように見えるの」
「来年は一緒に見よう」
「きっとよ?」
小首を傾げてアルゼルファに笑いかければ、珍しく彼の方が顔を赤らめてしまう。いつもと違う服装のエリアノアのその所作に、取り繕うことすらできなくなったのかもしれない。
道の中央に背中合わせに出ている屋台は、そのどちら側も美味しそうなにおいを漂わせていた。
「何か食べても良い?」
「良いね。せっかくだから見て回ろう」
それぞれの屋台では、肉を焼いたものやらフルーツを蜜漬けしたものやら、饅頭のようなものやらと、実に多種多様のものが売られている。
「あっ、あれ。あれは何かしら」
「おやお嬢さん。王都名物のガルチェの塩焼きだ。どうだい、食べてみないか?」
ガルチェとは鳥の一種で、王都近郊で良く捕れるものだ。それを切って串焼きにしたもので、一口サイズになっている。
「オヤジ、それを二本」
「ありがとうよ。お嬢さんきれいだし、兄さん格好良いからね、おまけにカルツァのシロップ酒をつけてあげよう」
「嬉しいね。いくらだい」
「二本で360パイラス」
「はい、これ。気前が良いおやじだから、釣りはいらないよ」
「アクバリール・カイアルファトゥール」
200パイラスコインを二枚店主に手渡す。店主は上機嫌でコップにシロップ酒をなみなみと注ぎ、女神カイアルファトゥールの恵みがあるように、と挨拶をした。
カルツァは木苺に似た甘酸っぱい実で、そのまま食べるには酸っぱすぎるのだが、シロップに漬け込むと香りと甘酸っぱさが適度になり、酒で割ると美味しい。
「まぁ。ガルチェってこんな味がするのね。いつも食べているものと全然違う」
「私たちの食卓にのぼるときには、ガルチェはローストが常だからね。でもこの肉は、こうして塩で焼き上げるのが一番美味しいんだ」
「アルは食べたことがあるの?」
「王都では初めてだけど、野営の時に食べたりする」
「野営なんてしてたの?!」
「言ったことなかったか」
「知らないわ。もう、私アルのことあまり知らないのね」
王子としての身分を隠して生きてきた彼の、その半生をもっと知りたい。けれど、どこまで聞いて良いのかがわからない。エリアノアのそんな気持ちが伝わったのか、アルゼルファは彼女の瞳を見て笑う。
「ゆっくり教えていくよ。俺のこと」
「──ええ。約束よ?」
(……もう、約束をすることも怖くない)
果たされることがなかった約束は、アルゼルファにより守られるものと変わっていった。エリアノアの心には、約束を信じる気持ちが生まれている。それは、とても幸せなことだった。
あっという間にガルチェを食べ終えると、シロップ酒を飲みながら街歩きを続ける。こうして食べ歩きをする経験など、エリアノアにはなかった。メイアルンの祭りでも屋台で食べ物を買うことはあったが、必ず近くの椅子に座って食べていたからだ。
「ねぇアル。マイシュがあるわ。私あれ大好きなの。食べたい!」
「良いね。いくつ食べる?」
「一つで十分……って言いたいところだけれど、二つ良い?」
「可愛いね。二つでも三つでも」
アルゼルファの言葉に、エリアノアは少し恥ずかしそうに口を開く。
「じゃぁ……三つ」
甘いスポンジ生地に、木の実を甘く煮たゼリーをのせたカイザラントの伝統的なお菓子で、この国の子どもは祝い事の度に「マイシュを一つ、手にのせて」と歌いながらそれを食べるのを楽しみにしていた。
屋台でエリアノアの分三つと自分の分の一つ、あわせて四つのマイシュを購入する。
「マイシュを一つ、手にのせて」
エリアノアも嬉しそうにそう歌いながら、掌に小さなマイシュをのせて眺める。スポンジの上のゼリーが屋台の灯りを受けて、まるで星の瞬きのように光っていた。
「ねぇ見て。とってもかわいい。まるで宝石みたい」
「今から俺たちは宝石を食べるんだね」
「そうよ。ほら、アルも歌って」
「俺も? ──マイシュを一つ、手にのせて」
「素敵な歌声」
柔らかな声が、エリアノアの耳に心地良い。あっという間に三つ食べ終えたエリアノアは、「もうなくなっちゃった」そう言いながら楽しそうに笑う。
近くの手洗い場で手を清めると、アルゼルファは再び彼女の手を握った。
「混んでいるから?」
「そうじゃないよ」
「え?」
「デートだろう」
「そう──そうね。デートだものね」
「エリーがもっと、これがデートだって思ってくれるようなことしないとな」
「十分デートだと思っているわよ」
ぷくりと膨れて見せれば、優しい目で笑う。その瞳に、エリアノアもすぐに笑い返してしまう。
そうして、食べ物の屋台以外も覗きながら、街中を歩き回っていった。
「まぁ、蝋燭の炎でまわる星ですって」
「こっちは馬車が動いている」
「ガラスでできているこのベル、繊細ね」
「このランタンは見事だなぁ」
どの屋台も、祭りの夜に見るとワクワクしてしまうようなものばかりだ。
「あ──」
その中で一軒。エリアノアが思わず目を止めてしまうものがあった。
「それ、エリーに似合いそうだね」
「そうかしら」
「ああ。──店主、これを」
「はいよ。お嬢さんにお似合いだと私も思うよ。これはね、カイザランティアの職人が一つ一つ作っているのさ」
それは青いガラスで作られた簪。エリアノアがいつもつけているような、高価な宝石などはついていないが、職人の手によって丁寧に作られた美しい細工のものだった。
簪をアルゼルファが受け取り、ジャケットにしまう。
「あとで髪に挿しても良いかな」
「ええ……勿論よ。嬉しいわ。ありがとう」
その時、神殿の鐘が鳴った。ゆっくりと三回。
「星戻しの時間がきたのね」
天から降りてきた星が天に戻っていく時間を告げる鐘だ。人々は蝋燭を手に持ち、川へと向かう。三度鳴った鐘から少し後、再び鐘が三回鳴らされる。それを合図に、屋台も家々──貴族の屋敷も含めて──も、神殿も、そして王城からも灯りが落とされ、皆が手にした蝋燭の灯りだけが、闇夜に浮かぶ。
川で小さな紙の船に蝋燭を乗せると、それが水の流れに乗って下流へと流れていく。だんだんと夜目に慣れていくと空の星がはっきりと見えてくる。
それがまるで、蝋燭の灯りが星となり天に帰っていくかのように見えるのだ。
「あの灯りに安堵してしまうの。きっと、人の想いが灯っているからね。だからきっとこんなに美しいんだわ」
流れていく蝋燭の炎が水面に広がる。遠くに流れていくそれはやがて、向こう側に見える星空へと繋がり、無数の光になっていく。
「この蝋燭の数だけ、王都の人の営みがあって、この光の数だけ、この国の命がある」
アルゼルファはそう呟く。
「俺はそれを預かる身だと──改めて感じる」
強くエリアノアの手を握り、共に歩いて行こうという意思を伝える。
一人ではなく共に。それがエリアノアにはとても嬉しく感じた。
(アルは……。この方はきっと素晴らしい国王になるわ)
胸が苦しくつまり、今にも涙が流れてきそうな心地がする。誇らしく、そしてたまらなく切ないような気持ちであり、そしてそれが愛しいという気持ちであることを、エリアノアは知った。
強く握られた手を、今度はエリアノアが強く握り返す。
少しだけ驚いたアルゼルファが、彼女の方を見る。
そうして、暗闇の中そっと帽子を外すと、買った簪を髪に挿してエリアノアを優しく抱き寄せた。
王位継承者の恋 穴澤空@コミカライズ準備中 @anothersky
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