第8話 家族会議

 あの観劇からしばらく後、ミレイが度々外出しているという話が、公爵邸の中に広がった。とは言え、良く教育が行き届いている使用人たちである。話はあくまでも公爵邸の中だけに留まっていた。


「困ったことをしでかしてくれる。誰と何をしに出かけているかなんて、決まりきっていて、嫌になるわ」


 ミレイが外出する時には、密かに馬車が用意されているという。紋章は掲げていないが、それなりの格式のものだと、門番からの報告は上がっている。


「お嬢様。奥様より家族でお茶を、とご連絡が」

「丁度良いわ。と言うよりも、お母様もきっと同じ用件ね」


 ふう、と溜め息をつくと、エリアノアは母親の待つサロンへ向かう為、部屋を出た。


「今日は……水壁の部屋。そうね、それが一番だわ」


 公爵邸のほぼ中央に位置するその部屋は、四方を滝のように流れる水で設えてあった。見通しの良い場所にそうした部屋を作ることで、密かに聞き耳を立てたり、間者を寄せ付けないようにしている。

 エリアノアが領地で遊んでいる時に、水の近くの音の聞こえ方に違いがあることに気づき提案した部屋だ。この家には、彼女が発案したそうした部屋やアイデアが溢れている。

 ここは、水壁となっている滝のお陰で、中の会話はほぼ外に聞こえないようになっていた。

 水壁を這わせているガラスの壁の一箇所だけ、滝が止まる。そこからエリアノアが中に入ると、中にはすでに両親と弟が待ち構えていた。彼女が入った後は、扉がしまり再びすぐに滝が流れ始める。


「お待たせしてしまった?」

「今ちょうど揃ったところだから、気にしないで」


 優しい顔で微笑むのは、エリアノアやホルトアの母親、クルファ・ローリア・ミンドリアル=ファトゥール公爵夫人だ。二人の母親であるとひと目でわかるほどの美しい銀髪は、だがエリアノアと違い一糸の乱れもないストレート。青い瞳が水壁に反射した光を受け入れ輝いていた。


「紅茶はアフタヌーン・ズールマトでございます」

「ありがとう」


 控えていたサロン付きの侍女が淹れた紅茶を、口に運ぶ。柔らかな茶葉の香りが口中に広がった。


「ミレイのことでしょ?」

「その通りだ。今日も出かけているみたいだが……」

「門番からの報告だと、今日は十一時に馬車が到着。ただし、手紙の取次はしていない、と」

「つまり、以前に会った時に次の約束をしている、ということなのね」


 ホルトアの報告にエリアノアがそう言えば、三人がこくりと頷く。そうして、誰が迎えをやっているかも、無論四人が四人理解していた。


「これが、二人が行った先のリストよ」


 クルファが報告書を二人の子どもに見せる。ホルトアが手にしたものを、隣に座るエリアノアが覗き込んだ。


「……随分と定番のデートね」

「こういうのがしたかったのか、殿下は」


 呆れた二人の声が同時に溢れる。報告書には、二人が行ったカフェや、宝石商、ドレスショップや雑貨屋などが記載されていた。

 誰もがわかっていたミレイの外出の相手の名前を、ホルトアはさらりと口にする。


「街中やお店の中で、気付かれなかったのかしら」

「エリーも知っている通り、殿下はあまり視察や慰安、街中での公務に熱心じゃないからな」


 父親のゼノルファイア・レイニード・カイザラント=ファトゥール公爵の言葉に、三人は苦笑するしかない。

 つまり、国民の為に働くことをあまりしていないが故に、その身分や顔が国民に気付かれることはなかったのだろう。

 これが第一王女であったり、公爵家や他の貴族の人間であればそうもいかない。彼らはしっかりと勤めを果たしている。

 持てる者の為すべき事、ノブレス・オブリージュという考え方を基に、領地や王都に於いて、できるだけ民の為に働くことを彼らは良しとした。それが自らの存在理由であると育てられることが、貴族の矜持にもなっているからだ。


「報告書には……殿下はまぁ、髪型を変えて服装を伯爵程度のものにすることで、変装しているつもりらしいと書かれているが──」

「教養のないどこぞの伯爵令嬢とは、釣り合うのではございませんこと?」


 呆れた声でクルファが言う。今まで幾人もの行儀見習いを預かってきたが、こんなことは初めてだ。いや、そもそも婚約者の家にきている行儀見習いに手を出すような、下品な真似をする人間がいるなどと、公爵家の人間は信じたくもなかった。


「エリーはどうしたい?」

「お父様──私は、サノファ殿下が選ぶ道を」


 呆れたように伏せた瞳の下に、まつ毛の影が落ちた。


(別に彼に恋心はないし、もう考えるのも正直面倒なのよね。彼のことをミレイが欲しいと思うなら、別にどうぞ、という気分)


 そんなことを思っているとは、さすがに言えない。


(まぁ、私と婚約を解消したあとの殿下であっても、正式な妻にはなれないだろうけど)


「とりあえず、現状の報告と公爵家としての考えを王と正妃、側妃のそれぞれに伝えねばならないな」

「そうね、あなた。特に正妃陛下には、ご準備いただくことがあるかもしれません」


 クルファの言葉に、三人が頷く。


「それにしても、殿下はもう少し立ち回りがうまいかと思ってたけど」

「それは私も思うわ。こんな杜撰な立ち回り方をするなんて、彼に政治は無理ね」

「うちの子どもたちは遠慮がないな」


 喉を鳴らして笑うゼノルファイアに、ホルトアが眉をあげる。


「ここで遠慮しても仕方がないでしょう」

「確かにな」


 幼い頃からエリアノアやホルトアとサノファは、共に帝王学を学んできた。特に基礎となるこの国の成り立ちから歴史、風土史、地理学などは、サノファの覚えが非常に悪かった。

 三人の学ぶ歴史には政の詳細も含まれ、いつどんな施策をし、それに対して国民がどうしたか、どんな税金を徴収し、どのように使ったのかなど、知っておかねばならないことがたくさんある。

 歴史から学び、同じ轍を踏まないようにすることは、政治家として当然のことであろう。

 しかし、彼はそうした勉強からやがて逃げるようになる。エリアノアが覚えていれば良い、などという馬鹿げた言葉も時には口にして、家庭教師たちを困らせた。


「それでも、せめて上手に人と渡り歩くことができれば、フォローのしようもあるんだけど」


 溜め息と共に、エリアノアが口を開く。

 政治とは、人心掌握術でもある。どんなに心を込めて政治を行ったところで、それを施策とするにはヒト、モノ、カネを効率的に運用せねばならない。


「この度の殿下のやり方は、政を行う人間としては落第点も落第点だな」

「父上。採点の俎上にすらあがってないですよ」

「だからこそ、この後殿下が私を選ぶかどうかが重要だわ」


 己のことだけ考えている人間を、君主として仰ぐことはできない。それは、国民を裏切ることになるからだ。

 ファトゥール公爵家の人間は、公爵夫人であるクルファ以外は全員がこの国の王位継承権を持っている。そして、クルファも含めた四人全員が、帝王学や君主教育を受けていた。加えて、エリアノアは王妃教育も受けている。

 うんざりとした空気が部屋に垂れ込める。それを払拭するように、ホルトアが口を開いた。


「そう言えば、この間の仮面の紳士のことだけど」

「やだ、ホルトア。今それを言うの?」

「なぁに。仮面の紳士だなんて、ミステリアスじゃないの」

「お母様、なんでもないのよ。ただ、この間一緒に踊ったから、素性を知りたいだけで」


 エリアノアの頬が赤く染まっていることを、目にした三人は思わず笑顔になる。


「ホルトア。その方の素性はわかったのかい?」

「それが……。正妃陛下が出されたご招待状というところまでは、わかったけど──」

「あら。この間の夜会は側妃殿下の会だったのに? ……ふぅん」

「母上、なにかご存知で?」

「いいえ。ねぇ、あなた」

「ん? ああ。その彼はどんな感じだったか教えてくれるかい? エリー」


 エリアノアの髪をそっと撫でる父に、優しくほほえみ返す。


「それはそれは、美しい金色の髪の毛をお持ちの方なの。仮面の向こうに見える瞳も、ライトグレーで美しくて。私よりも随分と大きな身長だったわ」

「エリーはその方をどう思っているの?」


 新しく注がれた紅茶を飲みながら、クルファが楽しそうに尋ねた。


「どう……って。そうね。踊りながらした会話がとても楽しかったし、踊りもあんなにワクワクしたことは久しぶり。ぜひまたご一緒したいと思って……いるわ……」

「それだけ聞ければ、今は十分だわ」


 三人に優しく見つめられて、エリアノアは何を聞かれているのかわからずに、語尾を小さくしてしまう。


「申し上げます」


 扉の外から、執事の声がした。


「側妃サルール殿下より、お嬢様に手紙が届きました」


 このタイミングの良さに、四人が顔を見合わせる。


「中に」

「は」


 ゼノルファイアの声に扉が開く。執事のセルクが手にした皮のトレイには、薄い緑色の封筒がのっている。封緘はサルールの印である青葉。それを確認すると、エリアノアはセルクに封を開けるよう伝えた。

 中から便箋を取り出すと、エリアノアはその文を目で追う。


「来週、サルール殿下が茶会を開かれるそうです。サノファ殿下もご同席とのこと」

「ミレイについては」


 ゼノルファイアの言葉に、エリアノアは首を振る。


「ミの字もないわ。まぁ、サルール殿下としては、呼ぶわけにはいかないと思うけど」

「それもそうだな」


 ふむ、と続け顎髭を軽く撫でた。


「私からは、サノファ殿下にこれ以上何かを申し上げることはしないつもり。そのまま、殿下のご判断をお待ちしようかと。彼の次期国王としての器を見るためにも」

「そうね。それが良いと思うわ。さ、この話については、今日はこの辺でお開きにしましょう」


 クルファが軽く音を立てて手を叩くと、ゆっくりと周りを流れる水が止まる。静かになった室内に、今度は花の香りが広がった。


「バラのムースを作らせたの。良い香りでしょう」


 ここからはただのお茶会よ、と言わんばかりにシェフから配されるそれを見せつける。クルファのその所作に、その場にいた三人は勿論、部屋付きの侍女たちも幸せそうに微笑む。


(ほんと、どう転ぶのかしらねぇ)


 ムースを口に運びながら、翌週に控えた側妃の茶会を思う。


(何も起こらないなんてことは、ないと思うのよ)


 その予想は、当たってしまうのだが──。

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