第6話 弟との時間

 夜会の翌日。

 ミレイ付きの家庭教師には、注意事項を含め彼女に『貴族令嬢のあり方』をしっかりと学ばせるよう改めて伝える。家庭教師は酷く恐縮していたが、実際のところはミレイが学びきれていないだけだろうと思われた。


(これで少しはマシになってくれれば、良いけど……)


 エリアノアは、ガラス張りのティーサロンで、弟のホルトアとゆったりとした紅茶の時間を楽しんでいる。


「そういえば、昨日はあなたと会わなかったわね。参加してた?」


 弟のホルトア・ムールド・ファトゥールはエリアノアが治めるメイアルンとは逆側、南西のシラルク連邦王国擁するファトム諸島王国に面した海近くの、ズールマトを治める子爵だ。


 エリアノアとは二卵性の双子で、二人とも同じように母親譲りの銀の髪に青く澄んだ、泉のような瞳をしている。彼は剣の腕も良く、短い銀髪に剣をふるった時の汗がかかったのを見た令嬢が、その姿に恋に落ちたとか落ちていないとか。


(ホルトア、格好良いのよねぇ。私が第一王子と婚約してなかったら、もうとっくに婚約者を据えていたんだろうけど……。いかんせん第一王子がアレだから、ホルトアの婚約者も決められないもんねぇ)


 このまま順当にいけば、エリアノアが家を出て王太子妃に、ホルトアは公爵家を継ぐこととなる。しかし、第一王子が立体子できないでいる今、ホルトアが場合によっては王家と縁続きの婚約をする必要が生まれるかもしれないのだ。

 ホルトアの顔をぼんやりと見ながらそんな事を考えていると、彼は楽しそうに笑った。


「昨日はホールの端で、のんびりとしていたのさ。サノファ殿下のお姿をしっかりと拝見する為に」


 控えの間に王子が来てから、ホルトアに手紙を書く時間はなかった。それでも、彼は王子の所作を十二分に確認していたようだ。


「ホルトアに連絡する時間がとれなかったから、気付いてくれてよかったわ」

「そりゃぁ、あんなに堂々と動かれたらね」


 苦笑しながら紅茶を口に運ぶ。ホルトアの治めるズールマトの名産。色は赤茶色で香り高く、淡い銀の光を器の端に浮かべるところが人気だ。


「それにしても、相手が悪いな」

「まったく同感よ。それに時期も。なんであんなに考えなしなの」


 庭のバラを漬け込んだシロップのケーキは少しだけ甘い。


(あ、おいし)


 口に入れたケーキの甘さにほろりと口元を緩ませるエリアノアに、ホルトアが笑みを浮かべた。


「やだ、なに? 口の周りにシロップでもついてる?」

「エリーがそんな不作法するわけないだろ」

「じゃあなにが愉快だったの?」

「かわいいなぁって思って」


 まるで物語の王子のように、柔らかな笑みを浮かべ甘い言葉を口にする。彼らの父親は王弟、母親はミンドリアル王国の第三王女なのだから、血統としては確かに王子なのだが。


「私をかわいいなんて言うのは、公爵家の人間と家族くらいだわ」

「サノファ殿下は?」

「……そうね、随分昔にはね」


 眉をハの字に落としたエリアノアの髪の毛を、さらりと撫でる。家族だからこその気安い所作に、エリアノアの心も穏やかになった。


(初恋を胸に殿下の妻となって、恋はなくても穏やかな夫婦関係を築ければ良いと思ってたけど。まぁそれが無理でも、せめて民の役に立てればそれでもいいかな、とは思う……でも)


 少しだけ、寂しいと思ってしまう。


「そう言えば、彼女はどうしてる?」

「さぁ。今日は家庭教師に、叱られてるんじゃないかしらね」

「そうじゃないと困るな」

「サノファ殿下にも、ご注意申し上げたけど」

「お返事は?」

「留め置く、とだけ」


 朝出した手紙への返事をぱらりと手にする。つい先ほど執事が持ってきたものだ。


「お立場を理解していただけると、助かるな」

「そこまで愚かではないと信じたいけど……どうかしらね」


 ふう、と溜め息を吐く。緩やかな巻き髪が揺れると、サロンに入る光を反射する。キラキラと光るそれは、まるで流れる水のように美しい。


「どう思ってる?」

「別に。私としては、どちらに転ぶことになっても、責務を果たすだけよ」

「僕はエリーに幸せな結婚をして欲しいけど」

「何が幸せかは、今はもうわからないのよ」

「エリー……」


 手のひらにある紅茶を、じっと見つめる。カップの中に、青い瞳が映った。わずかに揺れる水面が、その瞳を揺らす。


(もしも、ミレイと殿下がそういう仲になったとしても、私としては別に構わないのよね。殿下が、それがどういうことになるかを、きちんと理解をしてくれていれば)


「そういえば昨日、エリーは不思議な方と踊ってたね」

「見てたの? 仮面の方でしょう」

「あんなに楽しそうに踊るエリー、久しぶりに見たよ」

「そうねぇ。とても楽しい時間だったわ。また夜会でお会いできたら嬉しいけど……。どなたかしら」

「探ってみておくよ。あの会場にいらしたって言うことは、いずれかの貴族の筈だ」

「お願いしてもいい? でも、もしかしたらはっきりしない方が良いのかもしれないけど」


 王宮の中の勢力図を思う。貴族の派閥のバランスをとっているのが、このファトゥール公爵家だった。当主が王弟という立場である為、下手に懐柔しようという者もいない。ファトゥール公爵は王命を受けて動いている、という噂さえあるのだ。


「まぁどちらにしろ、知っておくに越したことはないだろう」

「それもそうね。どちらの方でも、仮面をつけている限りは、その身分には触れないのだし」


 夜会で仮面を付ける時は、その身分や素性を表に出さない、つまりは何のしがらみも持たないという決まりがある。ただし、夜会の招待状に、招待主または紹介者の署名付きで、身分の保証と仮面を付ける旨を記載する必要があった。


「また会えると良いね」

「本当に! ダンスだけじゃなくて、会話もとっても楽しかったのよ。ぜひまたお会いしたいわ」


 わずかに頬を染めながら話すエリアノアを見て、ホルトアの心がざわめく。本人は気付いていないが、おそらくこれは。


「エリー、君は」

「なぁに?」


 ホルトアの言葉に小首を傾げる彼女に「なんでもないんだ」と告げると、メイドに紅茶のお代わりを頼んだ。

 この穏やかな時間のあと、まさかあんなにも面倒なことが起きるとは思いも寄らずに──。

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