第4話 はじまり

 ミレイのドレスは、彼女の赤髪赤目にあわせた、真紅のドレスだ。美しい赤のシルクの上に、オーガンジーを重ねて柔らかさを出している。オーガンジーにはキラキラと光るビーズがあしらわれていた。赤い髪の毛は高い位置でまとめられ、黒曜石の髪飾りが揺れている。


(うんうん。ちゃんと可愛いじゃない)


 きちんと淑女に見えるよう磨き上げられたミレイを改めて見て、エリアノアは満足気に微笑む。

 それに気が付き、ミレイはエリアノアに近付こうと立ち上がった。


(まぁ、黙ってさえいてくれれば……、なんだけど)


 先程までの彼女の様子を思い出し、エリアノアは何も起きないことを祈る。

 その時。

 ノックと共に、サノファ第一王子の到来を告げる執事の声が聞こえた。


 その場で立ち上がるエリアノアに倣い、ミレイも立ち上がった。王子が部屋に入ると、貴族女性の礼であるカーテシーをする。

 侍女たちは深く頭を垂れ、礼を取った。

 王子と共に、若い騎士が同席する。ミレイのエスコート役だろう。


「よう、エリアノア。……そちらが」

「ご機嫌ようサノファ殿下。はい、ミレイです。──ミレイ」


 顔を上げ、ミレイに挨拶するように促す。彼女は慌てたように体を起こし、笑みを浮かべた。


「初めてお目にかかります、ムールアト伯爵が娘、ミレイ・ムールアトでございます」

「サノファだ。エリアノアのところにあがっているとか。公爵家で学べば、どこへだって迎え入れてもらうことができるだろう。──な」


 ミレイは返事をするのも忘れ、サノファを見続ける。やや長めの金色の髪に、明るいグレーの瞳。ミレイは、まるで王子様のようだ、と思ったが、正真正銘の王子である。


「……ミレイ」


 それが礼を欠くことと失念しているのか、知らないのかはわからないが、エリアノアが慌てて声をかけた。


「よい。まだ慣れないのだろう。そうだな。あとでミレイも私と踊るか」

「よろしいのですか!」

「殿下?」

「ダメだったか、エリアノア」

「い、いいえ。ミレイにとって光栄なことでしょう」

「では後ほど声をかけるからな、ミレイ」

「はいっ」


 ミレイのその返事に再び頭を抱えたくなるエリアノアを横目に、彼女はドレスの両端を持ち上げ、裾をひらつかせる。


「申し上げます。ご入場のお時間です」


 衛兵の声に、サノファが頷きエリアノアを見る。差し出された手に、己の掌を重ね、エリアノアはゆっくりと微笑んだ。


「行こうか」

「はい、サノファ殿下」


 エリアノアのドレスが、まるで春の光の道のようにやわらかに揺れる。

 やがて大広間の入り口へと辿り着くと、後ろを歩いていたミレイたちを先に中に通した。

 大広間の中には、すでに多くの貴族たちが集まり、思い思いの時間を過ごしている。

 エリアノアはそれを入り口近くで静かに観察していた。


「どうした」

「いいえ。──そう言えば、殿下はミレイがお気に召しまして?」

「ああ、そうだな。可愛い顔をしている」

「私もそう思いますわ」

「ムールアト伯爵と言ったな」

「ええ」

「覚えておこう」

「──よろしくお願いいたします」


(これは……浮気宣言とかなのかしらね。でも、我が家の行儀見習いから、というのはよろしくないわ。単なる気まぐれなら良いんだけど)


 やがて、室内にかかっていた楽曲が静かに終了する。喧騒が自然とおさまったところで、大きな声が響いた。


「サノファ・トゥーリ・カイザラント第一王子殿下、エリアノア・クルム・ファトゥール公爵令嬢メイアルン子爵ご入場」


 ファンファーレと共に、美しい音楽が鳴り響く。拍手がおき、二人が中へと入場していった。

 多くの視線が二人に集中する。


(何度経験しても、この瞬間というのは本当に苦手なのよねぇ。貴族たちの値踏みするような目線。もう少し隠せなって気がするけど。……隠してないのか)


 誰にも気付かれないよう一切表情にはのせず、エリアノアは心の中でそっと毒吐いた。

 慣例に則り、一番最初のダンスは主催者の身の内の者が踊る。今回は側妃主催なので、その息子である第一王子とパートナーのエリアノアが該当した。ワルツの最初のフレーズを踊り終えると、他の参加者も輪に加わる。

 優雅に踊りながらも、誰と誰がダンスを踊っているかを目の端で捉えていく。けれど、サノファへ微笑みかけることもけして忘れてはいけない。エリアノアにとって夜会とは、けして優雅で楽しいものではなかった。


(サノファ殿下がもう少しこの辺りのことをフォローしてくれれば良いんだけど)


 サノファがそうした機微に疎い為、エリアノアの仕事が増える。


(彼と結婚するということは、これが未来永劫続くってことなのよね……)


 思わず遠い目になりそうになるが、それを顔に出さないよう笑みを絶やさない。

 二曲ほど踊り終えたところで、サノファの足が止まった。


「そろそろ休憩しようか。エリアノアも疲れただろう?」


(普段はそんなこと言わないのに、珍しい)


「ご配慮ありがとうございます。それでは少し休ませていただきますわ」


 彼女の言葉に、にこりと笑みを残すと、近くの給仕にエリアノアに飲み物を渡すように指示し、サノファは窓辺へと向かう。


(あぁ、なるほど)


 サノファが向かった先はミレイが佇む窓辺。おそらくはエスコートしていた騎士と一曲踊ったは良いが、うまく踊れずに離脱したのだろう。


(うまく踊れていないところは見かけたけど……。殿下なら上手にリードしてくれるでしょうね。──頼むから、面倒なことにだけは、ならないでちょうだい)


 王族からダンスの誘いをすることは、相手にさえ気を付ければ問題はない。ただし、先にダンスの約束をすることは、パートナーの申し込みも同然だ。通常は婚約者や恋人、または告白相手など決めた相手以外にはすべきではない。


(まぁ……、殿下がどこまで考えているのかは、様子見するしかないか。下手に藪をつつく必要もないし)


 ダンスの約束をしたことを婚約者に告げる。それはいくつもの意味を持ってしまう。特に王族であればなおのことだ。

 現在、王宮では第一王子が王位継承者として扱われている。だが、その地位は何もせず盤石というわけではない。王子の母親が側妃であるからだ。

 このカイザラント王国の始祖は女王である。その為、王位継承権が男子に限られることはない。初代王であるアーファーマド・ファトゥール・カイザラントの娘が、巫女となり母である女王を政治的にも精神的にも助けたことにより、王の娘が巫女となることだけは決められている。

 過去には愚王になる可能性のある男子と姫巫女だけの場合に、姫巫女が王と兼務することもあった。

 つまり、第一王子が愚者であった場合には、正妃の娘である姫巫女が王位を継ぐ可能性もあるのだ。

 しかも、現在の王子は側妃の子。王宮内の立場は非常に微妙なものなのである。


(サノファ殿下は、その辺りのことくらいは、きちんとわかっているはずだけど)


 王子の様子を伺っていると、やがてミレイを伴い中央のダンススペースへとやってきた。彼女の腰を抱き、ミレイもまた王子の腕に体を寄せる。


(ちょっと近寄りすぎね。本当の本当に、面倒ごとだけは起こさないでよ……)


 あまり煩く言い過ぎるつもりはないが、あれではあまり外聞がよろしくない。エリアノアは、今日一日でどれだけのことをミレイに注意しなければならなくなったのか、とげんなりしてしまう。


(殿下には、軽率なことは控えて貰うように言わないとね。子どもじゃないんだから、もう勘弁してよ)


 王子の合図で、かかっている曲が変わった。初心者でも踊りやすいゆったりとした曲調だ。さすがは第一王子と言うべきか。足元の覚束ないミレイをリードし、美しく踊らせている。その手腕に、エリアノアは口元を緩ませた。


(まったく。その手腕が他に生きてくれれば良いのに)


 サノファ第一王子は、物事を見通す力や必要なところで振るうべき手腕に、少々欠けている。エリアノアと共に帝王学を学んでいるのに、心許ないことがあまりにも多かった。

 だが、エリアノアが側につきサポートをすればやがて、物事を見る力も養われるだろう。周囲の大人たちはそう見ていた。それほど、エリアノアの能力が高いのだ。


(私の力が必要な時点で、本来は王としては失格なんだけど。政治的な事情だから、仕方が無いとは言え……。好きでもない男と結婚するんだから、せめてまっとうな男でいて欲しいわ)


「メイアルン子爵、私とのダンスをお願いできませんか」


 先程から数多くのダンスの誘いが来ては、休憩をしていると断っていたエリアノアだが、かかる声がエリアノア自身を評価した爵位での呼び名だったばかりに、思わず目をみはる。


「あなたは」


 仮面をつけた紳士がそこにはいた。185センチはあろう高い背に、美しい金髪。仮面の為に顔ははっきり見えないが、鼻や唇などのそれぞれのパーツが、全体が整っているであろうことを予想させる。


「こんな姿で申し訳ございません。ですが、ぜひ卿と踊りたく参上いたしました」

「まぁ大げさな」


 くすくすと笑いながら、差し出された手に触れる。


「良いわ。ここに入れるということは、不審な方ではないのでしょう。一曲お願いいたします」


 王子とミレイが踊る部屋の中央へ、曲にあわせて二人で舞いながら移動していった。

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