2つの王国(1)
靴下をしっかりと伸ばし、ベッドシーツの上に左右を並べた。右足の靴下は、親指の付け根あたりに1センチ大の穴が開いているものの、これならまだいける。左足は、……こりゃダメだ。いくつもの小さな穴がつながって、足裏全体にぽっかりと空いた巨大な穴が広がってしまっている。まるでセクシーな水着みたいだ。僕は目の前の小さな黒いボロキレ(かつての靴下)をつまみ、そっとゴミ箱に捨てた。
長い距離を歩くには足のマメ対策が何より重要だ。僕は四国での歩き遍路の経験からこのことをよく知っている。いろいろ試した結果、5本指ソックスが欠かせないという結論に至り、今回は6足用意してきた。しかし、これで残りは右足用が5足で左足用が3足。なぜか左足の方が破れやすい。仕方ないので、今日は右足の靴下を裏返し、左足用として履くことにした。
カフェで少し遅めの朝食をとっているところにスチュアート夫妻がやってきた。彼らはすでに朝食を済ませたらしく、僕がボカディージョをかじっている横でネスレのレモンティーを飲み始めた。さすがイギリス人、一日の始まりはコーヒーではなく紅茶なのだ。
カミーノで顔なじみと会えば、挨拶もそこそこに会話が始まる。1週間ほど前、夏祭りの騒音で眠れなかった話を何気なくすると、スチュアートは「カミーノにはこれが必須アイテムなんだ」と言って僕に耳栓を差し出した。
「もらっちゃっていいの?」
「もちろん。バックパックの中にいくらでもあるからね」
耳栓を大量に持ち歩いているとは変わった男だ。
「私はね、いろんなことを試してみるのが好きなんだが」
いきなりそう言うと、スチュアートはネスレのレモンティーが入っていたグラスから氷を取り出し、手にした十徳ナイフでガリガリと削り始めた。
「ほら、これでいつでも冷たい水が飲める」
砕いた氷を空のペットボトルに詰め込み、すっかりご満悦な様子。スチュアート、やっぱり変わった男だ。
「さて、私たちはそろそろ行くけど、トシ、君はどっちの道を行くんだ?」
集落の出口付近にある橋の手前でカミーノは二手に分かれている。県道沿いを進むルートか、それとも川沿いの道か。僕はまだ決めかねていたが、スチュアートは「川沿いが断然いい」と勧めてきた。彼は前回の巡礼で国道沿いを歩いたのだが、眺めは悪いは、車の排気ガスも酷いはで、歩いていて全然楽しくなかったらしい。
「なるほどね。だったら僕も川沿いの方にしようかな」
「うん、その方がいい」
彼らはテーブルを立ち、僕は「またあとで! そのうち追いつくよ」と言葉をかけた。
スチュアート先生のアドバイスにしたがい、橋の手前で右に折れた。
川沿いの道は県道沿いよりマシなのかもしれないけれど、それ以上でもそれ以下でもないというのが正直な感想だ。道は砂利道か土道、左右にマツやブナの木が茂り、足元にタンポポやチコリーの花が点々と咲く。これもまた、あまりにもありきたりだ。
陽気はどうか。正午を過ぎて気温が31度まで上がったものの、今日は雲がいくらか多く、太陽がちょくちょく奥に隠れる。まさに巡礼日和といったところで文句のつけようもない。
それなのに、何か物足りない。カミーノを歩くことがすっかり日課になってしまったからだろうか。
足首の違和感はまだ残っているものの、そのほかの筋肉痛や、体力的な問題はほとんどない。30キロ歩いてもたいして疲労感すら覚えない。けれども精神面、つまり「気持ちの問題」は少し深刻化しつつあった。
一言で言えば、ずっと歩き続けているせいで、歩くのに飽きてきた。とりわけ、「どこまで行っても小麦畑しかない」みたいな道を歩いている時は「タスクを淡々とこなしている」かのように感じる。サンティアゴまでの道のりがまだ半ばだと思うと、先が少し思いやられる。新しい刺激や発見が何かないものか。
おととい、メセタで出会ったアルメニア出身の巡礼者がこんなことを言っていた。
「カミーノはただのハイキングじゃなくて、身体・精神・魂のトレーニングなんだ」
800キロも歩くのだから、カミーノに身体的なトレーニングの一面があるのはすぐに分かる。また、歩くのがどれほど辛くても、自分の足で歩を進めなければサンティアゴには絶対にたどり着かないのだから、強い精神力が求められることも理解できる。そして、退屈だとか飽きたとか、そんな感情を乗り越えながら前へ進むことも、彼の言う精神のトレーニングなのだろう。
変わり映えのしない景色の中、「精神のトレーニング」をしながら歩き続け、ビジャルカサル・デ・シルガという小さな町にたどり着いた。この町の入り口で、二手に分かれた道が合流した。
ガイドブックによれば、この町は12世紀半ばから巡礼者へのホスピタリティで知られ、テンプル騎士団の拠点にもなったという。その象徴とも言えるのが、町の中心部に建てられたパブロ・パジョの銅像だ。かつて、徒歩での巡礼が命がけだった時代に、巡礼者を厚くもてなす宿はまるでオアシスのような場所だったに違いない。この銅像は、そうした巡礼宿の主人だった。
パブロ・パジョは、お茶のポットとティーカップが置かれたテーブルの前に、杖を持って静かに座っている。つば広の帽子はテンガロンハットのように見え、胸元には正面が左右に割れたヨダレ掛けのような布。そして、帽子とヨダレ掛けの左右に帆立貝が縫い付けられている。銅像が建つほどのホスピタリティとはどれほどのものだったのだろう?
そんなことを考えながら立ち去ろうとした時、ちょうど地元の家族連れが通りかかった。銅像とのツーショット写真をお願いすると、笑顔で「もちろん!」と快諾してくれた。さすが、ホスピタリティの町だ。この小さな親切が、低空飛行だった気分をフワッと押し上げてくれた。
町を抜けると再び単調なカミーノが続く。けれども、不思議と今は退屈さを感じない。さっきの親切の余韻が確実に効いている。
やがて県道のわき道に出た。まっすぐに伸びた平坦な道には視界を遮るものが何もなく、5キロ先にあるカリオンの町が小さく見えている。あれが今日の目的地だ。
遠目にもそれなりの規模感がある町だということは分かった。いざ近づいてみると、僕の想像をはるかに超えた大きさの町で、ちょっとした観光地だった。帆立貝が彫られた真鍮製のブロックが路上のあちこちに埋め込まれている。
目抜き通りにホテル、オスタル、バル、レストランなどがぎっしりと並んでいる。宿泊施設の看板を見ると、「部屋あります」の文字が英語やフランス語で書かれているのは当然として、日本語まで目にしたのには驚いた。このカミーノ巡礼で日本語表記の看板を見たのは初めてだ。
思わず足を止めて写真を撮っていると、宿の主人らしき男性が出てきて「スタンプはどうだい?」と声を掛けてきた。自分が宿泊する宿じゃないので1度は断ったけれど、「いいから、いいから! きれいなスタンプだから」とグイグイ押してくる。そこまで言うなら、せっかくだし頂いておこうか。僕が巡礼手帳を差し出すと、なんと宿の主人は引き出しの中からシールを取り出した。スタンプを押す代わりにシールを貼るとは斬新だ。彼はその上に今日の日付を書き込んでくれた。グラシアス!
町のにぎわいに軽く興奮しながら、通りをぶらぶらと歩いていると、ロマネスク様式の博物館が偶然にも「サンティアゴ展」を開催していた。巡礼者として、これを見逃すわけにはいかない。一般の観光客の入館料は3ユーロなのだが、巡礼手帳を見せると1ユーロで入館することができた。
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