それぞれの巡礼(1)

 サントドミンゴの町はベージュ系の柔らかトーンに包まれている。この数日間で通り過ぎてきた赤土のような色合いの町や村とはずいぶんと対照的だ。


 そのサントドミンゴの中心地で僕は初めて「パラドール」を目にした。パラドールは歴史的に価値の高い建造物、例えばかつての宮殿や修道院を改装した国営ホテルで、スペイン各地で旅行者の人気を集めている。僕がこれまでに抱いていたイメージは「豪華」かつ「無縁」。でも目の前の実物は想像していたよりも簡素な建物だった。


 玄関前に掲げられた説明によると、大聖堂の向かい側、広場に面したこのパラドールは12世紀に建てられた救護院で、当時から巡礼者の宿泊施設として使われていたらしい。


 こういう由緒ならぜひ泊まってみたいところだ。興味本位でブッキングドットコムを開き、料金を調べてみると、一番安い部屋は1泊140ユーロ(約2万2千円)。決して安くはないけれど、手が出せない金額というほどではない。カミーノの途中にはパラドールが4、5軒あるそうなので、巡礼達成までにどこかで1泊してみるのも悪くない。


 パラドールをあとにして町なかをぶらぶらと歩く。道端に並ぶ、巡礼をモチーフにした現代アート風のオブジェを眺めながら、少しばかり観光気分にひたった。


 町の外れに流れるオハ川を渡ると、その先に広がる風景は昨日までとほとんど変わらない。ただ、これまで目についた赤茶けた大地が減り、代わりにサントドミンゴの建造物と同じ黄土色の地面が目立つようになってきた。赤土と歩調を合わせるように葡萄畑が姿を消すと、ふたたび向日葵畑の存在感が増してきた。


 道路に面した最前列の向日葵たちは、種の部分をむしり取られて「顔」が描かれている。すっかりおなじみのニコチャンマーク。


 でも、それに慣れすぎたせいか、むしろ「顔なし」の向日葵の方が「のっぺらぼう」みたいで不気味に感じることがある。……あれ、向日葵って前からこんなに怖い顔していたっけ?


 北側に広がる黄色い向日葵畑を眺めながらしばらく歩いていて、数輪の花の前でふと足が止まった。そして、唐突に怖さの理由が分かった。僕の目の前で大きく咲いている花は中心部の「顔」が直径5センチくらい。その周りを、やっぱり5センチほどの鮮やかな黄色の花びらがぐるりと囲んでいて、すこぶる健全に見える。


 でも、「のっぺらぼう」の向日葵は顔がデカいのだ! 直径20〜30センチくらい。花びらのサイズは健全なやつとほとんど変わらないから、顔のデカさが強調される。


 さらに、よくよく意識して見ると、「のっぺらぼう」たちの花びらはしおれかけていて、鮮やかな黄色というよりも黒ずんだり緑がかったりしていた。そのせいで、なんだか向日葵とは別物に見えるのだ。健全系とのっぺらぼう系が別の種類なのか、それとも十分に成長するとのっぺらぼう化するのかは依然として分からないけれど、ひとまず怖さの謎は解けた。


 ***


 ラ・リオハ州の最後の町、グラニョンに到着した。町の高台に小さな公園があり、その入り口にベンチがぽつんと置かれている。ひと休みするために、リュックを下ろしてベンチに腰かけた。


 すると、僕がいま上ってきたばかりの坂道の方から、まだ小学生くらいの少年が自転車に乗って現れた。すぐ後ろに女の子、そしてまた別の男の子。さらにお母さん、お父さんと続く。みんな自転車だ。


 僕の目を引いたのは、お父さんの自転車に取り付けられた小さな黄色のリヤカー。その中になんと、小さなお姫様がちょこんと座っている!


 彼らは隣のカフェで朝食をとるつもりらしく、ベンチのそばに自転車を並べて停めると、ヘルメットを外し始めた。少年と目が合ったので、「オラ」と声を掛けると、はにかみながら小さく「オラ」と返してくれた。


 巡礼一家の後ろ姿がカフェの中に消えるのを見届けてから、僕も立ち上がり、リュックを背負ってふたたび歩き始めた。


 道には石畳が敷き詰められていて、その両側にベージュ色の家屋が立ち並んでいる。それが、一歩町を出た途端、砂利道に変わった。一切の建物が忽然と姿を消して、視界をさえぎるものが何もなくなる。小麦畑のほかは本当に何もなく、はるか遠くまで見晴るかすことができる。僕のはるか前方を歩いている二人の巡礼が豆粒みたいに小さく見える。


 ラ・リオハ州を抜け、カスティーリャ・イ・レオン州へと足を踏み入れた。とはいえ、周囲の風景に劇的な変化があるわけではない。


「カスティーリャ・イ・レオン」という州名は「カスティーリャとレオン」の意味で、かつてイベリア半島に存在したカスティーリャ王国とレオン王国に由来する。スペイン語を意味する「カステジャーノ」は文字通りカスティージャ(カスティーリャ)の言葉のこと。この州はある意味でスペインの歴史的な中核とも言える地域だ。だからなのか、サンティアゴ巡礼路の整備にも力を注いでいるようで、青地に黄色の帆立貝と矢印が描かれた、州名入りの大きな案内板が道沿いに増えてきた。


 砂利道の登り坂をノロノロと歩いていると、さっきの巡礼一家が自転車で僕を追い越していった。でも人数が足りない。後ろを振り返ると、お父さんだけが自転車を降りてフウフウと息を切らしながら坂を登っている。そりゃそうだ、お姫様を乗せたリヤカー付きだもんなあ。


 僕の横に並んだお父さんに「ブエン・カミーノ」と声を掛け、お姫様の年齢を訊ねると「4歳」という答えが返ってきた。僕と同じサン・ジャンから巡礼を始め、だいたい1日35キロのペースでサンティアゴを目指しているらしい。普通の自転車巡礼なら、毎日少なくとも80キロは進むはずだから、彼らのペースはかなりゆっくりだ。


「ひとつ困ったことがあってね」と、お父さんが僕にそっと打ち明けた。「わたしたちはみんな宿に着くとヘトヘトで夜はゆっくりと眠りたいんだけど、この子は」そう言ってリヤカーを見る。「ひとりだけ全然疲れないから夜眠りたがらないんだよ!」

 そりゃそうだろう!


「あと3、4年もすればこの子も自分で自転車に乗れるようになるだろうに。でも、それまで待てなかったってわけだね」


 僕がそう言うと、お父さんは苦笑しながら頷いた。


 彼はペースを緩め、自転車を押しながら僕と並んで歩き続ける。


「カミーノってさ、1回やり終えてもまたすぐに次の巡礼に出たがる人がいるんだよ」


 こめかみに人差し指を当て、手首を軽く左右に回しつつ、ちょっとアレだよね、という感じでお父さんがそう言ったけれど、僕からすれば4歳の娘をリヤカーで運びながらの巡礼というのも十分にアレな気はする。もちろん、いい意味で。


 ようやく坂を登り切ると、お父さんは自転車にまたがり、ペダルに足をかけた。そして、「それじゃあ!」と軽く手を振ると、ほかの家族に追いつくべく、猛スピードで坂を駆け降りていった。背中に背負ったリュックが風を切り、リヤカーが軽く跳ねながら彼のあとを追う。ちょっとしたジェットコースターみたいだ。


 後ろ姿を見送りながら、リヤカーの中のお姫様は大丈夫かな、と少し気になった。

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