夢写師カレンと刻の万華鏡

大西さん

第1章 霧の中の時計の音

第1話 夢写師の娘

時のざわめき、霧の帳。

絡み合う糸、過去と未来。

忘れられた旋律、狂いゆく歯車。

その音は、ただの始まりに過ぎない。


■夢写師の娘


2026年6月、霧梁県久遠木町。


朝6時。橋爪カレンのスマートウォッチが、優しい振動で目覚めを告げた。枕元のスマートスピーカーが、AIアシスタントの落ち着いた声で今日の予定を読み上げ始める。「おはようございます、カレンさん。今日は晴れ、最高気温28度。午前9時から都市伝説調査サークルの定例会、午後2時からSIDの改良作業の予定です」


「うるさい」カレンは布団に顔を埋めながら呟いた。「あと5分……」


「申し訳ありませんが、昨日も同じことをおっしゃって、結局30分遅れました」


AIの指摘に、カレンは観念して起き上がった。窓の外を見ると、霧梁県特有の朝霧が、薄っすらと町を包んでいる。この霧は、単なる気象現象ではないことを、カレンは知っていた。その向こうに、昨日から何度も繰り返して見ていた夢の残像が、微かに揺らめいた。黒い霧に包まれた時計塔と、助けを求める金色の瞳。


寝室を出ると、廊下の壁に設置されたデジタルフォトフレームが、家族の写真をスライドショーで映し出している。その中に、22歳で行方不明になったという大叔母・橋本チヨの写真もあった。金色の瞳を持つ美しい巫女。カレンと同じ瞳の色。


「また、徹夜?」


階段を降りると、リビングから母ルカの声がした。42歳になったルカは、既に朝食の準備を終えていた。テーブルには、昔ながらの和食と、最新の健康管理アプリが推奨するスムージーが並んでいる。


「ちょっとだけ」カレンは曖昧に答えながら、作業部屋の方を見た。「SIDのキャリブレーションが上手くいかなくて」


「無理は禁物よ」ルカは心配そうに娘を見つめた。「最近、町で変なことが起きてるし」


「変なこと?」


「記憶喪失」父の蓮が新聞を読みながら口を開いた。「ここ数日で、十数人が家族の名前を忘れたり、自分の仕事を思い出せなくなったりしているらしい」


カレンは手を止め、箸を持つ手が微かに震えた。記憶喪失。それも集団で。これは尋常ではない。脳裏に、昨夜の夢に見た金色の瞳が重なる。まるで、この事態を予見していたかのように。


■朝の異変


朝食後、カレンは自室に戻ってSIDの最終調整を行っていた。


魂写真館の作業部屋は、最新のデジタル機器と古い写真機材が混在する不思議な空間だった。3Dプリンターで出力されたドローンのパーツ、高性能なGPUを積んだワークステーション、そしてその隣には、曾祖父の代から使われている現像用の薬品瓶。


「プロトタイプ、頼むよ……」


カレンの呟きが、静寂な作業部屋に小さく響いた。スマートグラスを掛け直し、ディスプレイに映し出されるデータストリームを凝視する。


SID(Spiritual Interface Device)——魂のシグネチャを量子揺らぎとして解析し、可視化する装置。3年前から開発を始めて、ようやく実用段階まで漕ぎ着けた。理論上は完璧なはずだった。しかし、実際の測定値にはノイズが混じり、クリアな波形を描いてくれない。


「なんで安定しないんだろう」


カレンは苛立ちながら、プログラムのコードを見直した。Python、C++、そして一部は量子コンピューティング用の特殊言語。すべて独学で身につけた。母のような天賦の才能はないが、技術でカバーできるはず。そう信じて、今日も画面に向かう。しかし、何度コードを修正しても、SIDのレンズは濁ったままだ。まるで、何かの「影」が邪魔をしているかのように。


突然、測定器が異常な数値を示した。


「え?」


画面に表示されたのは、通常の何百倍もの霊的エネルギー反応。しかも、それは魂写真館の外から、町全体を覆うように広がっていた。

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