第3話

 それからの日々、朱華しゅか緋央ひおうに生きている楽しさを感じてもらえるように、精一杯の奮闘を始めた。


緋央ひおうさま、今日はお外で遊びませんか!? 見よう見まねで凧なるものを作ったのです、なんとこれが空を飛ぶのだそうですよ!」

「この構造で凧は飛ばない。後宮の庭は入り組んだ構造で、揚げるために走る場所もない。第一いまは夜で月もなく、この暗さで外遊びなど尋常ではない。却下だ」

「なんと……!! 緋央ひおうさま、やはり物凄く物知りなのですね……!?」


 残り二十日。毎日懸命に遊びの提案をした結果、窓辺でつまらなさそうに書ばかり読んでいた緋央ひおうが、寝台で朱華しゅかの隣に座って同じ書を読んでくれるようになった。


緋央ひおうさま、書の続きは隠してしまいました! あの物語がこの先どうなるか気になりますよね? 結末が読めるまで生きていたいですよね?」

「展開にはおおよそ察しがついていて、真犯人も間違いがないと予想している。続きを読んでいるのは、答え合わせのためでしかない惰性だが……知りたいならお前にも教えてやろうか?」

「えっ嘘、一体だれが主人公の兄を殺めたのですか!? ……いやいやいややっぱり駄目です待ってください!! 後生ですお許しを、あああーっ!!」


 続いて残り十七日。先日『朱華しゅかが好きなもの』について質問をしてきた緋央ひおうは、寝所に花を持ってきてくれるようになった。


 朱華しゅかが『お花が好きです」と答えたためで、彼のくれた花を飾っているこの寝所は、常に甘い香りが漂う空間と化しつつある。


「お花って綺麗で可愛くて、とても良い香りですよね。眺めていると癒されますよね!」

「そういえば古来より、花によって命を落とした人間の逸話が方々に残っているな。あまり知られていないものでいえば、とある花の蜜同士を混ぜ合わせたときに作り出される毒が……」

「癒しの話をしていたはずが、どうして死因のお話に!? うっでも正直気になります、そのお話ぜひもうちょっと……!!」


 残り十五日。緋央ひおうが後宮に訪れる時間が、なんだかだんだん早くなってきている。執政を終えてすぐ、夕餉すら済ませずにやって来ることも増えてきたのだが、こんな場合にうってつけの作戦を思い付いた。


緋央ひおうさま、美味しいご飯を作りました! 今日は庭の草を煮たお粥に、緋央ひおうさまの下さったお花の葉っぱを添えています!」

「……待て、尚食の者たちは普段お前にどのような食事を出しているんだ? すぐに調査させてやる、取り急ぎ最近の食事の内容を話してみろ」

「最近というかいつも同じです。朝は水分多めのお粥、昼はちょっぴりお野菜の入ったお粥! 夜は固形物がちょっと多めで、なんと時々お魚の身が入っていることもありますよ!」

「…………」

緋央ひおうさま?」


 食事を口にしてもらう前だが、額を押さえて溜め息をついた緋央ひおうの顔を見れば分かる。皇帝である緋央ひおうにとって、朱華しゅかの用意する食事はあまりにも粗末だったのだろう。


「も、申し訳ありません。緋央ひおうさま!」


 朱華しゅかは慌ててお粥を後ろに隠し、彼に対する非礼を詫びた。これは朱華しゅかの夕餉でもあったのだが、男の人には量だって足りないだろう。


「このような食事を皇帝陛下にお出ししてしまうなど、あってはならないことでした……。すぐに宮殿にお戻りになって、お食事はそちらでお召し上がりになってください……」

「…………」


 緋央ひおうは少し考えるように目を伏せて、それから朱華しゅかにこう告げる。


「食べさせろ」

「へ!?」


 思わぬ命令を向けられて、ひっくりかえった声が出た。けれども緋央ひおうは当然のような顔をし、淡々と冷静にこう続ける。


「その粥はお前が『作った』のだろう? であれば最後まで責任を持ち、お前が手ずから俺に食べさせろ」

「一体何の責任です!?」


 まったく飲み込めなかったのだが、緋央ひおうは平然と目を閉じた。あまつさえ口まで開けてくるので、朱華しゅかはおずおずと粥を掬って彼に差し出す。


「…………」

「あ、あの……」


 それを咀嚼した彼は、美味しいとも不味いとも言わなかった。代わりにもう一度朱華しゅかを見やり、こう続ける。


「――もう一口」

「!」


 朱華しゅかは慌ててれんげを使い、緋央ひおうに粥を食べさせる。朱華しゅかの『給仕』により、緋央ひおうがすべての粥を平らげたあとは、彼の命令によって朱華しゅかのための食事が運ばれてきた。


 その翌朝からも、とんでもなく素晴らしい美味しさのご馳走は、三食きっちり欠かさずに、朱華しゅかのために用意されるようになる。


 そして、緋央ひおうの死まで残り十日となった頃。


「え、ええと……緋央ひおうさま」

「なんだ。朱華しゅか


 緋央ひおうはなんと、寝台に座った朱華しゅかの傍に寝そべり、朱華しゅかの膝を枕にして書を読むようになった。


 それでは寝にくいのではないかと思うのに、彼が気にする様子はない。膝から伝わってくる彼の体温や、預けられた重みに、朱華しゅかはなんだかそわそわしてしまうのだ。


「私の膝よりも、こちらの枕をお使いになった方が」

「なんだ。……嫌か」

「そういう訳ではないのですが!!」


 気恥ずかしくて落ち着かないなんて白状するのは、もっと恥ずかしいことのように感じた。


 けれども朱華しゅかが視線を落とせば、長い睫毛に縁取られた双眸を伏せた緋央ひおうが、つまらなさそうに書を読んでいるその顔がよく見える。


(本当に、綺麗な人……)


 どきどきと落ち着かない鼓動に苛まれながらも、彼の顔色を観察する。じっと無遠慮に見つめていると、緋央ひおうはやがて口を開くのだ。


「俺の顔に、死因でも書いてあったか?」

「……ご健康な顔色そのものです。ですから緋央ひおうさまがお亡くなりになる原因は、病では無いような……」

「そうか」


 どうでもいいと言わんばかりの返事だ。張り切ってさまざまな策を仕掛けているものの、『緋央ひおうさまに生きるのが楽しいと思っていただく大作戦』は成功していない。


 幸いなのは、緋央ひおうが毎夜のように後宮に訪れて、朱華しゅかと寝所で過ごしてくれることだ。


 もちろんそれ以上のことはなく、緋央ひおう朱華しゅかに触れるのは膝枕のときくらいで、『周りが面倒だから選ばれた妃』の立場をしみじみと実感する。

 けれどこんなに機会があるのに、朱華しゅかはどうしようもなく無力だった。


「……お前は本当に、おかしな奴だな」

「?」


 巻物を顔の前から下ろした緋央ひおうが、真下から朱華しゅかの双眸を見上げてくる。


「俺を生かすために努力するお前を、俺は適当にあしらっている」

「えっ!? 適当にあしらわれていたんですか!?」

「そうだ。何をしても無駄だという徒労を重ねれば、普通は何もかもどうでもよくなるものだろう」


 その言葉からは少しだけ、彼の実体験が窺えるような気がした。朱華しゅかが大人しく聞いていると、緋央ひおうは再び書に視線を向けながらこう続ける。


「死んでも構わないなどと言う俺は、お前に対して不誠実な存在だ。それなのにお前は毎夜の呼び出しに応じ、枕として身を差し出して、俺の頭を撫でたりもする」

(撫でているのは無自覚でしたが!!)


 慌てて手をしゅばっと引っ込めると、緋央ひおうがふっと小さく息を吐き、目を細めた。


「……本当に、おかしな奴だ」

(いま、緋央ひおうさまが笑った……?)


 それに気が付いた瞬間に、朱華しゅかの頬は一気に火照った。

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