金を継ぐ男

金科玉条

 私の湯呑みを持つ手は、小刻みに震えていた。

 卓袱台を挟んで向かい合う男は体格に秀で、着慣れないスーツが窮屈そうだ。昔の面影は残しながら、十年前は黒かった髪を金に染めている。


「栄太郎。今さら何のために顔を出した?」

「……ごめん。親父にしかできない頼みがあるんだ」


 加賀栄太郎は十年前に家と故郷を飛び出し、家業を継ぐことから逃げた。風の噂で、東京でプロレスラーをやっているとは聞いている。

 加賀家は代々続く金継きんつぎ師の家系であり、私は五代目にあたる。還暦を過ぎ、体力や集中力の衰えに自覚的になっても現役でいるのは、一人息子である栄太郎が後継者にならなかったからだ。


「金は貸さんぞ。我が家にもそんな余裕はないからな」

「金じゃなくて、きんが欲しいんだ。親父に……加賀栄進かがえいしんに、金継ぎをしてほしい」


 栄太郎はそう言い、深々と頭を下げる。家業を継ぐことを嫌っていた息子が、どういう風の吹き回しで?


「皿か? それとも茶碗か? 構わないが、唐突だな……」


 十年も顔を見せなかったとはいえ、私の一人息子だ。これを機に金継ぎに興味を持ち、後継者になるなら万々歳である。そのために今まで弟子を取らなかったし、後継の座は空席にしておいたのだから。

 感慨に耽っていると、栄太郎は既に立ち上がっていた。歓喜に咽びながら、スラックスを脱いで下着姿になっている。屈強な太腿の筋肉が顕になり、噂は本当なのだ、と実感が湧いた。


「親父……頼むよ。俺のタマに、金継ぎをしてくれ」


 湯呑みの水面が揺れている。一番最初に出た感情は怒りや呆れではない。困惑だった。


「タマって、あの……?」

「具体的に言うなら、陰……」

「それ以上言うな。……人体だぞ? 内臓だぞ!?」


 ふざけるな、と言えなかった。栄太郎は真っ直ぐに私を見つめていて、頭ごなしに拒絶してはいけないような気迫があった。その頼みは金継ぎ師を愚弄しているように思えるが、息子なりの理由があるのかもしれない。そうであってほしい。


「俺さ、東京でレスラーやってたんだよ。団体に所属して十年、鳴かず飛ばずでさ……。この前の試合で方向性を変えないといけないと思ったんだ」


 栄太郎が鞄から取り出したのは、金箔があしらわれた覆面だった。形や意匠から、それが善玉ではないことは私にも理解できる。


「悪役レスラーか」

「金的・目潰し・凶器攻撃ありのルールだよ。それくらい堂々とやれるようにならないと、リングに立つ覚悟なんか語れない。リングに立ち続ける為なら、俺はなんだってやる」


 金継ぎは自分を鼓舞するための覚悟の証だ。そう栄太郎は言う。そんな刺青のような感覚でやるには危険すぎると思うのだが、栄太郎は一歩も引かなかった。


「漆や膠を使うんだぞ? 私たちでさえ肌に付かないように気を使うんだ。金箔ではダメなのか?」


 私の問いに、栄太郎は首を横に振る。


「ダメなんだよ。“貼る”のと“継ぐ”のは違う。俺のは、もうヒビが入っちまってる。……だから、繋いでほしいんだ。親父の手で」


 冗談にしては切実すぎる言い草だった。栄太郎はそのまま、鞄からくしゃくしゃになった診断書を取り出した。

 そこには、こう記されていた。


 《左睾丸損傷──機能不全。再建手術の適応外》


 私は、言葉を失った。栄太郎がふざけているのではないと、ようやく心の底から理解した。


「……事故か?」

「コーナーポストからのミサイル・キックが直撃したんだ。たぶん……あのとき、人生のど真ん中にヒビが入ったんだと思う」


 栄太郎は唇の端を上げて笑う。その笑みはどこか、壊れた器の縁に似ていた。


「だからさ。俺のこのタマを、“これでいい”って思えるようにしたい。そうじゃないと……これから先、リングに立てない気がするんだよ」


 私は思わず唸るように呟いた。


「……膠でかぶれるぞ?」

「えっ、そこ?」

「漆と膠は有毒だ。皮膚に付けば赤く腫れ上がるし、汗をかけば中まで染みていく。お前のその……アレに塗れば、冗談抜きで地獄をみるぞ」


 栄太郎は寂しげに笑った。


「大丈夫。リングの上の地獄よりはマシだと思う」


 何も言えなかった。どこかで必死に戦っていた息子の事を何も知らずに、ただ家を継がせることに固執していた愚かな父親が掛ける言葉など、今は何ひとつ無いのではないか?


「少し考えさせてくれ。……いつまでここに居るんだ?」

「明後日だよ。再始動戦をやるんだ。東京じゃなく、隣町のホールで!」


 栄太郎は卓袱台にチケットを1枚置くと、練習のために家を出ていく。

 格闘技など観たこともないし興味もなかった。明後日は、ちょうど暇だ。


 その日の晩は、眠れなかった。栄太郎の告白と寂しげな笑みが脳裏に焼き付き、何度も寝返りを打つ。ふと目に止まったのは、床の間に飾られた美しい白磁の皿だ。

 我が家が継いできた家宝は、傷ひとつ無い。初代が高名な陶芸家から頂いた物で、これを子に継いでいくのが宗家の慣習だった。


「……何が慣習だ」


 飾られた皿を持ち上げ,私はそれを床の間に叩き落とす。



 閑散とした会場でも、熱気は微かに感じられた。

 商店街裏手の小さなホール。パイプ椅子が並ぶ座席の客足はまばらで、私はソワソワと周囲を見渡す。集まるのは団体の熱狂的なファンか退屈凌ぎの野次馬ばかりだ。栄太郎のファンは、ほとんど居ない。


『選手紹介の前に、まずお断りしておきます! 本日のルール、金的アリ! 漢たちの闘いを見逃すな!』


 リングアナの実況とともに、入場曲が響く。ステージに現れる男は、黒いロングローブに身を包み、顔には金箔をあしらった仮面。


『覆面のダークホース、ジパング!!』


 ローブを脱ぎ捨て、リングに入っていく。その股間には、白磁に金のファウルカップが着けられていた。


 数時間前。

 控室の隅でストレッチを終えたジパング——加賀栄太郎は、濡れた髪をかきあげながら手渡した包みを受け取った。中にあったのは、薄紙にくるまれた、奇妙な曲面の陶器。


「……陶器のファウルカップなんか見たことねぇよ!!」


 栄太郎は目を丸くして叫び、思わず笑う。しかしすぐに、その手にした器をじっと見つめ、低く呟いた。


「でも……親父が作ったんなら、簡単には割れねぇな」


 それが何を元にして作られたのか、栄太郎は知っているはずだ。照明に照らされ、金の継ぎ目が月のように光っていた。


 試合開始のゴングが鳴った。

 相手レスラーが不敵な笑みで金的を狙う。砲弾のような重い蹴りが、ジパングの股間に炸裂した。

 私は眼を逸らしたくなるのを必死に堪え、息子の勇姿を視界に焼き付ける。修練を積んだレスラーでも急所攻撃は耐えられないのか、ジパングは直撃の度に微かに身を震わせ、鍛え上げられた肉体から汗を弾けさせる。


「いけーッ!」

「潰せーッ!」


 それでも、ジパングは崩れない。低く呻き、膝をガクガクと震わせても。滝のような汗が滴り落ちても。ジパングは、立ち続けていた。

 カランと音が鳴り、ファウルカップの金継ぎラインがきらりと輝く。渾身の叫びが、私の耳にも届く。


「効かねぇよ……! 俺はもう、割れたままじゃねぇ!」


 瞬間、渾身のヘッドバットが炸裂し、不意を突かれた相手がマットに沈む。ジパングが、息子の栄太郎が、勝ったのだ。


 試合終了のゴングと共に聞こえるのは、溜め息とブーイングだった。無名レスラーの勝利など、誰も望んでいないのだろうか?

 それでも、私は万雷の拍手を送る。栄太郎の耳に届くように、何度も。


 立ち続けるその背中を見る。私は、確かに“金を継いだ”のだ。

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金を継ぐ男 @fox_0829

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