【富士山】ミッション:晩ごはんを美味しく食べる

 旅館についてからも、作者は頭痛と吐き気で悶絶していた。

 富士山を見にきたはずが、今のところ痛い目しか見ていない。

 

 立派な部屋にも感動する余力はなく、窓から一望できる富士山を眺めてみても『山だな』という感想しか出ず。

 雪化粧が美しいとか、葛飾北斎が生涯をかけて富嶽三十六景を描きたくなる気持ちもわかるだとか、そういう風情のあることは何も考えられなかったのだ。


 それもそのはず。

 これは作者の持論になるが、痛みは風情の対義語である。

 

 頭の痛い人は富士山を美しいと思う余裕はないし、腹の痛い人は景色を見る前にトイレを探す。

 そして心の痛い人は、どんなに美しい風景を目にしたところで灰色にしか見えず、あの世に行きたいと絶望し続けるのだ。


 そんなこんなで、頭痛と吐き気に苦しむこと2時間。ようやく元気になった作者は、後れ馳せながら富士山を一望できる露天風呂に入り『こりゃ北斎も描きたくなるわ』と納得。

 雄大な富士山からは、なんだか良さげなパワーを貰えたような気さえした。


 そしてやってきた、夕食の時間。

 もう記憶にはうっすらとしか残っていないが、夕食は確か、別室で和食を食べたような気がする。肉料理メインの和食フルコースだ。


 このとき作者は「お肉楽しみだなー」という、ステーキハウスにやってきた若僧みたいな心持ちで別室へ向かったのだが。

 和食フルコースはというと、肉料理が出てくる順番は相当後ろの方だ。


 まず、肉料理メインの和食フルコースの順番はこの通り。 

 先付け、お椀、吸い物、焼物、煮物、強肴、食事、水菓子。 

 肉料理は「強肴」に当たるので、6番目だ。

 

 剣道の試合に例えるなら、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将を攻略したのち、師範に挑むようなものである。

 実際の剣道にそのようなルールはないが、肉料理ともなれば料理の最強格なので、ここでは師範としておこう。


 作者は勝利と共に次の階へ登れるバトルタワーを攻略する戦士になったつもりで席につき、箸を持つ。

 先鋒、先付け。何やら美味しそうな、ジュレみたいなよくわからない食べ物。


 いざ、尋常に勝負。

 その味や良し。謎の出汁の効いたぷるぷるが口の中で広がり、ええーこの食材ってこんな組み合わせもできるんだー!という、プロの技が光る。


 次鋒、お椀。見た目の美しい、ちょっと控えめな謎の椀もの。

 いざ、尋常に……ッ!?


 このとき作者を襲ったのは、頭痛と吐き気。

 あれだけ休んで、もう大丈夫だと思ったのに、まさかのぶり返しが来たのである。


 椀もの、その味やよくわからぬ。

 頭が痛い。早く食べ終わって部屋に戻りたい。


 中堅、吸い物。

 頭痛と吐き気はますます強まり、座っていることすら辛くてたまらない。

 まさかここで満身創痍になろうとは。

 

 いざ勝負、その味やなんだろう。

 もはや何の料理が出てきたかすら定かではない。


 作者の頭は割れる寸前。吐き気もひどい。

 このまま座っていては、今食べた先鋒、次鋒、中堅がすべてキャノン砲となって口から放たれてしまう。


「あの、すみません。体調が悪いので部屋に……」


 ああ、作者は師範と戦いに来たのに。

 まさかの副将戦で棄権だなんて。


 部屋に舞い戻った作者は、胃に食べ物が詰まった状態で頭痛や吐き気と戦い、布団の中で悶絶。

 

 肉が、肉が食べたかったのに!

 そう思いながら、己の身を蝕む病を恨んだ。

 

 が、ちょうど頭痛が引いた頃である。

 旅館のスタッフさんが、部屋まで肉を届けてくれたのは!


 こうして作者は旅館の至れり尽くせりにより、師範との対決が叶ったのである。

 いざ、尋常に勝負。A5ランクの、どこかのブランド牛のステーキ!


 ナイフで柔らかすぎる肉を切り分け、ひとくち。

 咀嚼すれば、師範の凄さが口中に広がる。

 

 御見逸れしました、師範。

 作者は食べたことのないほど美味しい、口のなかでほどけるステーキを噛みしめ「これが消える肉か……!」と、師範の技に惚れ惚れしたのであった。


 

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旅館についた。観光する体力はもうない いぬのいびき @niramania

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