第27話 隣の地縛霊

都内の片隅、築40年はゆうに超える古びたワンルームマンションに、拓真(たくま)は引っ越してきた。


就職して間もない新社会人。配属されたのは、体育会系で飲み会多め、残業ありきの営業部。

毎日クタクタで帰ってきては、缶ビール片手にスマホをいじって寝落ちする――そんな暮らしを続けていた。


この部屋、やたら家賃が安い。それには理由があるらしく、「夜中に隣の部屋からため息が聞こえる」とか「誰も住んでいないのに明かりがつく」とか、妙な噂がつきまとっていた。でも拓真は気にしなかった。

疲れていたし、何よりネット環境さえ整えばそれでよかった。


ところが、ある夜のこと。


残業を終えて深夜1時過ぎ、アパートに戻ると、自分の部屋のドアの前にスーツ姿の男が立っていた。


「……ん? 誰?」


男はひどく顔色が悪く、というか――透けていた。


「あ、どうも。隣の部屋の者です……っていうか、もうこの世の者じゃないんですけどね」


「え、幽霊? いや、そんなカジュアルに隣人挨拶くんなよ」


「いや、すみません。今夜、そっちのWi-Fiにちょっとだけ混ぜてもらえないかなと思って……」


「なんでだよ!? 幽霊、Wi-Fi使うなよ!」


「最近の地縛霊も、リモート会議くらい出なきゃいけないんで……あと、定期的にネットの口コミもチェックしないと、供養の依頼来ないんすよ……」


「なんだその業界!? 怨霊って忙しいんだな……」


男は、スーツ姿のままふわっと空中を漂いながら自己紹介した。


「佐々木と申します。生前はサラリーマンでした。今も、まぁある意味サラリーマンみたいな感じで……」


それからというもの、佐々木はちょくちょく拓真の部屋に現れるようになる。


深夜、拓真が悩みながら会社メールの文面を打っていると、後ろからぼそっとアドバイスが飛んでくる。


「“ご確認のほど”より“ご査収のほど”の方が柔らかいですよ。相手が年上なら“ご笑納”もありです」


「お前、なんでそんなビジネスマナー詳しいんだよ。地縛霊だろ?」


「元・営業です。プレゼン100戦無敗でした」


「いや、地縛霊にしておくには惜しすぎるだろ、そのスキル……」


別の日、朝ギリギリまで寝ていた拓真が飛び起きると、ベッドの脇にきっちりとアイロンがけされたスーツとネクタイが用意されていた。


「……おい、佐々木」


「ネクタイはストライプが第一印象いいって、マーケ資料にも出てましたし。スーツはグレーがオールマイティですね」


「勝手に人んちでコーデすんなよ! 俺のダサさが台無しになるだろ!」


「いや、それは助けたつもりだったんですけど……」


最初は戸惑いと困惑しかなかったが、佐々木の「営業力」は地縛霊になっても健在だった。拓真の生活にどんどん入り込んでくる。


冷蔵庫に勝手に入ったビールとチーカマ。


「金曜日は、飲まなきゃ社会人じゃないって言ってたでしょ? あんた」


と言われて、なぜかぐうの音も出ない。


拓真が落ち込んで帰ってきた夜。部屋の明かりがついていて、テーブルにはコンビニのおでんと缶ビール。


「勝手に買ってくんなって。俺、明日も仕事なんだよ」


「知ってます。でも、“明日は明日の俺が何とかする”が口癖だったでしょ。言ってたよ、初日に」


「俺、そんなこと言ってたか……?」


やがて、佐々木は夜中にぽつりとつぶやいた。


「生きてるうちに、誰かとちゃんと同居しておけばよかったなぁ。帰ってきて、『おかえり』って言ってくれる人、やっぱいいもんだな」


「……お前、死んでから何年経ってんの?」


「23年と4ヶ月。Wi-Fiが通ったの、ここ最近なんで。文明ってすごいね」


ある意味、今が一番生き生きしてる気がする地縛霊である。


気づけば拓真も、この“同居”生活を完全に受け入れていた。


ゴミ出しは佐々木担当。

名刺入れの管理も佐々木。

なんなら、月末の領収書整理も佐々木。

(生前の癖で、確定申告アプリに詳しいらしい)


Wi-Fiはシェア。光熱費はゼロ。

だけど――この部屋には、確かにあたたかさがあった。


毎晩、ビール片手にリビングでだべるようになって、拓真はふと思う。


「……なあ佐々木、お前ってさ、ほんとはもう成仏できんじゃね?」


「うーん……できるかもしれませんけど、こういうのも悪くないなって思っちゃって。……あっ、来月からWi-Fi、光にしません? Zoom重いんすよ」


なんだかんだで、この奇妙なルームシェア生活は、まだまだ続きそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る