忘れな草の約束
乱世の異端児
短編小説『約束の忘れな草』
春の終わり、桜の花びらが舞い落ちる道を、祖母と私はゆっくりと歩いていた。祖母の手は皺だらけで、その指先はいつも土の匂いがした。小さな頃から、祖母は私に花の名前と、それぞれに込められた物語を教えてくれた。中でも、祖母が一番好きだったのは、鮮やかな青色の忘れな草だった。
「この花はね、アオイ。決して忘れてはいけない大切な約束を、そっと教えてくれるんだよ。」
祖母はいつもそう言って、優しい笑顔を見せた。
私が高校を卒業する春、祖母の病状は悪化した。病院の白いベッドの上で、祖母はか細い声で私に話しかけた。
「アオイ…また一緒に、忘れな草を見に行こうね。来年の春には、きっと…。」
その言葉は、まるで桜の花びらのように儚く、私の心に深く刻まれた。しかし、祖母は、その年の夏が終わる前に、静かに息を引き取った。
祖母がいなくなってからの日々は、色を失ったようだった。毎日の生活は続いても、心のどこかにぽっかりと穴が開いてしまったようだった。忘れな草を見るたびに、祖母との約束が思い出され、胸が締め付けられるようだった。私は、あの約束を果たせなかった自分を責め続けた。
季節は巡り、やがて祖母が旅立ってから初めての春が来た。桜が満開になったある日、私はふと、祖母とよく散歩した河原に足を運んだ。そこには、祖母が大切にしていた場所があった。
河原に続く小道を歩いていくと、視界の隅に、青い点がちらちらと見えた。近づいてみると、そこには一面に忘れな草が咲き乱れていた。まるで、青い絨毯を敷き詰めたように、生命力に満ち溢れていた。
私は思わず、その場に立ち尽くした。
その時、風が優しく吹き抜け、私の頬をそっと撫でた。そして、どこからともなく、祖母の声が聞こえるような気がした。
「アオイ…よく来たね。約束を果たせたね。ここでまた、会えたね。」
涙が、止めどなく溢れ出した。それは悲しみの涙ではなく、温かい、安堵の涙だった。
私は、祖母との約束を果たすことができたのだ。祖母は、この忘れな草の中で、ずっと私を待っていてくれたのだ。
私は、忘れな草の中にそっと膝をつき、その小さな花に触れた。ひんやりとした花びらの感触が、祖母の優しい手のひらのように感じられた。
もう、後悔はしない。祖母は、私の中にずっと生き続けている。そして、この忘れな草が咲き続ける限り、祖母との大切な約束は、決して色褪せることはないだろう。
春の光の中、私は、青い忘れな草に囲まれて、静かに微笑んだ。祖母との約束が、今、確かに、私の心の中で咲き誇っていた。
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