ヴィクトルの贖罪
夢想PEN
序章
巨大な蒸気機関と魔法が共存する都市「クロノヴァル」
年中霧に覆われ、軋んだ歯車と蒸気パイプの轟音が響く。
街のいたる所にエーテル鉱石が置かれ、青白い光が漏れ出している。
煤けた石畳をネズミが走り、爪が擦れる音が霧の奥でかすかに響く。汚染された水路はエーテルの輝きを帯び、腐臭を漂わせる。時折、壊れかけた時計塔から鐘が鳴り、鈍い音がスラムの路地にこだまする。
ここはクロノヴァルの下層に位置するスラム街「ロウシェード」
いわゆる労働者や犯罪者が住まう町。労働者は、地下の採掘場に潜りエーテル鉱石を採掘する。わずかな賃金で命を削るように毎日を生き抜く。
路地の物売りは目を伏せ、子供たちは怯えた足取りで通り過ぎ、誰もが自分のことで精一杯だ。
物売りの老婆が「あの男がまた何かやったのか」と囁くと、近くの男たちが顔を曇らせ、子供たちが身を縮める。
そんな下層を見下ろす様に栄えている上層都市「ハイクロノ」
貴族が支配するこの街は、清潔な水が流れ街灯からは優しいエーテル光が道を照らす。金色の光がガラスと真鍮の館を彩り、遠くで飛行船の低いうなりが空を裂く。ハイクロノに住まう者たちは皆、魔法と呼ばれる力を使う。
魔法はエーテル鉱石を媒介として、様々な現象を可能にしていた。
自身の特性を鉱石が取り込み、力を行使する。
ある者は火を。
ある者は水を。
ある者は光を。
ある者は風を。魔法を行使できる者しか住むことを許されず、魔法や技術を独占している。
クロノヴァルの心臓部「ソウルギア」
そこに鎮座する巨大な歯車も、エーテル鉱石からあふれる「エーテル」により稼働し、蒸気機関を回す。
都市全体に張り巡らされた血管を通るようにエネルギーが循環している。霧の奥で、その重々しい回転音が絶えず響き、街の鼓動を刻む。
ある日、「ロウシェード」の廃工場から爆発音が鳴り響く。ガラスが砕け、鉄骨がひしゃげる音が霧に混じる。スラムの住人は多少警戒しながらも、いつもの事かと日常を取り繕う。走り去る人影——黒いマントを翻す姿——には気にもしない。人のことを気に掛ける余裕などないのだ。ただ、路地の奥で老婆が「あの男だ」と囁き、住人たちが一瞬、視線を交わした。
廃工場の煙の中には男が一人、ひび割れたコンクリートの柱に体を預け気を失っていた。黒いジャケットは所々焼け焦げ、ジーンズも煤にまみれていた。そばに転がるエーテル鉱石の破片が、かすかに青い光を放ち、散乱した歯車と混じる。
彼の名はヴィクトル・クロウ——スラム街で知らない人はいない存在。
ヴィクトルは咳き込みながら目を開けた。肺に刺さる煙の匂い、割れるような頭痛。体を動かそうとすると、肋骨に鋭い痛みが走り、喉には煤の苦みが絡む。目の前には爆発で散乱した鉄骨と、ひしゃげた蒸気パイプ。廃工場の天井は穴だらけで、霧が流れ込む。「ここは……どこだ?」 彼の声は掠れ、冷たい床に手をついて立ち上がろうとした。ポケットを探ると、冷たい金属の感触。取り出したのは、使い込まれた真鍮のライター。見覚えはない。だが、掌に握った瞬間、まるで古い記憶のように指先にざわめきが走った。
彼は覚えていない。——なぜここで倒れているのかを。
彼は知らない。——自分が、どんな人間だったのかを。
路地の奥で、黒いマントの人影が彼を見据えていることにも、気づかなかった。
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