第24話

 高層ダンジョン《虚空の裂け目》。

 岩盤は灼熱の炎に焼かれ、壁面は無数の爆裂痕で崩れ落ちていた。熱気と硝煙が充満し、吸い込むたびに肺を焼くようだ。耳を劈く轟音と焦げた匂いが、否応なく“生きて帰れぬ戦場”であることを知らしめる。


 その最奥で、《鉄翼の星屑》と、ただの“人数合わせ”として駆り出された二人の冒険者が必死に立ち回っていた。


 黒い鱗は金属を思わせ、振り下ろす尾は灼熱の刃。

《闇炎のメルガドール》――その名の通り、漆黒の炎を纏う竜種の魔獣。

 その巨体は一振りで地形を変え、ただ咆哮するだけで意識を削り取られるような威圧を放っていた。


「救援は――まだなのか!?」


 剣士のダリオが喉を裂くように叫ぶ。額には玉のような汗、握る剣の切っ先は小刻みに揺れている。


「……やはり俺が行ったほうが――」


 弓を番えたノエルが低く呟き、矢じりを敵へと向けた。


「なに言ってるんですか! 今 《鉄翼の星屑》のメンバーが一人でも抜けたら、崩壊しますよ!」


 人数合わせだったはずの支援魔法士の青年――オルガが声を張り上げる。煤にまみれた顔は蒼白で、それでも必死に止めようと叫んだ。


「ただいるだけで良いって言ったのに、話が違うじゃないか!」


 戦士のグレゴルが後ずさり、盾を握る腕が震えている。


「ちくしょう、なんでこんなことに……」


「ちゃんと働きなさいよ!」


 レイナの苛烈な叱責が飛ぶ。

 緊張に押し潰されかけている二人に、その声は刃となって突き刺さった。


「……静かに。来る」

 シズクの鋭い声が、戦場の喧噪を断ち切る。


 次の瞬間、灼けた尾が唸りを上げ、岩盤を粉砕した。爆ぜる炎の奔流が一帯を覆う。

《鉄翼の星屑》の面々は身を翻してなんとかかわしたが、経験の浅い二人には到底無理だった。


「ぐああああああっ!」


 グレゴルの脚が焼かれ、肉が焦げる匂いが立ちのぼる。盾を取り落とし、もはや立ち上がることすらできない。


「た……すけ……」


 オルガは直撃を受け、鮮血を吐いて地に崩れ落ちた。


「くそ……これ以上は……撤退しか……」


 ダリオが呻く。


「撤退? できるならとっくにしてるわよ!」


 レイナが鋭く言い返した。


「……囮がいれば、道は拓ける」

 ダリオの言葉が、重く落ちる。


《鉄翼の星屑》の面々は互いに目を見交わす。


 そしてノエルが小さくうなずいた。


「……俺たちは、ここで終わるわけにはいかない」


「まさか……俺たちを……?」


 グレゴルが蒼白な顔で震える。


「誇りに思いなさい。最後に私たちを救う役を担えるんだから」


 レイナの声は、冷たく突き刺さる。


「ふざけるな! 俺だって死にたくない……!」


 絶望の叫びは、竜種の咆哮にかき消された。


《闇炎のメルガドール》が顎を開き、黒炎が一点に収束していく。

 逃げ場はすでにない。岩壁も通路も、灼熱に焼かれた岩塊で塞がれていた。


 次の瞬間、《闇炎のメルガドール》が咆哮と共に尾を振り下ろす。


「ぐあっ……!」


 巨大な衝撃が走り、次々と地に叩きつけられた。

 もはや戦える者は一人として残されていない。


 ――その刹那。


 ――ドォン……ドォン……。


 地を打つような足音が、遠方から響いてきた。

 地鳴りにも似た重低音が近づき、出口を塞いでいた岩塊が突如として吹き飛ぶ。


 闇のなかから一人の青年があらわれる。


「ユリウス、なの……?」

 レイナが信じられないものを見るように声を漏らす。


「お前……なんで……」


 ダリオの顔には困惑しかなかった。


 俺は答えず、まず戦況を確認した。倒れ伏す者たち、絶望の表情の《鉄翼の星屑》の面々。

 自身の精神力を継続回復のスキルへと変換した。


「そのうち良くなるはずだから、それまで耐えてくれ」


 俺が一番重症のオルガに声をかけると、グレゴルが驚きと困惑の入り混じった表情で口を開いた。


「あんた……たしかCランクの……」


 ノエルがなんとか立ち上がろうとしながら言う。


「まさかお前が救援……?お前なんかに何が――」


 その言葉を遮るように、《闇炎のメルガドール》が黒炎を放った。

 しかし、炎は届くことはなかった。見えない何かに遮られ、やがて、存在しなかったかのように消えていく。


「な、何だ……今のは……」


 シズクの困惑する声を背に、俺は振り返ることなく静かに言った。


「俺がやつの相手をする」


《身体強化〈瞬〉》で一気に距離を詰め、《精神力解放〈衝撃波〉》を叩き込む。

 衝撃が奔り、巨竜がのけぞった。狙い通り、標的は完全に俺へと移る。


 咆哮とともに黒炎が押し寄せた。

 俺は一歩も退かず、無詠唱スキルで防御結界を張り、受け止める。


「……思ったより大したことないな」


 あいつらが苦戦した相手と警戒していたが、肩透かしを食らった気分だ。

《フェルマータ・リデヴォルト》を握り直し、精神力を一点に収束させる。


《精神統一》《精神力収束〈一点集中〉》――そして《精神力解放〈貫突〉》。


 黒い鱗が砕け、竜は断末魔を上げて崩れ落ちた。

 しばし、静寂の時が訪れる。


 その沈黙を破るように、ダリオが叫んだ。


「……どうなってるんだ!? なんで、お前なんかが……!」


 俺は笑顔を作り、口を開いた。


「叫べるくらい元気になったんだな、よかった」


 その言葉にダリオ達は、はたと気づく。あれほどまでに全身を負傷したはずなのに、痛みがまるでしない。


「これは、お前が……?」


 俺は静かに言い放った。


「俺は、置物なんかじゃない――お前たちが、見えていなかっただけだ」

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