第14話

 通路に《鋼殻グリュース》の咆哮が轟き渡る。

 グリュースが振り下ろす巨大な爪は、岩壁に深い亀裂を刻み、そのたびに轟音が通路を揺らした。

 俺は《身体強化〈脚〉》と《魔力感知〈展開視〉》を駆使し、紙一重で死線を跳び越える。


「グオオオッ!」


 グリュースの爪が、俺のいた場所を深くえぐる。

 その瞬間、脳の奥で、先ほどより強い痺れが走った。視界の端が、微かに霞む。


(……摩耗だ。もう、予兆じゃない……!)


 魂が削られるような倦怠感。訓練所で暴走した時と同じ、焼けつく熱が意識を侵食してくる。

 後方から、サラの張り詰めた声が飛んだ。


「ユリウスさんっ!」


 リオンの視線も、必死に俺を捉えて離さない。

 その眼差しが、最後の力を引き絞らせる。



(本来、物理攻撃耐性がある相手と戦うには魔法攻撃で応戦すべきだ。リオンとサラの二人は攻撃魔法がつかえないことを出発前に確認済み、残すは俺だが──)


 俺が唯一使える攻撃魔法 《ウィンドカット》。人肌にかすり傷をつける程度の威力しかない上に、俺の魔力では一度しか使えない。


 これを使うくらいなら、《フェルマータ・リデヴォルト》の刃で攻撃を続けるほうがまだましだと思っていた。


「リオン、サラ、聞け!俺が《ウィンドカット》を放った瞬間、全力で走るんだ!」


 駄目元で《身体強化〈脚〉》を二人に向けて使おうとするが発動しない。

(やはり、無詠唱スキルは他者には効かないか)


「は?《ウィンドカット》でどうにかできるわけ──」


「ユリウスさん!私たちも手伝いますから!」


「だめだ、君たちは助けを呼ぶんだ!」


 俺は再びグリュースの攻撃をかわしながら、全身の魔力を相棒 《フェルマータ・リデヴォルト》に集中させ始めた。


「グオオオオッ!」


 咆哮と共に通路の天井が揺れ、土砂が降り注ぐ。

 変異が進み、足場が崩れかけていた。


(時間がない……!)


 俺は、迫りくるグリュースの爪を寸前で避ける。その動きに合わせて、渾身の力を込めて相棒 《フェルマータ・リデヴォルト》を構えた。


《魔力収束〈一点集中〉》


 霊晶核が蒼白の光を放ち、凝縮された魔力が杖先に集束する。


《魔力操作〈精密補助〉》


 グリュースの鎧のような甲殻に覆われた体表で、わずかに魔力の密度が薄い箇所――関節の継ぎ目、そして一瞬だけ開いた口の中。そこに狙いを定める。


 脳の奥が、焼けるように熱い。視界は激しく揺れ、平衡感覚が麻痺しそうになる。足が、鉛のように重い。全身の倦怠感が、思考を鈍らせようと襲いかかる。

 耳の奥で自分の鼓動が遠ざかり、呼吸のたびに喉が鉄の味で満たされる。


(……それでも、俺は……!)


「荒れ狂う風よ、刃となれ、──《ウィンドカット》」


 轟音と共に放たれたのは、細く、しかし、この世の全てを断ち切るかのような一筋の光だ。

 それは以前の比ではない速度と鋭さを持ち、白銀の軌跡となって一直線に突き進む。

 甲殻が砕ける硬質な破音が洞窟に反響し、その直後、まるで周囲の空気が一気に押し流されたかのような強烈な風圧がユリウスの体を襲った。


「リオン、サラ、今だ!」


 俺は力を振り絞り叫んだ。


「ちくしょう!!!!!!」


 リオンが叫びながらサラを手に取り走り抜ける影を横目に、グリュースの咆哮が途切れる。


「グ、オアアアアアアァァッ……!」


 断末魔の叫びと共に、グリュースの巨体が大きく痙攣し、やがて重い音を立てて崩れ落ちた。


 静寂が、通路を包み込む。


 俺は激しい息切れと共に、その場に片膝をついた。全身は震え、汗がとめどなく流れる。脳は焼き切れるように熱く、視界は真っ白に霞んでいた。摩耗の症状は極限に達していたが、どうにか意識だけは保っていた。


(……やった、のか…?)


《魔力感知〈展開視〉》には、もはや敵の影は映らない。


「ユリウス!!!!!!」

「ユリウスさんッ!」


 駆け寄る声。俺はかすれ声で告げた。


「……もう……敵はいない、 脱出しよう……」


 安堵の言葉を漏らした直後だった。張り詰めていた意識の糸が、プツリと音を立てて切れる。全身の力が抜け、俺の体はゆっくりと、前方へと倒れ込んだ。


「ユリウスさんッ!」


「おい、ユリウス!」


 悲鳴のようなサラの声と、焦りを滲ませたリオンの声が、俺の遠のく意識の片隅で響いた。


 その瞬間、二つの温かい手が、俺の体を必死に支えようとしているのを感じた。


「おい、しっかりしろって! なんだ、この重さ……」


「リオン、早く! ユリウスさんを……外へ!」


 揺れる視界の向こうで、リオンとサラが必死な顔で俺を抱え上げようとしているのが見えた。


(……二人とも、ありがとう……)


 俺の意識は、そのまま深い闇へと沈んでいった。


 リオンとサラは、意識を失ったユリウスを必死に支えながら、変異し続けるダンジョンの新たな通路へと出口を求めて足を踏み出した。

 恐怖が足をすくませそうになるたび、互いの腕の重みが覚悟を引き戻す――それが、二人を前へと進ませていた。

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