第12話
――静寂だった。
「……リオン」
俺は一呼吸を置き、呼びかける。
リオンが振り返り、こちらを睨みつけてきた。その目は、どこか苛立ちと焦燥に支配されている。
「さっきの戦い、勝手に前に出るなって言いたいんだろ? でもな、あそこで飛び込まなきゃ、サラが危なかったんだよ」
感情が先に立っていた。怒りというより、苛立ち、焦燥――そして、俺への敵意。
「……突っ込むのが早すぎる。周りが見えてなかった」
俺はなるべく冷静に、けれど明確に伝える。視線は真っ直ぐ、彼の焦燥を見据えていた。
「敵の範囲魔法があのタイミングで来ていたら、君もサラも一緒に吹き飛ばされていた」
「は? お前が何もできないから、俺が出たんだよ!」
「俺はまず敵の動きを見ていた。前に出るべきだったのは、もう少し状況が見えてからだ。無理をすれば、仲間を危険にさらすことになる」
今のリオンは、己の実力と役割を過信している。責任感からかもしれない。だが、目の前の敵を倒すことと、仲間を守ることは、同じじゃない。
「……っ、だったらあんたが全部やればいいだろ!」
リオンが顔を背け、吐き捨てるように言った。
「リオン、待って!」
サラが叫んだ。小さな体を張って、俺たちの間に割って入る。
「どっちも間違ってないよ。リオンは私を助けようとしてくれた。それは本当。でも……ユリウスさんの言ってることも、正しいよ。もっと全体を見て動かないと、次は誰かが本当に死ぬかもしれない」
沈黙が落ちる。リオンは悔しげに唇を噛み、一瞬だけサラに視線をやった後、すぐに逸らした。サラの言葉が胸に突き刺さったのか、その表情には複雑な感情が入り混じっていた。
俺は一つ息を吐いた。
「……ここで言い争っても意味はない。今日はここまでにして帰ろう。一度冷静になって考えたほうがいい」
リオンは不満げに舌打ちし、先に歩き出した。その背中からは、まだ納得していない感情が伝わってくる。
◆
俺たちは、崩れかけた岩壁と狭い通路の間を縫うように進んでいた。
リオンは先頭で無言のまま。サラと俺が少し後ろを歩く。
「……ごめんなさい、ユリウスさん。リオン、ああいう性格だから。頭ではわかってると思うんです」
「わかってるよ。だが、仲間を危険に晒す癖は、冒険者として命取りだ。いつか後悔することになる」
「……そうならないように、私からも言います。でも、リオンなりに頑張ってるんです。だから……さっきのことだけで切り捨てないでほしいんです」
俺は黙って頷いた。確かに、まだ判断を下すには早すぎる。
だが、その矢先だった。
念のために発動し続けていた《魔力感知》に、異常な反応があった。
「……?」
俺は反射的に立ち止まり、反応を追う。表情には出さないが、全身の神経をその魔力の動きに集中させた。
静寂の中に、不自然な膨らみ。さっきまでいなかったはずの、濃密な魔力が猛烈な速度でこちらに接近している――背筋に冷たいものが走る。
「……魔物がこっちに向かってきている。後方からだ。距離にして二百メートル……いや、百五十……追いつかれるぞ!」
リオンがすぐに振り向く。その顔に焦りの色が浮かんだ。
「嘘だろ……そっちは探索済みのルートのはずだぞ」
「えっ……」
重い足音が響き始める。岩肌を砕くような、鋭い金属音。視界の先、黒い巨影がゆっくりと通路に姿を現した。
その体格、長く鋭い牙、そして漆黒の鎧のような外皮――。
「……おいおい、嘘だろ。あれ、《鋼殻グリュース》じゃねぇか……!」
Bランク中位の魔物。通常、《静寂の森の洞窟》には絶対に出てこないはずの個体だ。その全身を覆う漆黒の甲殻は、並の物理攻撃では傷一つつけられないと聞く。
「逃げるしかねぇだろ!」
だが、いつのまにか出口へとつながっているはずの道は、巨大な岩と土砂で完全に塞がれていた。天井からもパラパラと土砂が落ちてくる。
「なんで……まさか、ダンジョン変異!?」
「そんな……どうしたら……」
本来であれば、今の俺たちでは正面から戦うには荷が重い。
だが――退路は、無情にも断たれていた。
魔獣がこちらを見据え、咆哮する。その威圧感だけで、足がすくみそうだ。
これ以上、距離を詰められるのはまずい。
「……サラ、リオン。俺があいつを引きつける。できるだけ離れていてくれ」
「はあ!? お前ひとりで何ができるっていうんだよ!」
俺は《身体強化〈脚〉》を無詠唱で展開する。
「……少しでも時間を稼げれば、突破の糸口になるはずだ」
俺の表情に、迷いはなかった。静かな決意を秘めた瞳で二人を見据える。
それだけ言い残して、俺は相棒――《フェルマータ・リデヴォルト》を構え、魔獣の前に駆け出した。
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