第8話
翌朝、俺は再びバルドの鍛冶屋を訪れた。店の扉をくぐると、金槌の打撃音が規則正しく、力強く店内に響いていた。
「まだかかりそうですか?」
声をかけると、バルドは顔を上げて豪快に笑った。その顔には、一晩中作業していたであろう煤と汗が滲んでいる。
「おう、気持ちはわかるがそう焦るな。仕上がりは間違いなくお前に合ったものになる。もうちっと待ってくれ」
バルドは額の汗を拭い、ふと手を止めた。その大きな手が、鍛冶台の上で休む。
「ところで、ユリウス。……俺には長年の友人がいてな。エルフのセレネアっていうんだが」
唐突な話題に、俺は首をかしげた。
「セレネアさん……ですか?」
「ああ。昨日お前が店を出たあと、そいつが偶然ここに来てな。つい、お前の話をしてしまったんだ」
バルドは顎を撫でながら続けた。
「魔導士を目指す、奇特な奴が現れたってな、そしたら、セレネアが急に興奮しだして、お前に会わせろってうるせぇんだ。なんでも、“沈黙の詠唱者”の師匠をやってたんだとよ」
俺は思わず息を呑んだ。無詠唱スキルは廃れた技術で、その真髄を知る者などいないと、思い込んでいたからだ。
バルドは腕を組み、しばらく俺の顔をじっと見つめた。その眼差しは、まるで俺の決意を試すかのようだ。
「奴は今、この町から少し離れた場所にいる。馬でも数時間はかかるだろうが、どうする?」
胸の鼓動が早まり、全身が熱くなる。
「……会いに行きたいです。無詠唱スキルについて、ちゃんと知りたい」
バルドはにやりと笑い、豪快に頷いた。
「そうか。その力は使い方を誤れば危険だが、正しく使えば、お前にとって最高の武器になるだろう。これも何かの縁だ。頑張れよ」
その言葉は、まるで父が子を送り出すような温かさがあった。
◆
俺は教えてもらった場所へと向かっていた。
町を抜け、緩やかな丘を越え、少し寂れた森の縁にある小さな家。木々に囲まれたその場所に、ひっそりと佇むその家からは、まるで自然の一部であるかのような静謐な空気が漂っていた。
扉をノックすると、すぐに中から静かで、しかし深い響きを持つ声が聞こえた。
「どうぞ」
中に入ると、そこには長い金色の髪を持つ、優雅なエルフの女性が立っていた。彼女の肌は陶器のように滑らかで、年齢を感じさせない。
その瞳は深い緑色で、鋭くも慈しみに満ちている。まるで森の奥底まで見通すような眼差しに、俺は思わず息を詰めた。
「ユリウスさんですね」
彼女は静かに言った。
「バルドからあなたのことは聞いています。無詠唱スキルを使いこなそうとする人間に、まさか再び出会えるとは思いませんでした」
俺は緊張しながらも、絞り出すように言葉を返す。
「まだまだ未熟ですが……教えを乞いたいと思い、ここまで来ました」
セレネアは微笑み、ゆっくりと座るよう促した。その所作一つ一つが、洗練され、無駄がない。
「まずは、あなたの力を見せてもらいましょう」
彼女が俺の腕に手をかざすと、その瞬間、まるで心を丸裸にされたかのような感覚に陥った。そんな体験は、初めてだった。
「なるほど……あなたの精神力は並のものではない。相当努力したようね」
セレネアは静かに目を閉じてから、再び俺に視線を向けた。
「……けれど、危うい。あなたは、自分の内に流れる“力”を認知できていない。」
その言葉に、思わず息を呑んだ。今まで見落としていた真実が、はっきりと照らし出された気がした。
「あなたは、《精神力》を“使う”術を得た。けれど、《精神力》を“認知”していない。《精神力》を使う上で重要なことは、燃やし尽くさぬこと。その加減を見極められなければ、いずれ己を破滅させるでしょう」
……図星だった。俺は無詠唱スキルを覚えてから、力の根源を考えることなく使用してきた。
「あなたは、まだまだ伸びしろがある。けれど、今の向き合い方では――」
「……俺は、どうすれば」
問いかけた俺に、彼女は静かに微笑んだ。
「覚悟があるのなら、導きましょう。ただし、その道は――あなたの精神の根幹を揺さぶり、その限界を容赦なく試すことになる。それでも、なお進むと決めますか?」
俺は、拳を強く握りしめた。胸の奥に残るわずかな迷いすら、振り払うように。
「……やります。どうか教えてください」
セレネアはうなずき、静かに言った。
「あなたの覚悟、確かに受け取りました。……けれど今のあなたは、まだ万全とはいえません。その魂の相棒とともに、改めて訪れなさい」
セレネアの静かな瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。そこに宿る揺るぎなき意志が、俺という存在の奥底に眠る“何か”を、確かに見つめていた。
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