第34話 父の話
「陽斗君、そろそろ帰りますね」
「分かった、陽菜の勉強見てくれてありがとな」
台所越しに月の声が聞こえてくる。
どうやら、陽菜に勉強を教え終わったらしい。荷物もまとめ終わったのか、すぐこちらの玄関のほうにやってきた。
「陽斗君、何してるんですか?」
気になったのか、開いていたドアから顔を覗かせる。
覗いた月が見たのは、俺が仏壇の前で手を合わせている姿。父が亡くなったことは話しているので、さほど驚かなかったようだ。
「悪い、先に見送った方がよかったな」
「いえいえ別に大丈夫ですよ。……このキーホルダーは?」
月の目線の先にあるのは、よくあるキャラもののキーホルダー。仏壇の上に置かれている。しかし、もうボロボロで、キーホルダーとして使える状態ではない。
「ああ、これは父さんの形見だよ」
「形見……ですか」
「ああ、昔俺が父さんにガチャガチャの前でせびって、その時当てたものらしい」
「なるほど……ではなぜこんなにボロボロなんですか?」
その問いを聞き、俺は一瞬目を閉じる。
「……ちょっといろいろあってな」
少し苦笑いを浮かべ、そう答える。
表情やニュアンスから察してくれたのか、月もそれ以上追求することはなかった。
「……私も少し、挨拶していいですか?」
その代わりといってはなんだが、月がそう申し出る。
特に困ることもないので、素直に頷いておくことに。
「ありがとうございます」
軽くお辞儀をし、月が隣に正座する。
そして、仏壇に手を合わせ、黙祷した。月に続き、俺も手を合わせ、黙祷をする。
しばらく無言の時間が続いた。
線香の香りがだけが、静かに部屋を漂っていた。
◇ ◇ ◇
数秒経って、俺たちは黙祷を終えた。
「すまんな、付き合わせて。父さんも喜んでるよ」
「いえいえ、自分でいいだしたことですし」
緊張も解き、少し雑談を交わし始める。
「……お父さん、どんな人だったんですか?」
慎重になりながら、月がそう聞いてくる。
「……あんまり覚えてない」
これが正直な感想だった。
「父が亡くなったのは、俺が二歳の頃。大きな病気にかかったらしい。そして、陽菜が生まれる前に亡くなった。子供の頃だったからさ、父さんの顔も、声も、――覚えていないんだ」
俺は少し遠くを見つめるように話す。
「でも、俺が覚えてなくても、父さんがいないことには変わりがなくて。その分、母さんが働かなくちゃいけなくなった。陽菜はよく泣いてた。父の顔すら見たことない上に、母さんも家にいないんだからな。当たり前だよ」
俺は言葉を続ける。
「だからさ、俺は父さんに怒ってた。なんで僕たちを置いていったんだって。なんで陽菜を泣かせたんだって。なんで母さんを一人にしたんだって。父さんはもうこの世にいないのに、そう思わずにはいられなかった」
子供のころの話だったとはいえ、今でもこうやって父さんに八つ当たりをしてしまったことは今も悔いている。
父さんだって亡くなりたくて亡くなったわけじゃない。そんな当たり前の事実に子供の時の俺は気づくことができなかったんだ。
「……これくらいかな。父との思い出は」
「……辛いことを思い出させてしまってすみません」
「いいんだって別に。本当に嫌だったら、話してないし」
俺は小さく笑う。
「それに今は、俺が料理を作ったり、陽菜が掃除したりするようになって、母さんも大分楽ができるようになったからな。相変わらず夜は遅いが、朝は一緒に食べれるようになったし、休日なんかは一日中家にいてくれるようになったしな」
俺は体を起こし、立ち上がる。
「……そうですか」
月もそれ以上聞くことはせず、続くようにに立ち上がった。そして、そのまま玄関に。
玄関に月がいることに気づいた陽菜もそこにやってくる。
「今日はありがとうございました。プレゼント選びに加え、ごちそうまでしてもらって」
「こちらこそ、陽菜に勉強を教えてくれてありがとう」
「また勉強教えてください!」
「はい、ではまた」
「またでーす!」
小さく手を振る月に対して、大きく手を振る陽菜。それに乗じて、俺も小さく手を振った。
これで俺の長い一日も終わり。さ、俺たちも家に戻ろう――と思ったのだが。
ドサッという少し重めの音が廊下に響く。
「あ、お母さん」
音のした方向を見ると、買い物袋を落とした母がそこにいた。
「あ、おかえり――」
そう言い切る前に爆速で強い力で肩を掴まれる。痛い。
「陽斗! 何今のかわいい女の子は! 説明しなさい!」
訂正――俺の長い一日は、まだ続きそうだ。
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