第24話 誰か早く彼女と結婚してくれ……
耳元を駆け抜ける足音に、多崎司が振り返ると、そこにいたのは華奢な体つきの少年だった。
視線が交錯した瞬間、星野花見は2秒ほど呆然とした後、その端正な顔立ちにゆっくりと驚愕の表情を浮かべた。そして、大きな瞳をパチパチと瞬かせ、可愛らしい戸惑いの色が加わった。
ちょうどその時、イヤホンからは「You're beautiful.」という歌声が流れてきた。
多崎司は心の中で、なんて偶然だろうと思った。
星野花見は目を瞬かせながら、「多、崎……?」と口にした。
「先生、おはようございます」多崎司は頷き、東屋のL字型ベンチに腰を下ろした。そして……その視線はすぐに、星野花見の体にぴったりとフィットしたスポーツパンツに包まれた、引き締まってすらりとした太ももに釘付けになった。
五月の公園。空気には薄い霧が立ち込め、小橋や流れる水、東屋や楼閣はどこか清涼感を漂わせる。陽光はヒマラヤスギの枝葉を透かして芝生に降り注ぎ、不規則な光の斑点となって散らばっていた。
数羽のヤマガラが木の根元を跳ね回り、土から這い出る虫をついばんでいる。
「どこ見てるの?」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、星野花見の拳が多崎司の鼻先をかすめて飛んだ。微かに巻き起こる気流が、彼の数本の髪を揺らす。
多崎司は顔色一つ変えずに言った。「景色を見ています」
「いわゆる景色というのは、先生の脚のことかしら?」
「いえ、先生の脚の後ろにある湖水を見ています」
星野花見は頭痛にでもなったかのようにため息をつき、ペットボトルの蓋をきつく締めると、彼の言う「湖水」の方に視線を向けた。
湖面は澄み切っており、岸辺の木々の輪郭を映し出している。数枚の落ち葉が水面に浮かび、時折、ミズグモが落ち葉の間を素早く走り抜け、小さな波紋を立てていた。
こんな湖面は何度も見てきた。どこが良いのか全く分からない。星野花見は視線を戻し、多崎司をじっと見つめた。「どうしてあなたがここに?」
「ジョギングしに来ました」
「湖水」を隠れ蓑にして、多崎司は堂々と彼女の美しい脚を堪能することができた。
「ジョギング?」星野花見は笑いをこらえた表情を見せ、彼の華奢な体つきを見て、励ますように言った。「あなたが運動するのも良いことね。じゃないと、そのひ弱な体じゃ、私のパンチ二発も持たないかもしれないわよ」
「……」
多崎司は考え込んだ。彼女の体力は「6」。そう考えると、確かに一発で自分を打ちのめすことも可能だろう。
しかし、彼は同時に固く信じていた。この「女強男弱」の構図は一時的なものだと。いつか必ずこの先生に、多崎司という人間がどれほど強い男であるかを知らしめてやる、と。
太陽は次第に高く昇り、木々の間に漂っていた薄霧も消え始める。星野花見は時間を確認した。もうすぐ7時まであと30分だ。
「さあ、時間もないから、早速トレーニングを始めましょう!」
彼女は立ち上がり、胸を広げたり、脚を伸ばしたりする運動をいくつかこなし、多崎司を励ますように頷いた。「先生のペースについてこられるかしら」
多崎司は彼女の動作を真似て、見様見真似で一通りの準備運動を終え、それから深く息を吸い込み、最初の一歩を踏み出した。
男女二人は、新宿御苑の人工湖沿いを周回する簡単なランニングを始めた。
昇り始めた太陽が鬱蒼とした木々の間から光の柱を落とし、小道に降り注ぐ。あたりからは心地よい鳥のさえずりが聞こえ、時折通り過ぎる木製のベンチには、5月のきらめく朝露が宿っていた。
最初は多崎司も先生のペースについていくことができ、彼女が走る際の臀部の曲線まで楽しむ余裕があった。しかし、わずか10分後には、その美しい景色を顧みる暇すらなくなった。
歯を食いしばり、懸命に足を踏み出す。視界には、どんどん遠ざかっていく彼女の姿だけ。
髪の毛は朝風になびき、細かな汗が次第に額に集まり、頬を伝って襟元へと流れ落ちていく。
15分後、多崎司は立ち止まり、両手を膝に置いて激しく息を乱した。ふくらはぎも震えが止まらない。額からの汗が地面に落ちる、一滴、二滴……。
星野花見は引き返し、一定のペースで走りながら、かすかに息を切らしつつ尋ねた。「もうダメ?」
「はあ、はあ……だ、ダメです……」
「たった15分でダメになるなんて、本当に体が弱いわね」
「先生はよく運動するのですか?」多崎司は少し顔を上げ、息を切らしながら尋ねた。
「かれこれ10年は続けているかしら」星野花見は足を止め、手を後頭部に回して一本に結んだ髪を解き、再びきつく結び直した。
腕を後ろに伸ばす動作に合わせて、朝日に照らされた彼女の胸元のしなやかな曲線は、息をのむほど美しい夕焼け色の光をまとった。
多崎司は感嘆の声を漏らした。「どうりで先生はスタイルが良いわけですね」
星野花見は彼の言葉を自動的に無視し、震える彼のふくらはぎをちらりと見た。「走り方を見ると、これまで一度も運動したことがないでしょう」
多崎司は気まずそうに笑った。
「走る練習をする時、肺の呼吸頻度は必ずしも速度に比例させる必要はないの。有酸素状態で走れる時間と速度は、実はある程度の調整幅がある。優れたランナーは、その範囲内でカロリー消費量を調整するのよ」
「全然わかりません……」
「私の指示通りにやればいいわ」星野花見は自信に満ちた笑みを浮かべた。「先生は学生時代、全国高校総体にも出場したのよ」
「すごい!」運動音痴の多崎司は感服した。
「さあ、走りなさい。少し走って止まって、を繰り返しても運動効果はないわよ」
「はいっ!」
多崎司は再び一歩を踏み出した。星野花見は終始彼の真横につき、絶えず彼のフォームを修正する。
「上半身はまっすぐに少し前傾、視線はやや下へ」
「腕は胸の高さまで振り上げ、腰の位置まで振り下げるのよ」
「先生……はあ……もう無理です……」
「喋らないで。呼吸のリズムが乱れるわ!」
「……」
「アスリートは特別な身体的直感を持っているの。運動能力が高まると、具体的なイメージが頭に浮かぶものよ。想像してみて。今は人であふれる屋外競技場。あなたが真っ先にゴールラインを駆け抜ける勇姿を」
公園の小道をまっすぐ進み、花壇を過ぎると新宿御苑の千駄ヶ谷門に着いた。
星野花見は公園の門を見据え、熱のこもった声で言った。「門まで300メートルよ。この機会に、思いっきりスパートをかけなさい!」
多崎司は想像上のゴールラインに目を凝らし、呼吸を整えて一気に駆け出した。しかし、ゴールまで残り100メートルの地点で力尽きてしまった。
「激しい運動の後にすぐ休んではだめ。その場でゆっくりジョギングして、リズムを整えなさい」星野花見はゆっくりと走りながら忠告し、多崎司が再び動き出すと、公園入口の自動販売機に目を向けた。「あっちに行って、水分補給しましょう」
二人は自動販売機までゆっくりと走り、星野花見は500円玉を投入した。「ドスン……ドスン」と音がして、お釣り2本とポカリスエット2本が落ちてきた。
「これを持っていて。10分後にならないと飲んじゃだめよ」
星野花見は一本を多崎司に投げ渡し、それから顔を上に向けて、冷たいボトルを額に当てた。ひんやりとした感覚に、彼女の口元は緩み、まるで遠くから吹いてくる優しい風のように微笑んだ。
初夏の早朝の陽光が彼女の顔に当たり、きらきらと輝き、まばゆいばかりだった。
その光景に、多崎司は思わず見とれてしまった。
普段の制服姿での真面目な印象とは異なり、この時の彼女はどこか気ままな雰囲気をまとっているが、それがまた美しかった。それは、心の最も繊細な部分に触れるような美しさだ。
わずかに開いた唇の隙間、しなやかな触手のように上向きに跳ね上がった鼻先、自分で整えたであろう前髪が無造作に滑らかな額に垂れ下がり、まるで大きな猫の柔らかな毛並みのようにも見えた。
その美しい瞬間に、多崎司は心の中で思わず叫びそうになった。
「誰か早く彼女と結婚してくれ……でなければ、俺が自ら行くぞ!」
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