第18話 まさか、女性が嫌いなの?
「学校の門で待ってる」
携帯にそんなメッセージが届いた。番号はどこかで見たような気がする。たしか栗山桜良が今朝かけてきた番号だったはずだ。
多崎司は携帯をポケットにしまい、書架の間をうろうろと歩き回り、興味を引く本を探した。
まだ東京はそれほど暑くなく、室内にエアコンは入っていなかった。中庭に向かって開け放たれたガラス窓から、初夏の陽光が差し込み、鳥のさえずりがかすかに聞こえてくる。
目の前の書架には、人文科学系の本が並んでいた。哲学、戯曲、芸術概論、社会学……。適当に一冊手に取りページをめくると、長い年月を経たような独特の香りが漂ってきた。
それは、奥深い知識と鋭敏な感情が融合し、長い歳月を経て紙と紙の間に染み込んだ、この上なく特別な香りだった。
多崎司はその香りを胸いっぱいに吸い込み、ざっと目を通すと書架に戻し、次の本を探しに行った。
別の書架に移動すると、そこには歌集、評論、伝記などの本が並んでいた。
最後に、彼は書架の中から装丁の美しい『古今和歌集』を一冊選び、読書エリアへと向かった。
休日のキャンパス図書館は、とても静謐な雰囲気だった。広々とした読書エリアには、一目見ただけで三人しかいない。
多崎司は窓際の席に座った。開け放たれた窓からは時折涼しい風が吹き込み、心地よい。真っ白なカーテンもそれに合わせて静かに揺れている。
水筒の蓋を開けて喉を潤し、朝買った風邪薬を飲むと、机の上の本を開いた。
入り口のカウンターにいる島本佳奈が、多崎司の方へ目を向けた。陽光が少年の体に降り注ぎ、淡い温もりを醸し出している。
本を好む清潔感のある少年は、いつも見る人に心地よい視覚的な楽しみを与える。
彼女はそう思いながら、口元に美しい弧を描いた。ふと、いたずら心が芽生え、つま先立ちで音を立てないよう、そっと多崎司の後ろに忍び寄った。
本の内容をちらりと見て、彼女は身をかがめ、顔を近づけて言った。「これ、恋の和歌よ……」
多崎司は読みふけっていたため、後ろから突然話しかけられ、驚いて勢いよく振り返った。その結果、額が島本佳奈の額に直撃した。
「ゴン!」
「あいたっ……」
島本佳奈は額を押さえ、痛そうに叫んだ。「多崎くん、痛いじゃない……」
多崎司は同じ表情、同じ動作で答えた。「多崎くんも痛いです……」
「ぶつかったのは私なのに、なんであなたが痛がってるの?」
「力の作用は相互的です。生活指導の先生でも、基本的な物理の知識はご存知でしょう?」
「多崎くん……こういう時は、自分が痛いかどうかじゃなくて、女の子が痛いかどうかを心配するものなのよ」
「ええと……」多崎司は一瞬戸惑った。「でも、本当に僕も痛くて……」
島本佳奈はため息をつき、疲れたように言った。「もうダメだわ。あなたみたいな朴念仁(ぼくねんじん)は、完全に手遅れよ」
続けて、彼女は何かを思い出したかのように、顔に楽しそうな笑みを浮かべた。
「待ってて」
島本佳奈はそう言い残し、書架の奥へと走り去った。
多崎司は、彼女の膝まで届く白衣の下から覗く黒いストッキングに包まれたふくらはぎを見て、その脚の形が実に美しいと思った。
すぐに島本佳奈が戻ってきた。手には一冊の本があり、表紙にはどうやら……バニーガールが描かれているようだ?
「はい、どうぞ!」
多崎司は不思議に思いながらそれを受け取った。本のタイトルは『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』だった。
「文学名著もいいけれど、たまには気分転換も必要じゃない?」島本佳奈は多崎司の隣の椅子に座り、足を組みながら彼を見た。「彼らがどうやって行動しているのか、学んでみて。あなたのルックスなら、毎日図書館で青春を無駄にするなんてことないでしょう?」
「……」多崎司は振り返り、言葉もなく彼女を見つめた。
島本先生は美人だ。瞳は美しく、黒髪は後頭部で軽くまとめられ、いつも知的な雰囲気を漂わせている。典雅であり、かつ賢明だ。
さらに完璧だと感じるのは、彼女の顔には常に影のような淡い笑みが浮かんでいることだ。それは不思議な魔力に満ちた笑顔で、まるで映画を見ているときに、エンドロールが流れ始める直前にヒロインが浮かべる最後の微笑みのようなものだ。
多崎司はその表現が正しいかどうかは分からないが、とにかくそれは、すべてが円満に終わったことを示す微笑みだった。
「私を見ないで、本を読んで」島本佳奈は黄色い鉛筆を中指と人差し指の間に挟み、ゆっくりと揺らしながら言った。「この10日間、あなたは昼休みも週末も図書館で本を読んでるし、今ではゴールデンウィークまで図書館で本を読んでるわね。夏休みになったら、また図書館で本を読むつもり?」
「その可能性はあります」多崎司は正直に答えた。
島本佳奈は途端に頭痛を感じ始めた。
「多崎くん……」彼女は首を傾げ、まるで老いた母親が息子を案じるような眼差しで彼を見た。「まさか、友達が一人もいないとか?」
この質問には、多崎司もどう答えていいか分からなかった。
「あらやだ……」島本佳奈は彼の肩をポンと叩き、言った。「やっぱりこのライトノベルを読んでみて。もしある日、バニーガールの先輩に会ったとして、声をかける言葉すら出てこないなんてことになったら困るでしょ」
「ええ、でも……結構です」
「どうして?」
「僕は、こういうことを学ぶ必要はないと思うんです」
島本佳奈は驚いて口元を押さえた。「まさか、女性が嫌いなの?」
多崎司は苦笑いしながら言った。「僕はただ恋愛する気が起きないだけで、先生、誤解しないでください」
「思春期の男の子が、恋愛する気がないなんてこと、あるはずないでしょ?」
「本当なんです……」多崎司は、どう弁解すればいいか分からなかった。
彼は性的に冷淡なわけでも、女性が嫌いなわけでもない。ただ、女子高生よりも、星野先生や目の前の島本先生のような「大型車」の方が好みだった。
深遠で、手の届かない大型車だ!
「多崎くん……プラトンの『饗宴』って読んだことある?」
多崎司は首を横に振った。
島本佳奈は鼻梁の眼鏡を押し上げながら言った。「それによると、古代神話の世界には3種類の人間がいたそうよ」
「どんな3種類ですか?」
「昔々、世界は男と女で構成されていなかったの」と彼女は語り始めた。「男と男、男と女、女と女、この三種類で構成されていたのよ。つまり、一人の人間が今日の二人分の材料で作られていたということ。みんなそれに満足して、穏やかに暮らしていたの。でも、人が欲望をなくすと、文明は停滞してしまうわ。だから、神々は激怒して、すべての人々を二つに引き裂いたの。それから、世界には男と女しかいなくなったのよ。人々は、自分のあるべき半分を探し求めて、快適な場所を離れ、より神秘的な領域を探求し始めたの。そして人類の文明はますます繁栄していった、と」
その話を聞いて、多崎司は西洋神話の神々は皆、理解不能なことをする変わり者だと感じた。すぐに怒ったり、時にはあまりにも……どう言えばいいだろう……理想主義的な傾向があるのだろうか?
しばらく考えてから、彼は尋ねた。「なぜ神はそんなことをしたんですか?」
「多分……人類が現状に甘んじることへの罰だったんじゃないかしら」島本佳奈は鉛筆を回すのを止め、多崎司の目をじっと見つめた。「とにかく私が言いたいのは、一人で生きることは素晴らしいこと。でも、人は結局群れる生き物よ。誰かが傍にいてくれたら、食事でさえ急いで食べるのが忍びなくなるものよ」
そう言い終えると、彼女は椅子から立ち上がり、カウンターに戻って先ほどの仕事に戻った。
多崎司はしばらく黙り込み、彼女が持ってきたライトノベルを開いたが、注意は一向に本に集中せず、「食事でさえ急いで食べるのが忍びなくなる」という言葉の意味を繰り返し考えていた。
時計の針が11時を指し、風邪薬が効き始めた。頭はぼんやりと重く、両目はまるで水中に沈んだかのように霞み、視界はぼやけてきた。
【用事があるから、午後まで図書館にいるよ。待たなくていいからね】
携帯で栗山桜良にメッセージを返し、多崎司は本を二冊枕にして顔を伏せ、深く眠りについた。
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