第32話 「もう一人の救世主」

「お、大声出したって逃がさないわよ!」


 今度こそこの場を去ろうとする俺たちを、おばさんは大声で引き止めた。

 くそ、どさくさに紛れて逃げようと思ったのに!


「あなた!」

「私ですか?」


 おばさんは卯月先輩のことを指差す。


「そうよ。あなた、奏多かなたくんを綾瀬あやせくんと呼んでたわよね。兄弟なら苗字で呼ぶなんておかしくなくて?」


 さっきまで戸惑っていたのが嘘のように、ケロッと余裕の笑みを見せる。

 嘘だろ。この後に及んで開き直った。


「……気付いてましたか」


 そうボソッと呟く先輩を見ると、頬っぺたをぷくっと膨らましている。可愛いけどね。

 だが、それよりも。


(先輩。手、大丈夫なんですか?)

(はい。痛かったですけど、綾瀬くんが怒って止めてくれたので。この通りです)


 と、先輩がグーとパーを交互に見せる。様子を見る限り、本当に問題はなさそうだ。


(綾瀬くんって、怒るんですね)

(そりゃ怒りますよ)


 ……もしこれが良からぬ男相手だったら、俺は速攻で手を出していたかもしれない。さっきは相手がおばさんだったから、つい油断したんだ。


「それで、あなた達は本当はどういった関係なのかしら?」


 痺れを切らしたのか、おばさんが詰め寄ってくる。正直、それを聞いてどうするつもりなのか。


「あのー」


 そんな中、思わぬ救世主が背後から現れた。


「ちょっとよろしいでしょうか」

「何よっ!今取り込み中なのっ……あ」


 誰かの乱入に怒りを露わにしたおばさんが振り向くと、動きがピタリと止まった。

 俺も先輩も思わず目を見張る。


 身長180センチはある体格のいい角刈りの男性。


「てて、店長っ……さん」


 おばさんが急に怯えた姿を見せる。

 目の前にいる男性が着ているのはスーパーの制服エプロン。胸元の名札には「店長」の文字。

 幾度も通ううちに店内で見かけたことがあった店員さんだったけど……まさか店長さんだったとは。


「何かトラブルがあったと聞いて来てみれば……。やはり、またあなたですか」


 どうやら店員の誰かが呼んだらしい。近くの客たちもざわつき始める。

 その口ぶりからして、このおばさんのことをよく知っているようだ。


「前にも言いましたよね? 次に何かあった時は、やむお得ませんが出禁にすると」


 やっぱり……。このおばさん、ただの噂じゃなく本当に要注意人物だったらしい。

 それも出禁って、完全なブラックリスト入りだ。


「ち、違うわよ! 私じゃなくこの子が!」


 突然こちらを指差してきた。店長がチラッと俺たちを見やる。


「ほう、この方たちが?」


 まずい、このままじゃ俺たちまでトラブルの当事者にされかねない。


「ええ、そうよ。だからこの騒ぎも私じゃなくて」

「なっ!」


 嘘だろ! このおばさん、俺たちに責任をなすり付けるつもりか。


「違っ、俺たちは!」

「何を言うんです。この方たちは大切なお客様です」

「へ?」


 おばさんはぽかんと口を開けた。


「女性が持っている買い物袋が何よりの証拠です」

「そ、それなら私だって!」

「いいえ」


 店長は大きく首を振った。


「確かに、買い物をしなくても足を運んで下さる方は皆お客様です。ですが、あなたは連日、他のお客様にご迷惑をかけてばかり。前には警察沙汰にもなりましたよね」

「そ、それは……」

「警察の方にも念入りに指導されましたよね? 今度何かあれば通報するようにと」

「うぐっ……」


 その言葉に、おばさんは押し黙る。

 そして。


「もっ、もういいわよ! こんな店二度と来るもんですかっ!」


 そう叫んで、ズンズンと出入り口の方へ去っていった。

 あれほどしつこかったのに、責任者が出てきた途端にあっさり引くとは。


 客たちも再び何事もなかったかのように会計や袋詰めに戻る。


「あ、嵐のような人でしたね」

「……はい」


 俺と先輩は顔を見合わせて、ただ頷くしかなかった。


「お客様」


 店長が俺たちに近づき、深々と頭を下げた。


「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」

「いえ、そんな、頭を上げてください。俺たちは大丈夫です」

「むしろ、助けて頂いて助かりました」


 謝られるほどのことじゃない。


「あの、お客様」

「俺ですか?」

「はい。いつもご来店くださっていますよね」

「えっ、はい」


 顔を上げた店長と目が合う。まさか大勢いる客の中で覚えられているとは思わなかった。


「いつもありがとうございます。今回は私どもの配慮が至りませんでしたが、今後ともぜひお越し下さい」


 意外にも、すごく丁寧に感謝の意を伝えてくれた。


「もちろんですよ。ここは良い商品が揃っていますから。また利用させてもらいます。改めて助けて頂いてありがとうございました」

「ありがとうございます。お待ちしております」


 あのおばさんを追い払ってくれたのは事実。もう二度と現れないだろう。


「綾瀬くんの日頃の行いの賜物ですね」

「個人的によく利用させてもらっているだけですよ」


 とはいえ、俺にとっては思わぬ展開だった。


 こうして店長に見送られながら、俺たち三人はスーパーを後にした。

 あれだけの騒ぎだったのに、ひなたが起きなかったのは良いのか悪いのか……。

 ともあれ、大事にならずに済んで本当に良かった。

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