第25話 「その一方で……」

「ひなたー。髪乾かすぞー」

「うん!」


 晩御飯を食べ、お風呂に入った後。いつものようにリビングで弟のひなたの髪を乾かす。


「ほんと、癖毛だよなぁ」


 弟の髪に触れながら、思わず呟く。

 ひなたの髪は不思議なもので、乾かすと自然に形が整う。いわゆる天然パーマなのだろうが、仕上がりはスパイラルパーマに近い。整髪料を使っていないのにカッコいい髪型になってしまうのは、現役高校生の俺からしても羨ましい限りだ。

 ましてや女子に間違われやすい俺としては、せめて髪型くらいはカッコよくしたいのに。技術がないから、結局ナチュラルなセットで終わってしまう。


 このひなたの髪質については、ぜひ学者にでも解明してもらいたい。


「よし、終わり。遊んでもいいぞー」

「わーい!」


 乾かし終えると、ひなたは勢いよくテレビの前に張り付いた。画面には、例のひよこのキャラクターがドーンと映る。


 出たな! 相変わらずの存在感だ。


『ピヨピー物語、はーじまーるよー!』

「わーい!」


 タイトルコールに合わせて、ひなたのテンションは最高潮に。

 ああ、そういえばこのひよこはそんな名前だったな……と俺も感心しつつ、一息ついた。


 そんなひなたを後ろから見ていると、スマホの通知音が鳴った。


「誰だ……? って、楓先輩!?」


 連絡の主は、最近関わる機会が増えた我が校の生徒会長にしてお隣さんでもある卯月楓先輩だった。

 俺は即座にスマホのロック画面を開いて文面を表示させる。


【卯月楓】

『綾瀬くん。今日はありがとうございました!』


 画面には、そんな定型文のような挨拶が表示される。

 あまりに先輩らしくて面白く、思わず口元が緩んだ。


「卯月先輩らしいな。名前もフルネームで登録してるし」


 先輩からの初めてのメッセージに胸が高鳴りながら、さっそく返事を打つ。


【奏多】

『どういたしまして。お役に立てるよう、俺も頑張ります!』


 それにしても、あの卯月先輩と連絡先を交換できるなんて本当に夢みたいだ。


【卯月楓】

『不束者ですが、何卒よろしくお願いします』


「……なんか、それ違くない?」


 この文面だけ見たら、まるで結婚の挨拶みたいじゃないか。

 とはいえ、そこを突っ込む勇気はない。俺はフリック入力で無難な返事を送る。


【奏多】

『こちらこそ、よろしくお願いします』


 その返事に、すぐに既読がつく。


「そうだ!」


 話が途切れないようすぐに文章を打ち込み送信した。


【奏多】

『今更ですけど、本当に先輩は俺の部屋に来て大丈夫なんですか?」


 俺は改めて今日の話し合いで決めたことを確認する。

 学校ではひなたの迎えに行く事も考えて早めに話はまとめたけれど、こういう事はちゃんとしないと。


【卯月楓】

「え?」


 文面だけのやり取りなのに、先輩のキョトンとした表情が脳裏に浮かぶ。


【奏多】

「その……俺、男ですし。先輩だって女の子ですから、変に思われたりとか……」


 互いの事情を理解してこの件に関して話は進んでいたけれど、一応言葉を濁しながらも、ちゃんと確認はしておいた方がいい。


【卯月楓】

「……あっ。そう、ですよね」


【卯月楓】

「でも、綾瀬くんなら大丈夫だと思います。変なことはしないって信じてますから」


 スマホに表示されたその文字に、思わず心臓が跳ねる。


「ゲホッ、ゲホッ!」


 予想の斜め上すぎる答えに、思わず咽せた。

 卯月先輩、そこまで俺のこと信じてくれてたのか!


「にいちゃん、かぜー?」

「いや、大丈夫だよ」

「ちゃんと髪乾かさないとダメなんだよ〜」


 前に座るひなたが振り返ってくる。

 まさか弟に心配、というより注意されるとは。


「うん、すぐに乾かすよ」


 そういえば、ひなたの髪を乾かし終えた直後に先輩からメッセージが来たから、つい自分のことを忘れていた。

 危うく本当に風邪をひくところだったな。


「えーっと……」


 片手でドライヤーを操作しながら、返信を打つ。返事が急に遅れるのは不自然だ。


【奏多】

『分かりました。ありがとうございます』


 そう打ってから、壁の方へ視線を向ける。


「それにしても……」


 こうしてチャットしている間も、この壁の向こうには卯月先輩がいるんだよな……。

 うちのマンションは防音性能が優れていて、よほどの大音量でもない限り上下左右の部屋の音は漏れない。

 しばらく住んでいるのに、お隣さんがどんな人かなんて、全然知らなかったな。


「ん?」


 そう思っていると、新たなメッセージが来たことを伝える通知が鳴った。


【卯月楓】

『そうだ、綾瀬くん。料理を教えてもらう日なんですが――』

『次の土曜日はどうでしょうか?』


 さっそく予定に関するお知らせだ。

 連続で送られてきたメッセージを見て、俺は壁にかけたカレンダーへ視線をやる。


「土曜日か……」


 予定は何も書かれていない。


【奏多】

『大丈夫です。その日の昼過ぎからとか、どうですか?』


【卯月楓】

『分かりました! では、その時間に伺わせてもらいますね!』


 ポンッ、とウサギのイラストスタンプが届く。


【奏多】

『お待ちしてます』


 俺もお気に入りのひよこスタンプを送って、やり取りは終了した。


「ふぅ……」


 つい最近まで、先輩と関わることになるなんて夢にも思わなかったのに……。それどころか、家が隣同士だったなんて。


 誰かに話したところで、きっと信じてもらえないだろう。

 そういえば先輩、料理できないって言ってたけど……今日もちゃんと食べてるのかな。少し心配だ。

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