第29話:大団円(後編)
「おお――アラスタインよ! お前の功績は、父である私も聞き及んでいる。――まさか、これほどの手柄を立てるとは思わなんだ」
魔王討伐の旅を終えたオーグストの身体を気遣うでもなく、彼の無事を安堵するでもないフォンデールは、まるでカルレイヴでの出来事などなかったかのように、親しげにオーグストの肩に触れた。
「さすがは我が息子。お前は私の誇り……いや、我が国の誇りだ!」
感極まった様子でそう告げる男の目には、打算と冷酷な色が潜められている。
表情をなくしたオーグストを目にして、マーティは思わず義憤に駆られた。
散々、彼を虐げておいて、白々しい、図々しいことを――。
怒気を込めた表情で身を乗り出すと、沈黙を保ったオーグストがマーティを静かに手で制する。
王は、突然で現れた男に対して呆気にとられた様子だったが、玉座に深く座り、居住まいを正した。
「ふむ……そちらの言い分は理解した。無礼を許そう。息子の功績を祝う親心、理解できなくもない。……そなたも、息子の望みを聞くがよい」
王の言葉に、フォンデールは満面の笑みを浮かべて、いかにも媚びた様子で両手をすり合わせた。
オーグストは一歩前へ進み出ると胸に手を置き、礼の姿勢をとった。
その格式高い振る舞いは洗練されており、貴族としての教育を受けたことを思わせるものだった。
「……俺の望み、それは」
オーグストは、静かに、宣誓するように告げた。
「――かつて謂れなき汚名を着せられたまま、ひとり無念の死を遂げた母、オーレア・カミリアの名誉を取り戻し、ラヴェリアの歴史に正しく刻み直すこと」
予想しなかったオーグストのその言葉に、フォンデールの笑顔が一瞬にして消え去り、緊張と焦燥、恐れが浮かびあがった。
「そして俺は、母が授けた名である、オーグスト・カミリアとして、身分に縛られることなく、自身の足でこの世界を歩み、自由に行動することを望みます」
オーグストが言い終えて、フォンデールを正面から見すえる。
「あなたの言う『地位』も『誇り』も、俺には不要だ」
オーグストは、憎悪を込めた冷徹な視線を男に向け、吐き捨てるように言った。
引きつった声を発したフォンデールが、ぐらりとよろめき、身を引く。
謁見の間に立つ人々の間で交わされる囁き声と、好奇心に満ちた視線がフォンデールに突き刺さった。
王と宰相は、一瞬、目を合わせたが、すぐにオーグストに視線を戻した。
「……うむ。貴君の誠実な望み、しかと承った。母の名誉回復については、しかるべく調査を命じる。貴君の自由な生き方も、またひとつの道であろう」
「ありがとうございます」
オーグストが一礼する。
その背後では、フォンデールが少しずつ後ずさる気配がした。
意気揚々とその場を乱して現れた彼は、小さく「し、失礼します」と言い、まるで罪を逃れるように、足早でその場を立ち去ったのだった。
マーティはオーグストの腕に触れ、温かい目で彼を見つめた。
その視線に応え、オーグストも柔らかな視線を返す。
王が小さく咳払いをした気配に、マーティとオーグストは姿勢を正した。
「……さて。次は、一番の功労者である、勇者マティアス・ミルズよ。貴君はなにを望む?」
マーティは緊張しながら一歩踏み出し、オーグストを真似して、付け焼き刃のぎこちない礼をとった。
「……俺の望みを言う前に、ひとつ、見ていただきたいものがあります」
マーティは、持ち込んだ鞄から包みを取りだす。
そこには、魔王城で折れたクロンが収められていたのだ。
「なんと」と、王と宰相を含めた周囲の人々は、息を呑んだ。
数百年もの間、国宝のように大切に保管されていたクロンの無惨な姿に、彼らはうろたえていた。
「託していただいたクロンは、魔王との戦いによって破壊されました。――ですが、これにはいまだに強い力が宿っています」
スフェルとオーグストは、マーティの意図を分かりかねている様子だった。
マーティが、ゆっくりと宰相に向かって歩みを進める。
彼に近づくにつれ、淡い光を放っていたクロンが激しく明滅を繰り返し始めたのだ。
そこで、ネイロンは彼の意図に気づき――目を見張った。
「お返しいたします。……聖者カルレイヴですら倒せなかった魔王を討ち滅ぼす……真に強大な力の込められたものですよ」
マーティが静かな声で言い、礼をしながら、宰相にそれを差し出す。
圧倒的な力を求める宰相にとって――それは、誘惑するような響きだった。
大部分が損傷しているとはいえ、聖剣は聖剣。
それは長年、彼が求めていたものだったが、厳しい管理の目があり、手が出なかった代物だ。
宰相の目が、クロンの輝きに魅入られるように釘付けになる。
ちっぽけな平民が持つには、あまりに過分な資産。
宰相は、なんの疑いもなく、それに触れた。
すると、その瞬間――剣に宿る魔を祓う強烈な光が、彼の指先で弾けた。
その手は次第に闇に染まり、宰相の身体にもやが立ち込め、闇のしるしが身体中に浮かびあがる。
「ど……どういうことだ! なんだ、これは――!」
宰相は全身に激しい痛みを感じて、その場に崩れ落ち、悶えはじめる。
彼の身体から立ち込める闇の波動にその場がざわつき、衛兵が即座にマーティと宰相を取り囲んだ。
マーティも、この事態に内心、驚いていた。
宰相にクロンを用いたのは半分賭けだったが、ここまで顕著な形で闇が露出するとは思っていなかった。
彼は人であるにもかかわらず、その姿はまるで、光を浴びて悶え苦しむ――魔物のようだった。
マーティは動揺を抑えながら、慎重に言葉を選ぶ。
「……光の宿ったクロンは、魔を祓う力を持つほかにも、強大な闇を感じ取る性質を持っています。そして、かの禁じられた術の痕跡を――クロンは指し示しました」
宰相が苦悶の表情を浮かべ、喉元を押さえた。
彼の喉から意思に反して漏れ出す言葉は、王家がかつて禁忌とした古代語による呪詛だった。
「――かつて暴君が行使した許されざる術を、彼が用いているのだと!」
「ああああ――!」
宰相が獣のような雄叫びをあげる。
その場にいた衛兵や高位の者は古代語に忌避意識を持っていたのか、何人かが悲鳴をあげ、耳を塞いでいる。
「宰相を――この狼藉者を取り押さえろ!」
王が毅然とした声でそう告げると、衛兵たちが素早く宰相を取り囲んだ。
彼は抵抗していたものの、すぐに圧倒され、床に組み伏せられる。
怒りに身を震わせながらも厳しい視線を宰相に向けるネイロンに、スフェルは静かに寄り添った。
「これは罠です! 陰謀でございます! このような平民の戯言を信じるのですか! ――あまりにも遺憾であります!」
宰相が言葉を紡ぐたび、彼の意思に反して喉から呪詛のような言葉が漏れ出している。
慌てて口を塞ぐが、それでも彼から漏れ出す呪いの言葉は、黒い紫煙はおさまらない。
「クロンは始まりの聖者の仲間が
王は鋭い声で宰相を一喝した。
彼は玉座から立ち上がると、長い間、自身に貢献し、支えとなっていたはずの宰相を見下ろす。
「陰謀か戯言かどうかは、調べれば分かること」
しかし、そう告げる王は確信を持っているようだった。
彼の目は、厳しさの中に後悔が浮かんでいる。
「……そなたの成すことが正しいと、私は信じていた。歴史を知り、王は驕るべきではないと思っていた。だからお前の言葉に耳を傾け、そなたに心を許していたのだ」
縋るように見上げる宰相に対して、王がつぶやく。
「……私が、間違っていたようだ」
王の顔が、失望と悲哀に歪む。
衛兵に取り押さえられ、連行されていく宰相の顔は、青ざめていた。
静まり返った謁見の間で、王は深いため息を吐くと「とんだ騒ぎであったな」と頭を抱え、玉座にどっしりと座り込む。
その姿に当初の威厳はさほど感じず、ただ疲れたひとりの中年の男のような印象を抱いた。
「……あやつが行使したとされる闇の力の痕跡を、調べなければならぬ」
「――陛下っ」
スフェルが、前へ歩み出た。彼はどこか焦っている様子だ。
「発言をお許しください。実は、こちらのネイロン。魔王の戦いを控え、闇の力を理解しようと学びました。むろん、彼は国への献身と王への忠誠心に満ち溢れており、邪心はありませぬ。――このとおり、クロンもそれを証明しております」
スフェルは素早くそう言って、マーティの手からクロンを取り上げ、ネイロンに近づけた。
途端にネイロンは目を泳がせつつ背筋を正す。クロンは、彼に対してなんの反応も示さなかった。
闇の痕跡を調べる、と聞いて、魔王がネイロンに与えた影響のことを指摘されるかもしれないと、スフェルは危ぶんだようだ。
だが、いささか悪目立ちしているような気がしてならない。マーティは、はらはらとしながら様子を伺う。
王は、再びため息を吐いた。
「よい。……貴君らのことは信頼している」
彼は頭を押さえたまま、片手を振って合図をする。
その寛大な言葉に、スフェルたちは安堵した。
「……マティアスよ。貴君の功績は魔王討伐のみならず、我が国に巣食う、もうひとつの巨大な闇を暴き出した。……感謝する」
「も、もったいなきお言葉です」
この国で一番貴いとされる存在に頭を下げられ、マーティは萎縮をしながら、ぎこちなく礼をする。
そんな初々しい若者の様子に、王は、この場で初めて苦笑を漏らした。
「勇敢な若者よ。いま一度、貴君の望みを聞こう」
王は、そう問うた。マーティは、いまさらになって緊張をおぼえて唾を呑む。
仲間に見守られる中で、彼は――ゆっくりと口を開いた。
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