第21話:太古の記憶たち(前編)
遠くから落雷の音が聞こえる不穏な空の下、荒原に立つ朱色の髪の男が黒い魔物と対峙している。
(この景色は……?)
まるで自分がそこにいるかのような感覚に、マーティは驚いた。
そのとき、男が銀の杖をひと振りした。その先端から光が放たれ、巨大な魔物の胸を貫く。
「――これで終わりだ、魔王カームレト」
魔王と呼ばれた赤毛の魔物、カームレトが低いうめき声をあげながら倒れる。
不意に遠巻きから見守っていた長い髪の白衣の男が、ゆっくりと一歩踏み出し、こらえきれないように駆け出した。
「……ユルーエル」
魔王と対峙していた男の厳しい顔が、哀れみの表情に変わる。
ユルーエルと呼ばれた男は、自身の白い翼をはためかせながら、カームレトの亡骸を抱き上げ、その額に口づけを落とした。
――ユルーエル。
人間に、光の力を授けた天族の名だ。
爬虫類を思わせる黒い鱗で覆われた顔を、ユルーエルの細い手が撫でる。
「……彼を止めてくれて、ありがとう。カルレイヴ」
カルレイヴ。
半ば白昼夢を見ていた心地だったマーティは、いよいよ胸騒ぎをおぼえ始める。
(つまり、これは過去の記憶……?)
魔王を討ち滅ぼした男、カルレイヴは同情するようなをユルーエルに向け、祈りの形をとった。
ユルーエルの肩が、静かに震える。
「もとは、私とカームレトが神に引き離されたことで、彼はこのような暴挙に及んだのです。……次元の亀裂を生み出し、人の世と魔界を……世界をひとつにするという、神に対する反逆を……。彼の野望を生み出したのは――私です」
ユルーエルは、カームレトの身体を地面に横たえた。
「それなのに、あなたに光の力を授けることで責任を負わせてしまいました。……申し訳ありません」
程なくしてカームレトの胸から、どす黒い闇をまとった球体が浮かび上がる。
「これは……」
「彼の、魂です」
そう言いながら、ユルーエルが彼の魂を自身の手のひらへ導き、慈悲の目を向ける。
彼は数秒それを見つめて――光を生み出した。
「いったい、なにを……」
彼の手のひらから生まれたそれは、炎のような光だった。
光は、魔王の魂を覆い尽くした闇の衣を取り去っていく。
「せめて、私の力で、彼の業を軽くしてやりたい。彼の魂を、川に受け入れてもらうために……」
「――ユルーエル」
不意の冷たい声が天から降りる。
揺らぐ声は、女性や男性の声が重なったもののように聞こえた。
「お前は三度罪を犯した。ひとつは外界に降り立ったこと、ふたつは、人間に天族の力を授けたこと、みっつは、外界の罪人に過分な情けを与えたこと」
ユルーエルが、額に汗を流しながら、その声に目をつむる。
「そのどれも身勝手な行いである。天秤を傾けた罪は重い。天族としての在り方に反するものとし、お前からその証を剥奪する」
冷たい声だった。
ユルーエルは覚悟の上だったのか、ゆっくりとうなずいた。
すると、彼の背から突然、青い炎が現れる。
「ユルーエル!」
目の前で、翼を焼かれるユルーエルを目にし、カルレイヴが叫ぶ。
ユルーエルは、罰を受けてもなお、魔王の魂の浄化の手を止めなかった。
彼の手から光が完全に失われる頃には、魔王のどす黒い魂は、真っ白に光る玉のような姿となっていた。
その場に残されたのは、魔王と天族の亡骸と、浄化された魔王の魂のみだった。
不意に、視界がゆっくりと暗くなる。
荒れた土地は草木が生え、生き物もまばらに目に入りはじめた頃、場面が切り替わり、見知らぬ部屋に映った。
「平和なものだな」
カルレイヴの声は反響するような響きを持っていた。
彼が、ビン詰めにされた魔王の思念を、何気なく指で撫でる。
無体な扱いだったが、カルレイヴは、これの扱いを決めかねていたのが伝わってくる。
「生前は危険な存在だったが、戦いが収束してひと月経って、お前は今のところ、無害そのものだ」
彼は、物憂げなため息を吐いた。
「お前の恋人は、人の平和な営みを見るのが好きだと言っていたよ。……今のお前は、どう思う?」
場面が、再び切り替わる。
荒い息遣いが響き、慌てたように夜の町中を駆け回る映像が連続する。
自身の部屋に、割れたビンの破片だけが残されていたのを目にして、カルレイヴは焦燥に駆られていた。
場所は洞窟に切り替わり、カルレイヴの息遣いは、さらに激しくなっていた。
次第に咀嚼音のような音が耳に入り、おそるおそる、カルレイヴは先に進む。
探していた存在は、オーガの死骸の上に覆いかぶさるような形で、そこにいた。
「――食べている、のか?」
まっさらだったはずの魔王の思念は、灰がかっていた。
それを見た直後、カルレイヴは杖を振り上げ、魔王の思念に光を叩き込む。
思念は悶え苦しむように地面を転げ回り、呻き声にも似た声をあげた。
「なんということだ」
何度、光を浴びせても、結果は同じだった。
カルレイヴは、息を切らしながらも青ざめた。
――“これ”は死なない。
そこには、業も魂も存在しないのだ。
場面は再び暗転し、カルレイヴの絶望を一心に感じる。
「――このとき、私は気づいた。ユルーエルがその手で魂を浄化したことによって、魔王カームレトは、生きていなければ死んでもいない、新たな存在に成ったのだと」
彼の記録の声に、マーティは愕然とした。
――魔王の思念体。あれが、魔王の繭の正体。
恋人の死後の平穏を望んだはずが、なんて皮肉だ。
どんなに痛めつけても死ぬことのない不死の存在にも成り果ててしまったなんて――。
絶望の感情が込みあがる中で――再び、場面は目まぐるしく変化した。
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