第19話:貴族の男(前編)――傭兵の秘密


 洞窟に存在する石碑の前で言霊を――つまり詩を歌えば、吟遊詩人の遺したとされる『魔王に対する突破口』が見つかるかもしれない。


 衝動的に店を出たが、どう考えてもオーグストの助けが必要に思える。

 彼らが残した言葉や情報が、果たして自分だけで理解ができるのか……。


 宿に戻ろうか悩むマーティの足が――ふと止まった。


(――オーグスト?)


 高級そうな黒いコートをまとった男が、険しい顔でオーグストの外套を掴み、路地へ引きずり込んでいる姿が目に入る。


 あれは、ゴルダーナの店から出てきた男だ。

 驚くことに、オーグストは横柄な男の振る舞いに、素直に従っていた。


 オーグストのような人間がいいようにされているその光景は異様で、マーティの足は無意識に、彼らのいる路地へと向かっていく。



「……あなたが、このような場所にいたとはな」

「それはこちらの台詞だ。我が息子、アラスタインよ」


 ――息子だって?

 マーティは、反射的にオーグストと対峙する男の顔を見る。


 オーグストの肌よりも白く、険しい皺の刻まれた男の顔立ち、たしかにどこか彼の面影と重なるように思えた。


「逃げ出してなにをしているのかと思えば、隔離された土地でドブネズミのような姿で市井に溶け込んでいたとはな。どうりで見つからぬわけだ」

「……それで、ドブネズミのは、息子になんの用があると言うんだ」


 オーグストの嘲りに男は眉を吊り上げたが、彼は静かに息を吸い、据わった目でオーグストを見上げた。


「――家に戻れ。お前のような役立たずに、地位と名誉を与えてやろうとしているのだ、頭を下げて礼を言うのが筋合いじゃないのか」

「戻れ? あの牢獄のことを言っているのであれば、願い下げだ。俺に戻る場所などない。――それは、すでにお前が奪ったはずだ」


 オーグストは怒りに燃えた目を一瞬、男に向けたが、すぐに迷ったように背けられた。

 かと思えば、彼は感情の読めない目で、男を観察し始める。


 男の指に着けられた、きらびやかな指輪。

 飾りベルトはカルレイヴの名産であることを表した模様が施されており、オーグストが、得心したように大げさな仕草でうなずく。


「なぜあなたが聖地という最も相応しくない場所にいると思ったが、なるほど。あなたたち貴族は、己の虚栄心を満たすことに価値を見出していたな。今の今まで忘れていた」


 激しい頬を張る音が、路地に響く。マーティは驚愕した。


 オーグストを衝動のままに叩いた男は、静かに息を吸うと、冷たい目でオーグストを見上げ、杖の柄で両手を支えた。


「……薄汚い小僧が生意気な口を。しつけが足りなかったようだな」


 オーグストの目は男を見ておらず、どこか遠くを見つめるようだった。


 それは一見、無関心を貫くような態度に思えた。

 しかし、心を閉ざしたその瞳は、普段のものとは明らかに、別物だった。


(違う……)


 ――あのオーグストが、凍りついている。

 自分よりも、体格の劣った相手にだ。


 マーティは、その感覚を理解していた。

 あの男は、彼が逆らえない相手なのだと。


 マーティができることは、ひとつだった。


「オーグスト! こんなところでなにをしてるんだ。探していたんだぞ、相棒!」


 両手を広げて、芝居がかった態度で近づけば、オーグストが、呆気にとられた顔をマーティに向けた。


 ――何故ここに? 表情だけで、そう問われたが、マーティは構わず彼らに近づいた。


「きさま、何者だ。邪魔をするな!」

「そちらこそ、何様だ。俺は王命を受けた巡礼中の勇者である、マティアス・ミルズで、こちらは俺の大切な相棒のオーグスト・カミリア。……それを知っても邪魔をする気か?」

「勇者だと……?」


 マーティの言葉に、オーグストが目を見開く。

 男は『勇者』という言葉に、一瞬、怯んだ様子だったが、すぐに見下すような笑みを浮かべた。


「旅芸人の真似事でもしているのか? アラスタイン、きさまらの謀りなど、私には通用せぬぞ!」


 マーティがオーグストの腕を引きつつ、彼の前に出る。

 彼の中では弱気なヒナタの人格が大きく影響を受けていたものの、迷うことなくそれができた。

 仮面武道会で、多少の度胸がついたせいだろうか。


 目の前の男の装いは、王都であればそれほど違和感がなかったかもしれないが、貴族のいないカルレイヴでは、いささか際立っている。


 それは仮面武道会での仮面や、参加者たちの仮装を彷彿とさせた。


 マーティよりも、やや背の高い目の前の男は威圧感があったが、恐れを抱くよりも、自然とオーグストを守ることを優先していた。


「そっちこそ、その格好は新しい概念の道化かなにかか? 悪いが俺たちはこのとおり多忙な身でね、勧誘はお断りしているんだ」

「なんだと、この――慮外者りょがいものめが!」


 男が、持っていた杖を勢いよく振り上げ、マーティの身体に数度、強く叩きつけた。

 飛び上がるほどの痛みはなかったものの、彼の癇癪は不快なもので、思わず顔をしかめる。


 男の発作的な行動に、オーグストがマーティを押しのけ、男の胸ぐらを掴んだ。

 そのまま力任せに壁へ追いやり、オーグストは額に青筋を立てながら男に凄む。


 危機感を察知した男が、詠唱のような言葉を唱えるより先に、オーグストは素早く弱体化の魔法を彼に付与していた。


「ちょ、ちょっとオーグスト――」

「おい。お前が気安く手を上げていい人間だと思っているのか? ――腐った羽根を金箔で飾り立てた、下劣な虫けらが!!」


 オーグストが男の身体を地面に投げるように押し倒すと、その身体に強烈な蹴りを入れた。


 ――まさかここまで役に入るとは思わなかった。端から見れば暴漢だ。


 流石に止めようとした、そのとき、マーティは気づく。

 オーグストは動きこそ大ぶりで大胆だが、男に対して手加減していた。


 少なくとも、マーティの知るオーグストは、もっと手酷いやり方で相手を追い詰める。


「……オーグスト、ほどほどにな。これじゃあ弱いものいじめだ」

「き、きさま……! ――下等な平民風情が!!」


 自身を見下すようなマーティの物言いに、地面に崩れ落ちた男の顔が、興奮で真っ赤に染まる。

 マーティは、あえて悪党のような態度で腕を組んだ。


 止めなければならないとは分かっていても、マーティは不思議と、男を庇い立てするようなことはなかった。

 もともと、手を上げたのは彼だからだろうか。


 一方的な暴力ごとは好まないが、言われるがままになっているオーグストを見て、彼の絶対的な味方になるのだと決めたのだ。


 彼は戦いになると苛烈な男だ。

 本気で傷つける意図があるなら、実際、こんなものでは済まない。


 ただ、弱体化を付与された相手は、痛みを与えればその痛みが何倍にも感じられるようになる。

 手加減されているとはいえ、精神的に響くだろう。


 オーグストが忌々しげに退くと、男は即座に壁に手を添え、よろめきながら立ち上がった。

 その高級そうな男のコートには、ところどころに土埃がついている。


「こ……この私に、よくもこのような真似を……お前を汚れた女のもとから救いだして、四年も良い暮らしをさせてやったんだ。それを、恩を仇で返しおって……! この屈辱、忘れんぞ! アラスタイン! 後悔させてやる!!」


 男の言葉で、オーグストの眉間に深い皺が寄る。彼は冷静になるように深い息を吸った。


「どうやら、しつけが足りないようだな。汚れているのは、お前の邪悪な魂だ! 俺はお前に関心などない。二度と俺に不愉快な面を見せるな!」



 オーグストが手のひらで強烈な電気を生み出すと、男は怯えた様子で足をもつれさせながらも逃げだした。

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