第17話:甘い尋問――傭兵の確信
「……兄さんがいない?」
「ああ、出かけてから帰ってこないんだ」
あれから賞品を受け取り、宿屋に帰ったマーティはスフェルと顔を合わせることを気まずく思いつつも、彼の部屋に向かった。
しかし、スフェルは部屋にいなかった。
あれだけ外は危険だと言っておいて、自分は夜中に単独行動なんて、勝手な兄だ。
そう言いたげなマーティの表情を見て、ネイロンは苦笑した。
「スフェリウスのことだから、きっと戻ってくるさ。あとで私も探しておくよ」
ネイロンが、柔らかな笑みを浮かべながら絹の袋を胸に添える。
その中には、彼が求めた月長石があった。
「ありがとう、マティアス」
そう言って、ネイロンの手が肩に触れた。
彼からの労いを素直に受け入れていると、オーグストがマーティの片方の肩をやんわりと引いて、彼らを遠ざける。
「こいつは疲れてる。……早く部屋に戻るぞ」
ぶっきらぼうな口調だが気遣われ、マーティは少し驚きつつも、いささかときめきを感じる。
実際、魔力酔いが尾を引いたせいで宿に帰るのも一苦労だったのだ。
「優しいんだね、オーグスト。よろしく頼むよ」
ネイロンは、ふたりを穏やかな様子で見送る。
ようやく部屋に戻ったマーティは、安堵のため息を吐いた。
――ひとまず、ネイロンに月長石を渡すことができた。
指輪ができればスフェルの負担は軽くなるし、未来もわずかだが、変わるかもしれない。
ほっとしながらオーグストを見ると目が合い、マーティはわずかに動揺した。
視線を逸らしてもなお、彼からの視線を感じる。
「……なんだよ」
「お前、奴のことを好いているのか」
驚いてオーグストを見る。
「言っておくが、自分の身分を隠して平民にちょっかいを出す貴族など、ろくなものじゃないぞ」
「俺は別に――ちょっと待て。ネイロンさんは貴族なのか?」
ネイロンの立ち振舞いは、たしかに貴族のようだと感じたことはあるが、彼自身の口からそうだとは聞いていない。
ましてや、人との交流などしたがらないオーグストが、なぜ知っているんだ。
「貴族はドワーフ語を嗜み、子どもは新年の行事で薬草を聖水で煮つめた苦水を飲まされる風習がある。言動から見るに、そう捉えるのが自然だ」
たしかに、ネイロンはドワーフ語が読めるし、スフェルのまずいハーブティーを平気な顔をして飲みながら、子どもの頃に似たようなものを飲まされた、と言っていた。
だが、腑に落ちない。平民のマーティも知らない貴族の作法や慣例など、なぜ傭兵であるはずのオーグストが知っているのだろうか。
「……なんでそんなこと知ってるんだよ、オーグスト」
オーグストは、視線を逸らした。
――自分の聞かれたくないことは誤魔化すのかよ。
「身分の問題はともかく……ネイロンさんは尊敬はしてるけど、そういう好意は俺にはない」
「お前の好みに該当するだろう。あいつは顔がよくて、背が高く年上で……」
「あーー! うるさいうるさい! お前に関係ないだろ!」
マーティは頭を抱えた。
該当する人間は他にもいるだろ! と内心で突っ込みながらも、口には出せない。
当てこすりもいい加減にしろ、と文句を言おうとした途端、マーティはオーグストに間近に見下されていることに気づいて、ぎょっとする。
「ネイロンは、触媒もなしに魔法を使えば命を落とす可能性があると言っただろう。たかが石ころひとつ、あの男に渡すために無理をしたのか」
燃えるような目を向けられ、喉が詰まる。
「答えろ、ミルズ」
「――違う!」
他人行儀に低く名前を呼ばれて、マーティは思わず反論した。
なぜ、こんなに詰め寄られないといけないんだ。
「俺はただ、自分が出来損ないじゃないって、証明したかった。誰かの役に立ちたくて――」
そこまで言って、舌が凍りつく。
俺は――オーグストになにを言おうとした?
「どういう意味だ」
「…………」
「お前は今まで、自分のことをそう思っていなかったはずだ。剣が役に立たずとも、光の魔法など使えずとも、誰かの役に立っていた」
皮肉ばかりのオーグストの真摯な言葉に、マーティは目を見開く。
誰かの役に立っていただなんて――そんなこと、今まで一度だって言わなかったじゃないか。
今更、持ち上げられたってちっとも嬉しくない。
だって、自分は出来損ないだ。
みんなを傷つけてばかりで、未来を変えられる当ても、救えるビジョンも、まったく見えないのに。
「お前は自分の役割に誇りを持っていただろう」
「違う。俺は、そんな」
オーグストに見つめられて、自分を卑下する言葉しか出なくなる。
こんなとき――マーティはどう言うんだ。
冗談? それとも、オーグストの言葉を、素直に受け入れた?
(なんで、今になって俺にこだわるんだよ)
俺はお前を遠ざけないといけないのに。
そう足掻けば足掻くほど、深みにハマっていってるのは、どうしてなんだ。
――俺には、誰かに心配される価値なんてない。
俺のことなんてどうでもいいだろ……!
マーティは、オーグストの手を振りほどいた。その手はあっさりと離れ、力なく下がる。
そのとき、突然、キーンと高い耳鳴りにも似た音が鳴った。
以前にも、似た音を聞いたことがあった。
その時は耳鳴りかと思ったが――違う。
(……なんだ、今の音……)
マーティは半ば驚きながらオーグストに目をやる。
音は、あきらかに彼から発せられていた。
オーグストの顔は、大切ななにかを失ったかのように青ざめている。
「お前は……誰だ?」
オーグストの、言っている意味が分からなかった。
「マティアス・ミルズは、自分を価値のない人間だとは思わない」
「……は……?」
なにを言っているんだ、とオーグストの様子を伺う。
一瞬、その言葉を口に出していたのかと思ったが――していない。
戸惑うマーティを前に、オーグストは自身の懐から、自身の魔道具を取り出した。
「この魔道具は古代語の翻訳ができる代物だが、それはひとつの効果にすぎない」
彼は、静かにマーティの前にそれを差し出す。
「これは――人の心の声を感じとることも可能だ」
「……え……?」
マーティは、オーグストの突然の告白に、言葉を失った。
「普段であれば心の声など聞こえないが、マティアス。お前だけは違った。聞きたい訳でもないのに、俺からは――お前の声が聞こえていた」
マーティは動揺しながらも、オーグストの言動を思い返していた。
――そういえば、彼は以前からやけにこちらの考えを言い当てて「気持ちを顔に出さないようにしろ」だの「単純な奴の考えることはすぐに分かる」と言っていた。
巻き戻り前の洞窟で、魔道具が心を読むことが出来る、と匂わせるようなことを冗談まじりに言っていたような気がする。
「緊迫した中だというのに、飯のことを考える声や、気の抜けるような、馬鹿げたたとえ話……最初はうんざりしていた。だが、自分の兄を気遣う声や……陽気な言葉を聞いているうちに……悪いものではないと思っていた」
オーグストの指が、魔道具を擦る。
「それらが、ある日、突然聞こえなくなった」
静かな声だった。
「ようやく聞こえるようになったかと思えば自分を卑下する言葉ばかり……」
マーティは、思わず自分の胸元を押さえる。
――まさか、全部知っているのか?
みんなが死んだことも、巻き戻ったことも。
青ざめるマーティの様子に、なにかを察知したのか、オーグストが首を横に振る。
「……お前のすべての思いが分かるわけじゃない。この魔道具で分かることは――限定的で、断片的なものだ」
魔道具を握り、オーグストはマーティの目を見た。
すべてを悟られるような視線にマーティは警戒心を抱いたが、オーグストはそれをテーブルに置き、改めてマーティに向き直る。
「――だから、知りたいと思った。お前の心が、なぜ突然、変わったか」
オーグストの瞳は鋭いが、敵意は無い。
それだけに、マーティは疑問だった。
記憶の中のオーグストは皮肉っぽく、自分たちに対してどこか一線を引いていた。
そんな男が、どうして自分にこんな真剣な目を向けるのか。
「オーグスト。なぜ……そんなことを知りたがるんだ? あんたは俺を嫌ってたのに……」
真摯な目で自分を見つめ続けるオーグストに居心地の悪さを感じると同時に、おかしな高揚感を感じる。
マーティは、自然と後ずさっていた。
「……そういう態度をとっていた自覚はある。お前には、気づかれたくなかった」
オーグストが一歩踏み出す。
「俺ばかりが、お前に惹かれていることに」
驚きの声をあげる暇もなかった。
気づけば壁にまで追い詰められ、互いの身体が一気に密着した。
間近に向けられるその視線があまりにも熱烈で、マーティの顔に、熱がのぼる。
「オ、オーグスト。そんな冗談……やめろよ。たちが悪いぜ……」
自然と声が震えて、上ずった言い方になる。
オーグストの真剣な目に、思わず彼の言うことを真に受けそうになった。
知りたいと言われても、うんざりするような前世の自分のことなど、兄にすら話したくないのに、オーグストに教えるつもりなどない。
魔王を相手に戦って、なすすべもなく敗北したことを打ち明けるなんて、もってのほかだ。
それなのに、考えを悟られて、予想だにしない態度で詰められ、マーティは思ってもいないことを言いそうだ。
動揺するマーティに、オーグストの顔が、ゆっくりと近づく。
――拒絶、できない。
おずおずと様子を伺うように、オーグストの唇が近づいて――ゆっくりと、互いの唇が重なった。
マーティは無意識に目を閉じていた。あまりの非現実的な行為に、思考がぼやける。
――俺、オーグストと、なにをして……っ!?
あまりの甘さと、突然のキスにマーティが顔を背ければ、オーグストが追うように、素早くもう一度、唇を塞ぐ。
マーティはしがみついて抗いながらも、それに応えていた。
オーグストが、自身にしがみつくマーティの手に、自身の手を力強く重ねる。
口づけが、こんなにも心地良いものだと、知らなかった。
触れるオーグストの唇は熱くて、マーティは夢中になっていた。
数秒、互いの熱を分け合う行為を続けて、自然に離れていく。
マーティは、そこでようやく、ゆっくりと我に返り、彼の手を振りほどいた。
「なんてこと、するんだよ……」
「…………」
思っていた以上に、ずっと気弱な声がマーティの口から漏れた。
頬が、唇が、熱い。
想いが、溢れてしまう。
「ずっと――俺は抑えてたのに。なんで? 俺が、お前のことを好きだったって分かったから、俺をからかってるのか?」
「――違う。最初に惹かれたのは俺だ」
「嘘だ!」
嘘に決まってる。
オーグストといえば、意地悪で、どうしようもない皮肉屋で……。
それでも、好きで。
知られてしまう――いや、知られたくない。
オーグストに、打ち明けられない。
本当の俺を知れば、きっと彼は俺を嫌う。
それに――もしもまた、戦いでオーグストを失えば。
想像して、マーティは身震いする。
好きな人間を苦しめるくらいなら、彼に見捨てられたほうがまだいい。
「ヒナタ」
マーティは、突然そう呼ばれたことに驚いて、オーグストを見た。
「お前をこう呼んだ時、魔道具が反応を見せた。……どういう意味だ? なぜ、この言葉がお前を苦しめている?」
マーティはオーグスト目を合わせず首を横に振ると、早足で廊下に出た。
このまま部屋にいると、オーグストに呑まれて、なにもかも打ち明けてしまいそうだった。
オーグストは制止するそぶりを見せたが、彼は、追ってこなかった。
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