第13話:兄騎士の戸惑い


「マーティに、手を上げてしまった」


 部屋に戻ってきてからというもの、スフェルは落ち着かない様子で右往左往していた。長い沈黙を貫いていた彼は、そこでようやく口を開いたのだ。


「それで、弟に嫌われたのかい?」

「冗談を言っている場合じゃない」


 ふと、カーテンを指先で開いたネイロンは、取っ組み合いを始めるマーティとオーグストを捉える。

 彼はさして興味もなさそうにカーテンから手を離し、スフェルに視線を返した。


「今まで、弟をぶったことはなかったんだ。それなのに」


 ネイロンは、廊下から聞こえた兄弟たちの会話を思い返して口を開いた。


「彼の中で、なにかあったんじゃないか。最近は、やけに不安そうにしていただろう」

「それを今、考えていた。洞窟にいたときから――なにかが、いつもと違うような気がしていたんだ。力がついて自信がつくのなら分かるが……」


 マーティの態度は――それとは真逆だった。


 普段であれば、マーティは兄である自分のことを親しげに名前で呼ぶが、最近は「兄さん」と呼ぶことが多い。


 それは、冗談めかして自分を頼るとき、そして――彼が気弱になったときに呼ぶものだ。

 少なくとも、スフェルはそう解釈していた。


「動揺することがあった、と?」

「ここに来てから、やけに訓練で躍起になっている。突然、新しい力を得たことで弱気になっているのかもしれない」


 彼は突然、くるりとネイロンに向き直った。

 どうやら、動揺しているのはスフェルのようだ。乏しい彼の表情の中にどこか憔悴したものを感じて、そう思う。


「マーティは勇者として選ばれているが、あいつは――未熟だ。危険な場所でひとりうろつくことが、どんなに危険か。それにカルレイヴもすべてが安全なわけではない。よくない輩が集まる場所もあると言うじゃないか」


 スフェルは息継ぎも忘れて言葉を並べ立てる。

 それは、今までネイロンが聞いたどのスフェルの言葉よりも熱がこもったものだった。


「どんなに危険なことをしたのか、あいつは分かってない」

「たしかにそうだが、少し干渉しすぎじゃないか」

「傷ついてほしくないだけだ。俺は間違っていない」


 苛立ったように右往左往しているスフェルを尻目に、ネイロンはカーテンの向こうの光景を思い出す。

 現在、その弟はオーグストによって傷つけられている最中だろう。


 成人の弟に対して、彼がここまで過保護だったとは。

 寡黙で合理的な判断をするスフェルの思考が、ここまで弟の存在で偏るなんて、ネイロンは解せなかった。



 うろうろしているスフェルの頭は、マーティのことで埋め尽くされている。

 スフェルの中でマーティといえば、常に自分の後ろをついてくる雛のような存在だ。


 ネイロンのみならず、知り合いからも「弟を甘やかしすぎなんじゃないか」と冗談交じりに言われたこともあるが、スフェル自身はそれなりに、マーティを手放しに育てたつもりだった。


 しかし、それでも甘えてくる弟は可愛いものだ。

 こうしてほしい、ああしてほしい、と言われれば、それに応えてやりたくなる。


 ――だが、近ごろのマーティは、どこか様子がおかしい。

 力のことで焦っているのではないかと思ったが、違うようにも思える。


 時折見せる、自信なさげな表情も、まるで、マーティではないような……。


 有り得ないことを考えて、スフェルは自分の頭を掻いた。



 考え事でぼんやりとしていた中、スフェルは窓の外に目をやるネイロンの視線を置う。

 彼は窓からわずかに見えたその光景を、思わず二度見した。


 ネイロンの指からカーテンを奪い、わし掴みにして開けば、そこには互いを殴り合うオーグストとマーティがいた。


 攻撃は、ほとんどオーグストが一方的にしているようなものだった。

 スフェルが思わず窓枠を殴る。


「――あいつ! 殺してやる」

「スフェル」


 即座に部屋を出ようとするスフェルの腕を掴むと、ネイロンはごく親しげな呼び方をすることで彼を諫めた。それはマーティしか呼ばない彼の名だった。


「彼らは言い合いこそするが、手をあげることは今までなかっただろう。その点では、オーグストは無意味なことをしない。騎士のお前なら分かるんじゃないか。彼らのやっていることは、訓練の範疇だ」

「なにが訓練だ」


 どう見ても一方的な暴力だ。

 そう思った直後、オーグストの顔面に、マーティのいい一撃が入る。しかし彼はすぐに反撃を受けていた。


 これ以上は見ていられずにスフェルが振りほどこうとすれば、ネイロンは握る手の力を強める。

 自身よりも非力だと思っていた彼のその力に、スフェルは少し驚いた。


「弟と関係を改善したいと思うなら、彼らの問題は放っておくんだ。少なくとも、マーティがお前を頼るまでは」

「…………」


 そう言われて、スフェルは少し考えたあと、仕方なく腕を下ろす。

 ネイロンは察して手を離す間際、彼の手首をそっと撫でた。


 そんな気遣いに応える余裕もなく、今だけは自分を律するように、スフェルはどっしりとベッドに座り込む。



 どんなに過保護と言われても、スフェルにはマーティを守るための理由があった。

 両親の姿が頭に浮かぶ。その彼らの表情を思い出そうとして――スフェルは首を振った。


(……くそ)


 何気なく足を動かせば、ふと、足元に金属が掠れる微かな音が鳴った。


 床には不死鳥と星の模様が刻まれた銀のロケットペンダントが、蓋の開いた状態で落ちている。


 どうやら、チェーンを踏んでいたようだ。ペンダントの模様に見覚えを感じながらも、スフェルはそれを拾い上げる。


 中には夫婦と思しき男女と、二人の少年の絵がはめこまれていた。

 どうやら家族の絵らしい。



 髭を生やした風格のある男性と彼に似た少年は、見事な赤毛だ。

 女性ともうひとりの少年は、マーティとよく似た鮮やかな朱色の髪をしている。


 赤毛の少年は自身の足で立っているが、朱色の髪の少年は、絵の男性に抱えあげられているほど幼い。


 二人の少年は、兄弟だろうか?

 赤毛の少年は、どこかネイロンの面影を感じさせた。


「ネイロン、これはお前のものか?」


 スフェルが差し出したものを見ると、ネイロンは顔色を変え、素早くそれを取り上げた。

 彼は一瞬、それを大事そうに、しかしなにかを堪えるような視線を向けたあと、懐にしまいこんだ。


「……お前の家族の絵か?」

「……遠縁のね」


 ネイロンは曖昧に笑いながら、やんわりと離れていく。

 詮索したのは、まずかっただろうか。


 ネイロンは人の目を見ながら会話する人間だ。

 その彼が目が伏せる様子から、彼が嘘を吐いているのだろうと、スフェルはなんとなく理解した。


 ネイロンの縁の者であれば、見事な銀の髪だろうと思っていたが、絵に写っていた人々は全員が赤毛に近い髪をしている。

 彼は身内との違いを気にしていて、知られたくなかったのだろうか。



 ネイロンは自分を語らない人間だ。

 家族のことも、出身地も、それとなく尋ねたが、彼にはいつも誤魔化されていた。


 スフェルも口が上手なほうではない。

 不器用な詮索は相手に不快にさせると思い、控えていた。


 そうすることで互いの距離と均等を保っていたはずだが、彼にはそれ以上に自分のことを知られているように思う。


 好物も、苦手なものも、癖も。

 そして弟への想いも――それ以外の想いも。彼には分かっているはずだ。


 だからこそ平等に彼の心を知りたかったが、どうにも、壁を作られているように感じる。


(……俺は、空回ってばかりだな)


 弟に対しても、ネイロンに対しても。

 彼らの心を知りたいと、理解したいと思うのは間違いなのか?


 それとも、神が、両親が自分に言っているのだろうか。



 ――お前は幸せになるな、と。



 スフェルは自身の不安を拭うよう、いつものように無表情を装おうとした。

 しかし、その表情は厳しく、視線は窓に薄く反射する自身に向けられていた。

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