第7話:散策(前編)


 マーティは、ハッと目を覚ました。

 ひどい夢を見たあとのように、頭が重い。


 窓はカーテンが閉まったままで、どのくらい日が登っているのか、判断がつかなかった。

 部屋にオーグストの気配を感じながら、マーティは頭を抱える。


「ん……いま何時……」


 オーグスト相手に、思っていたよりもずっと無防備な声が出てしまった。

 しかし、オーグストは皮肉っぽい態度を変えることはなかった。


「十時だ。俺は起こしてやろうと思ったが、寝かせてやれと、お前の愛しい兄さんが言っていたぞ」


 その声に、頭が覚醒する。――十時だって? あんなに早い時間に寝たはずなのに!


 マーティはベッドから起き上がると、オーグストを横切りながらカーテンを開けた。


 幸いなことに『午前』十時のようだ。

 すぐさま衣服や装備を整えると、彼はオーグストに目もくれず部屋を飛び出した。


 部屋に残されたオーグストは、嵐のように去っていくマーティの様子に面食らったが、すぐに表情を戻して扉から目を背けた。




 慌ただしく宿屋を出たマーティは、まず町長の家を目指した。

 神秘の町ということもあって、伝説について詳しい話を聞けるだろう。


 幸いにも、巻き戻り前に訪れた経験から、町長の家への道は覚えている。

 マーティは、その道筋を思い出しながら、勇み足で向かった。




「カルレイヴへようこそ。君が勇者に選ばれたというマティアスだね。王都からここまで、大変だっただろう」

「お気遣いいただき、ありがとうございます。マーティと呼んでください」


 町長は口ひげの印象でうんと年上のように見える、三十代半ばほどの紳士だった。


 責任ある立場の紳士との一対一での会話に、長らく社交を忘れていたひきこもり人間の精神が顔を出し、マーティはわずかに萎縮する。


「魔王の再臨を阻止する前に、カルレイヴを観光するのも息抜きになる。英気を養える美味い酒場を紹介しよう。――若いきみには気苦労もあるだろう。町にある銭湯を貸し切りにしたから、疲れたらいつでも寄って、身体を休めてくれ」


 幸いにも、町長は話しやすそうな物腰の人物だったので、マーティの緊張は多少やわらいだ。


「ご、ご厚意に感謝します」


 マーティは席に着くと、単刀直入に切り出した。


「あの……早速ですが、魔王についての情報が知りたいんです。知っていることなど、ないでしょうか」

「魔王について……? ……なにか、気がかりな点でもあるのかな?」


 優しげな町長の顔色が不安に曇る。マーティは慌てて取り繕った。


「俺がつい慎重な性格で……仲間に黙って、ひとりで調べているだけなんです。安心してください」

「そうだったのか。てっきり魔王が手に負えない状態で復活して、おおごとになっているかと思ったが、それならば安心だ。はっはっは」


 陽気に笑う町長に対して、マーティは焦りを顔に出さないように、必死に口角を吊り上げる。――なんて勘のいい人だ。


 本当は、この場面で町長に報告すべきだったのかもしれないが、国が第二の魔王を倒すために指名したのは、歴戦の戦士ではなく一般人の自分だ。


 それには、きっと理由があるのだろう。

 もしも他人を巻き込めば、その分、多くの人間を犠牲にすることになる。


 カルレイヴは魔王城から一番近い聖地だ。魔物が決して立ち入ることのできない場所だが、万が一のことを考えなければならない。

 彼には、この土地を守る責任があるのだ。


 今は、混乱を避けるべきだと判断して、マーティは意識を現実に戻した。


「魔王の情報なら、なんでも良いんです。たとえば、古代語で書かれた石碑とか……」


 マーティの言葉に、町長は考え込むように唸ると、言いづらそうに自身の口ひげを揉んだ。


「実のところ、私は古代の言葉にはなるべく触れないようにしているんだ」

「……そうですか……」


 マーティは落胆したが、納得はした。


 古代語は万能の神ネレデアと密接した言語だが、信仰心のある人間であっても古代語を追及する者と、町長のように遠ざける者も存在する。


 それは、古代語が廃れた理由――大昔のラヴェリアの王の悪政によることから始まる。


 古代のラヴェリア王は、古代の言葉と、彼の持つ特別な声の秘術――言霊の力を持っていた。


 類まれな才能を持っていた王は、今以上の繁栄を望み、禁呪を用いることによって人を操っていた黒い歴史がある。

 マーティは幼少の頃、スフェルからそんな話を聞いたことがあった。


 彼は悪逆非道な王だったが、最終的に自身の子らによって倒され、悪逆の時代は終わりを迎える。


 ――しかし、彼の残した古代語の禁呪、そして彼の言霊の力は脅威だった。

 危険と見なした彼の血を継ぐ王族が、自ら古代語の使用を廃止し、大陸の共用語を使用するよう布告したのだ。


 残された王族たちは戒めとして側近政治に近いルールを導入しており、ラヴェリアでは暴君も生まれづらくなっている。


 言霊は誰でも持つ才能ではないため、現代では古代語の学習は禁止されていないが、暴君によって歪められた言葉は、今では恐れと嫌悪の対象にされることもある。

 町長も、そのうちのひとりなのだろう。


 それを信仰心の欠如ととらえる者もいれば、過去に禁忌とされた言葉を追及する人を変わり者と見る見方もある。

 地域にもよるが、大半の人間は、廃れて久しい言語のことなど気にしていないのが現状だ。



 町長は気まずそうにしていたが、咳払いひとつで場を仕切り直し、笑顔を作ってみせた。


「役に立てず、すまないね。だが、中央の噴水広場にはカルレイヴの聖者と魔王について書かれた石碑がある。共用語で書かれているから、よかったら見ていってみてはいかがかな?」

「……そうします」


 マーティは町長から噴水広場の場所と、ついでに美味い料理の出る酒場を教えてもらったあと、丁寧な礼を言って家を後にした。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




(……ここ、どこだ……?)


 町長に言われたとおりの道を進んでいたはずだったが、カルレイヴは想定以上の広さだ。

 マーティは目的地へ辿り着く前に、早々に迷子になっていた。


 焦ったマーティの歩調は、どんどん早足になるが、ガラの悪そうな人間がたむろする道に迷いかけてから、すっかり慎重になってしまった。


 神聖な土地の町とはいえ、光もあれば闇もある。マーティは、そう自分を納得させた。


「マーティじゃないか」


 人が行き交う町中、肩を落として歩いていると、聞き馴染みのある声が耳に入る。

 安心感を覚える声にすかさず振り向けば、そこにはネイロンがいた。


 ――救世主だ。マーティはすかさず彼に駆け寄っていた。


「ネイロンさん……よかった……! 迷っていて、どこがどこだか分からなくて……!」

「ここは広いからね。どこへ行こうとしていたんだい?」

「町長さんのところで、噴水広場に石碑があると聞いて、そこに」


 歩き回ってすっかり体力を消費していたマーティは、ぜえぜえと肩で息をしながらネイロンを見る。


「……ネイロンさんは、なにを?」

「きみの魔法の触媒を探すついでに、装備をね」


 そう言って顎で合図をするネイロンの目の前には、ガラスのショーウインドウに武器や杖など様々な装備が展示されていた。


 何気なく値札に目を向けて、思わずマーティは息を呑む。

 法外な値段に、マーティは早々にそれらを見なかったことにした。


「……さすがに、目の前にあるものには手が届かないけど、装飾品なら予算内だ」

「魔法のかけられた装飾品、ですか」

「察しが良いね。実は、カルレイヴの防御魔法の装飾品が以前から欲しかった」


 ネイロンが数歩離れた先にトントン、と、ネイロンの指がレンガの壁に貼られたポスターを叩く。

 そこには、そっけなく商品名と効能が書かれていた。


「月長石の指輪……」


 装飾品の値段はそこそこだが、隣の店のショーウインドウの武器や鎧ほどじゃない。


「スフェリウスにと思ってね」


 隣でそう告げたネイロンを、マーティは瞬きしながら見上げた。


「彼は今までなにかと矢面に立ってくれているが、魔法の耐性だけは非力だ。時折……無茶をしているようで不安になる。きみも、そうだろう?」

「ネイロンさん……」


(……彼が、そこまで考えていたなんて)


 ――しかし、巻き戻り前に彼がそのような指輪をしていた覚えはない。

 以前から欲しかったと言っていたのに、何故、手に入れられなかったのだろう。その疑問は、すぐに判明した。


「だが、あいにく月長石が品切れとのことだ。彫金師は素材に最適な材料を渡せば作ってくれると言っていたが……今はなにかと忙しいし、 別の品を考慮していたところだよ」


 質の良いものを贈ろうと思ったが、上手くいかないね、とネイロンは零す。


 ――防御魔法の指輪。

 小さな物だが、今後の戦闘や、魔王の繭を倒すことに大いに役立つ物だろう。


(それに……)


 ネイロンがスフェルに指輪を贈るシーンを想像して、マーティは頬を赤らめた後、首を振った。


「そういえば、きみはどこへ行こうとしていたんだい?」

「噴水広場に共用語の石碑があるらしくて……それを探しに行こうと」

「なるほど」


 ネイロンはマーティのそばを離れると、手近な人間に声をかけた。


 物腰の柔らかく見目も良い彼の言葉に、話しかけられた彼は半ばうっとりとした様子で道を指を差しながら話をしている。

 二言三言やりとりをした後、ネイロンは男に短く礼を言ってマーティのもとへ戻ってきた。


「ここからほど近いらしい。行こうか」


 あっさりとそう言って、ネイロンは先を進む。

 マーティは慌てて彼の背を追った。


 他者とのコミュニケーションに障りのある今のマーティには、とても出来そうにない。

 ふとショーウインドウに反射する自分の表情に、マーティの気分は沈んだ。


 ――なんて顔だろう。自信なさげで、気弱で、自分が自分じゃないみたいで。


 思わず自分の頬をさする。

 こんなの、まるでヒナタだ。


 マーティは、意識を振り払うようにネイロンの背中を早足で追いかけた。

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