第2話:決戦前夜の語らい(前編)――意味深な二人
青い岩肌の洞窟を抜け、カルレイヴに到着した一行はまず町長の元へ向かい、王の署名入りの書状を提示した。
魔王城に存在する魔王の繭を倒せば、カルレイヴの結界を一時的に解いてもらい、王城に帰還する手筈となっている。
宿を取った一行は、存分に夕餉を堪能した後、それぞれの時間を過ごすために解散した。
美味い食事と明日のことで気持ちが高揚したマーティは、宿屋のバルコニーで夜風に当たっている。
意外なことにカルレイヴは、王都ほどではないにせよ、そこそこ都会だった。
宿は空き部屋が二部屋しかなかったため、マーティと同室になったスフェルも、騎士団の深い紺色のケープを解き、腰の剣を外した。
その下からは純白を基調とした端正な騎士服が覗く。
上着から続くズボンも同じく白で統一されており、騎士を表す彼の銀のサークレットは部屋のテーブルに置かれ、旅の疲れから解放されたスフェルは落ち着いた様子でマーティと共に町の夜景を眺めている。
マーティは、着ていた青緑色のチュニックを脱ぎ、今は動きやすい白いシャツに、使い古した暗めの灰色ズボンという姿だった。
「飯、美味かったなぁ~」
「明日は魔王城だというのに、呑気な奴だ」
背伸びまでしてお気楽な様子のマーティに対して、スフェルは独り言のように言った。
明日、魔王の繭と対峙することに不安がないわけではない。だが、悪い方向に考えて不安を抱いたまま過ごすのはマーティの性には合わない。
「悩んでたって仕方ないしな。なるようになれ、って奴だ! 俺たちならきっと大丈夫だろ。……それともなんだよ、スフェル。弟になにか文句があるのか?」
「……いや、お前の明るい側面には救われているよ。特に……父さんと母さんが亡くなってからはな」
スフェルが真剣な面持ちで言うので、マーティは口をつぐむ。
マーティがまだ幼い頃、商人ギルドの一員だった両親が出稼ぎ先で亡くなった。
流行り病だとスフェルから聞かされた当時のことは、今でもマーティの記憶に焼きついている。
ふたりだけの生活は楽なものではなかったが、下級兵士だったスフェルが騎士団の一員に昇進する頃には、それなりに安定した生活ができるようになっていた。
勇者として指名されたマーティは、まず兄に報いたいと思っていたが、実際旅に出てみると特別な力など使えず、兄に頼ってばかりの自分がいた。
――この旅が終わったら、せめて兄を労ってやりたい。
「俺をここまで連れて来てくれてありがとな、兄さん」
「俺が連れて来た訳じゃない。お前が自分の足で来たんだ」
マーティをお守りしたわけではないと、スフェルは暗に言っていた。
それは必ずしも事実ではなかったが、頼りがいのある優しい兄の言葉は、マーティの胸にじんわりと温かく響いた。
「魔王の繭を倒したら、あのケチな王様から褒美を貰って、うんと贅沢しようぜ」
「……おい、不敬だぞ」
王国直属の騎士であるスフェルは弟の発言を看過できず、マーティの頭を軽く小突く。
手加減されたげんこつに、マーティは笑いながらおどけてみせた。
スフェルの言う通り、マーティの言葉は不敬なものだ。
とはいえ、巡礼の役割を持つ旅は禁欲が重視されると理由づけられ、国が手配した路銀は安宿一泊分程度のものだったのだ。
当初はあんまりだと思ったものだが、一応、旅の終わりには多大な報酬が用意されているという話もある。
「王様の耳も、さすがに秘境までには届かないさ」
カルレイヴは聖者の伝説や立地的な側面から、秘境や神秘の町とも呼ばれている。
それになぞらえて不作法な言動を続けるマーティに、スフェルは咎める気も失せて呆れたように微笑んだ。
「兄弟で秘密のお話かい?」
不意に割り込んだ穏やかな声に、マーティはその場で飛び上がる。
声の主は隣部屋のバルコニーから現れたネイロンだった。
普段は王宮魔術師を示す銀の刺繍が施された紺色のローブをきちんと着こなしているネイロンだが、今は襟を緩めた黒いシャツ姿というラフな格好をしていた。
マーティの不敬な言葉は兄弟間のお目溢しとしてないものとされるだろうが、王宮魔術師のネイロンに知られればいくら温和な彼でも良い顔はしないだろう。
「別に、秘密という程の話じゃない」
「へぇ……」
ネイロンのライムイエローの瞳が、興味深そうにふたりを見る。
助け舟を出すスフェルを尻目に焦るマーティだったが、幸いなことにネイロンは微笑むだけで追及する様子はない。
マーティは、ほっとして息を吐いた。
「そ、それにしても、カルレイヴがこんなに都会だったなんて驚いたなあ。話に聞いた時は、もっと……禁欲的な場所かと」
マーティは自分の発言を誤魔化すように、話題を変えつつも慎重に言葉を選んだ。弟のぎこちない態度に、スフェルがうっすらと笑う。
何故だかネイロンの前だと、ついつい襟を正すような言葉遣いになってしまうのだ。
品が良く、スフェルと同い年のネイロンは、幼いころにマーティや子ども達に勉強を教えてくれた老シスターを時折彷彿とさせる。
とても温和な彼女は怒ると恐ろしかったが、子ども達はそんな彼女を恐れると同時に慕っていたものだ。
「禁欲的か。そう思うのも無理はないね。実際には、カルレイヴの装飾品は特産品として有名なんだ」
実際、バルコニーから見える町並みの中には、宝石を使った魔法装飾や装飾品店がちらほらと見える。
「ネイロンさん、カルレイヴに詳しいんですか?」
「そこまで詳しいわけじゃないが……魔法装飾品の話は一部では有名だからね」
「ふむ。魔法に限らず、貴族はカルレイヴの装飾品を、一種の地位の象徴として欲しがると聞いたことがあるな」
と、スフェルが補足する。
ネイロンの話によれば、外界と遮断された街であるにもかかわらず栄えているのは、秘境ゆえに訪れたいという観光者の存在や、カルレイヴの転移魔法が発達しているお陰だという。
高位の者は高額の料金を支払い、転移魔法で物産や装飾を購入しているとのことだ。
ただし現在、人間を含む生き物を転移することは、この地を守る結界が転移魔法の利用者にどのような効果をもたらすか不明瞭であることから、基本的には禁じられている。
「私自身、そういった人間からカルレイヴの品の仕入れを頼まれることが何度かあってね……。相手を苛立たせないように断るのは苦労するものだよ」
「困りごとがあれば俺を頼ればいい。俺の顔は、他人から見てどうやら威圧的に感じるようだからな」
腕を組み、低い声でスフェルは言った。
弟のマーティから見て表情豊かなほうではない兄の顔に、ネイロンが受けた横暴に対するわずかな憤りを感じる。
「おや、見くびられたものだな、スフェリウス。私は魔術師だよ。その気になれば、指一本動かさずに牽制できるさ」
「そういった人間を相手に魔法を使うのは、それこそ問題だろう……」
「後ろ暗いことを考える者の口は、案外固いものだ」
なにやら物騒な話題だが、同い年のネイロンとスフェルのやりとりは、どこか気さくさが感じられた。
二人の対等な関係を、マーティは少しだけ羨ましく思う。
「それに、威圧的だって? お前の顔は……」
ネイロンの舌は、そこで止まった。
スフェルはネイロンから言葉の続きを待っているようだったが、言葉は続かない。自然とお互いを見つめ合う時間に変化していた。
(……あれ……?)
マーティは、数秒置いて異変を感じる。
彼らの視線は普段と変わらぬようにも感じたが、その時間はどこか切実さを感じるものだった。
普段は空気の読めないマーティでも察せられるほど、二人をまとう空気はただならぬもので、マーティは戸惑いながら自身の頭を掻く。
「あー……俺は中に戻るよ」
マーティに反応して、ふたりは何事もなかったかのように視線を逸らした。
それを見届けて、マーティは部屋に引っ込む。
(もしかすると、スフェルとネイロンさんは……)
一瞬、二人がそういった仲なのではないかと思ったが、マーティは即座に頭を振った。
別に、この国で同性愛は禁忌ではない。少数派ではあるが、それなりに受け入れられている。
と言うのも、この世界の宗教的な教えでは性別の枠を越え、魂の繋がりや共鳴も重んじる流れがあるからだ。
魂の惹かれ合いを尊重し、貴族や王族が結婚をする事例もあると聞く。
当然、血統を重視する貴族の家もあるが、家業や技術、才能の継承を重視する家もある。
後者の場合の同性同士で結婚した高位の者は、血筋にこだわらず優秀な養子を迎え入れ、その子に貴族としての教育を施すのだという。
もちろん、スフェルは貴族ではない。
だが、もしネイロンに惹かれているのであれば――自分に隠すはずがない。
実の弟に隠し事をするなんて、あまりにも水臭いじゃないか。
たったひとりの家族を独り占めされるような寂しさもあるが、二十一にもなってそんな子どもっぽい考えを表に出すことはしない。
部屋に戻ったマーティだったが、ふたりが、なにをしているのかを考えると落ち着かなかった。
それに、かすかだが壁越しに彼らの声が聞こえるのだ。
なんだか聞いてはいけない気がして廊下に出ると、壁にもたれて腕を組んでいるオーグストの姿があった。
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