inspird by 言って(二次創作)
異国の湖に訪れた時、私達は雨に降られた。風邪を引いていた私は、一周回って笑っちゃうほど辛かった。帰り際、列車に乗って湖を振り返ると、とても綺麗な天使の梯子がかかっていた。
inspird by 言って(二次創作)
行李
異国の湖に訪れた時、私達は雨に降られた。風邪を引いていた私は、一周回って笑っちゃうほど辛かった。帰り際、列車に乗って湖を振り返ると、とても綺麗な天使の梯子がかかっていた。
カタタン・カタタンと小気味よいリズムで列車は走っている。トタン・トタンかもしれない。あるいはガタン・ゴトンかもしれない。彼なら列車が走る音をどう表現するだろう。
車窓から覗く景色を眺めながら、私はそんなことをふと考えていた。
青と白で塗装された列車は、今にも雨が降りそうなどんよりとした曇り空の下、日本とは毛色の違う田舎を走っていた。車窓の外には田んぼの代わりに牧草が広がっていて、なだらかな丘が波打つ海のように続いている。
わたしはふと思い立って、彼に直接聞いてみることにした。視線を正面に戻すと、ちょうど彼もこちらに顔の向きを戻したところだった。私達は目が合って、何だか気恥ずかしくなったが、視線を外すまいと目をぐっと堪えた。
先ほどまで、彼は私のことをじっと見つめていて、私は目の置き場に困り車窓から覗く景色に意識を向けていたことを思い出した。
「ねぇ、君だったら列車が走る音の擬音は何にする?」
彼は苦笑いしながら、「なんだろう」と呟いて天を仰いだ。
彼は何かを思案するときは大抵、こうやって見上げた姿勢になる。いつだったか、その理由について聞いた時、彼は「なるべく必要のあるものしか目に入れたくないからね」と答えていた。私はその真意をいまいち掴むことができなかった。
窓の外は相変わらず、牧草地帯が続いていた。小高い丘、木製の柵、赤レンガの家。日本では到底見られない牧歌的な風景が絶え間なく窓という画面に映っては消えを繰り返している。その窓とわたしの間に、外を眺める私自身と彼が映っている。
水質が合わなかったからか、この国に来てから髪質が少しずつ悪くなっている。窓に映る私の髪は、アホ毛が目立つほどにボサボサだ。これではせっかく日本から持ってきたこの白色のワンピースが浮かばれない。
対して彼は日本にいた頃とあまり変わりが無かった。白のワイシャツにベージュのチノパン。髪は少し伸びて耳にかかっていた。
「クォーン、クォーン、かな。日本の在来線と違って音の感覚が長いから、ガタンゴトンとか、カタタンカタタン、みたいな連続した音は合わないと思う。」
彼は思案した結果、私の予想にない回答をした。彼の発想はいつだって、こちらの期待と異なるものだった。彼はふざけているだけかもしれない。
そんなこちらの思い通りにならない言動をとる彼が私はとても好きだった。新鮮な価値観や思いがけない面白さが彼の持ち味だと思っている。
「君は?どんな言葉に表現できると思う?」
私は考える。日本なら「ガタンゴトン」の一択かもしれないが、この列車はそうではない。
私は目を閉じ、もう一度列車が走る音に耳を澄ませた。列車は区切りのない低い音を出し続けていた。私は頭の中であらゆる音と言葉を照らし合わせていった。
だんだんと腑に落ちる回答が浮かび上がり、私はその中の一つを彼に伝えてみようと決めた。
途端、列車がキーッと高い音を立てた。同時に私の体も反動で前に倒れそうになったので、あわてて足や腕に力を入れた。
列車はスピードが落ちるごとに、車輪が出す音は低く、そしてゆっくりとなっていき、ついには止まってしまった。これでは列車の走る音を確認できない。
しかし列車が急停止する音は日本と一緒だなと思った。私は急停止の反動に耐えるために踏ん張っていた足の力を抜きながら、日本での記憶をふと思い出した。
彼もそんなことを考えているのではないかと顔を見ると、眉尻が少し下がっているのに、口角は少し上がっていて、なんだか夢から覚めたような、遊園地の出口に向かっているかのような、とにかくそんな悲しさが顔に浮かんでいた。
「実は言わなくてはならないことがあるんだけどさ」
彼はそう言って、いつになく真顔になって私を見つめた。先ほどから流れている車内アナウンスは慣れない異国の言葉でうまく聞き取れないが、恐らく急停止した原因について話しているのだろうと思った。
彼はテーブルの上で組んでいた手を膝の上に持ってきて、姿勢を整えた。
彼はごめん、と前置きして「僕はもう、君とはいられない」と申し訳なさそうに言った。
彼は脱いでいたコートに腕を通し始めた。日本とは違ってこの国は、初夏の時期でも上に羽織るものがいる。
私はわからなかった。
突然のことだった。私の頭にはもう、電車の走る音を言葉で表すことなんて思考は少しもなかった。
何故彼が突然そんなことを言い出したのか。何故列車を降りようとするかのような身支度を始めたのか。なぜもう一緒にいられないのか。
「な、、え、、なんで?何か気に触るようなこと、私してた?」
私は彼に問う。しかしそのことに対しての返答はなかった。
「これは極めて個人的なわがままだ」
「わがまま?貴方の?」
「仕方がないような話でね。元々こうなる流れだったんだよ」
「そんな、まるで元から決まってたみたいに言わないでよ。私が何か間違っていたなら謝る。だからなんでそんなこと言うのか教えてよ」
車内アナウンスの「sorry」という単語だけが嫌に耳に入る。まるで私が心にもないことを言っていると指を指されているような感覚を覚える。冗談じゃない。
いつの間にか涙が頬を伝っていた。窓の外では雲の隙間から日の光が真っ直ぐに降り注いでいた。あまりにも美しい光芒が、この涙を一瞬暖かいものだと錯覚させた。
「私のあなたへの態度が依存的だから?不平不満を言いながら自分では何もしていないから?何もかも人任せだから?」
彼はは私の言葉を黙って受け止めている。
「私、あなたとまだ一緒にいたい。あなたが側にいると生きようって思えるの。あなたに見合う人間になりたいって思えるの。」
私は、もうどうにもならないと気付いていながら言葉を連ねてしまう。だんだんと口の中が乾いていく。反対に涙は途切れない。乾いた唇を涙が潤している。
「別にきみのことが嫌いになったわけじゃないんだ。それに君が僕のことを思ってくれているのもよくわかっている」
「私だってあなたがそう思ってくれていることは知ってる」
「うん。君は例え冗談っぽく話していても、嘘は言わない。だから僕は君のの考えていることがわかるんだ。」
彼の瞳が真っ直ぐ私の瞳を捉えている。まるで開かずの金庫の中身を見定めているかのように。
私は自分の主張の手応えのなさに無力感を感じた。もう何をいっても無駄なのだと思った。彼はただ変わりようのない事実を言っているだけなのだ。冷えたコーヒーは自然と熱くなることはない。
全身の力が抜けていくのがわかる。今急発進されたらわたしは無抵抗に正面に投げ出されるだろう。
私はふと、頭にあることが浮かんだ。このうえなく自分が馬鹿らしく見えてしまう、当たり前のこと。私はわかりきった問いを投げようとしている。
「君ならわかっているはずだよ」
彼は私の心の内を見透かしているかのように、言葉をかけてきた。その声はとても優しく、暖かく聞こえた。
「あのね、わたし、実は気付いてるの。ほら、君が言ったこと」
「あまり考えたくなくて、忘れようともしてた」
そう。わたしは知っているのだ。わからないふりをして、鈍感な自分を演じて。
手遅れなこの状況を何とか出来ると、そう考えようと努めていた。ようやくそのことに気付いた。
わたしはかれのことが好きだ。たまらなく好きだ。彼とずっと一緒にいたいと思っている。
彼に、列車が走る音は、実は日本とそう変わりなく聞こえていることを伝えたい。
わたしは自分の思いの丈を、余すことなく伝えなければならない。でないと一生その機会を失う。
窓の外には湖があって、雲の隙間から放たれる光を乱反射している。この幻想的な景色を覚えていたいとわたしは思った。
「わたしがそう思っていただけなんでしょう?わたしが君をどう思っているのかと、君がわたしをどう思っているかは全く別で、ただ偶然が重なっただけ。」
湖の向こうには町が見える。駅を挟んだ向こう側に、多少のビルと、郊外に白屋根の一軒家が並ぶ地方都市がある。
わたしは結局、言うべきことを言えなかった。そんなわたしを彼は優しい眼で見つめている。瞬きすら惜しいとでも言わんばかりに、じっとわたしを見つめていた。
列車が動き出した。車内アナウンスはいつの間にか止まっていて、運転を再開したようだった。
窓の外を眺める。垂直に落ちるだけだった水滴が少しずつ斜めに流れている。窓に映るわたしの髪は相変わらずボサボサだ。湖はだんだんと遠ざかっている。
わたしはこれが最後だと自分に言い聞かせて、窓越しに彼の姿を捉えようとした。反射する彼はあまりに朧気で、わたしは目を凝らした。
結局わたしは言いたいことも言えずに、最後まで彼に事を任せていたかったのだろう。
彼の口が少し開く。何かを言っている。この状況を希望で祝福させてくれることを言ってくれているという淡い期待と、そんな希望は彼の口からはでてこないという諦観がわたしのなかで混じり合っている。
わたしは彼の言葉に耳を澄まそうと目をつむる。わたしがその言葉を聞き取る前に、彼の声は列車の走る音にかき消された。
わたしは結局、何も言えなかった。
inspird by 言って(二次創作) 行李 @tanbogi0504
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